62-5 決着
今日も誤字のご連絡ありがとうございました。
河原の槍合わせでは相変わらず徳川勢が死体の山を造っている。お陰で明智軍本営が浮足立っていても最前線の現場には余裕がある。これなら何とか持ちこたえられると利三と官兵衛が一息ついた刹那、黄母衣衆が駆け込んで来る。
「本陣後備に敵別動隊!」
皆、一斉に後ろを振り返る。後衛の明智勢の旗が波打ち乱されている。
「馬鹿なっ!、東からの来襲だけで何故、ああまで乱れるっ!」
「いや、その前に左右の張り出し勢はなんとした!? ま、まさか内応かっ!」
「な、内応ですとっ!」
「落ち着け、利三。左右の鉄砲隊の射撃を中止させて、後ろに備えさせよ。ただし、命あるまで撃たせるな。慌てて撃つと同士討ちになるぞ。」
「は、はっ、直ちにっ!」
使番が左右備えに走り、徳川勢本隊への射撃が止む。
官兵衛と利三が慌てて間に合わせの指示を出し冷や汗を滴らせたその時、真田信繁の指摘が追い打ちを掛ける。
「皆様!、前を!!」
「あ?ん。なっ、あれは”厭離穢土欣求浄土”の旗!」
「家康馬回りも突撃…こ、これは徳川の総攻めですぞっ!」
「くっ、我らの乱れに乗じられたかっ! さ、左大弁様っ!」
「………ふぅ………やっと釣れたな、信繁殿。」
「はい。もう、旗はよろしいかと。」
阿呆面を晒している利三と官兵衛は暫くそっとしておこう。
「うむ。”左”仕上げだ。後備に連絡。旗振りはもう良い。捕えてある徳川の雑兵のうち三河者を20名ほど選び、裸にして徳川の家康馬回りに向けて追い立てろ…とな。そして太田殿へ砲撃中止を。」
そして固まっている利三と官兵衛に向き直る。
「利三! 今だ!大焙烙を打ち込め!」
「は…はっ、承知!直ちに!大焙烙だ、大焙烙を撃て!」
利三の合図で大焙烙が投石機から打ち出される。間の抜けた放物線を描き総攻めを開始した家康勢の中程、そして少し後方寄りに各1発ずつが着弾し広範囲にくず鉄の暴風と火炎が広がる。防御を捨て突撃に移った直後だ。一瞬で徳川勢に2つの空白地がぽっかりと開く。
「官兵衛。鶴翼の陣だ。相手はまだ状況が判らず本気で突っ込んできておる。中央は厚めにしておけ。」
「…っ…は…ははっ。使番!、右翼長曾我部殿、左翼毛利殿へ各々輪中周縁を伝い両翼を延ばされませ…と。行けっ!」
「利三、左右に退避した鉄砲隊も両翼の増援に振り分けろ。」
「承知っ!」
利三が伝令に細かな指示を与えている。事前の予備命令が無い動きになるので細かく指示して鉄砲隊が偏らないように振り分けている。
「だいぶ落ち着いてきたようだな、二人とも。」
「は。醜態をお見せ致しました。が、もう大丈夫でござる。」
「…これでもほぼ互角ですな……」
遠眼鏡で徳川勢を観察していた真田信繁が呟く。
「元々死兵だからな。だが、そろそろ来るだろう。裸の三河の雑兵が来たら道を開けてやるように準備を。」
落ち着きを取り戻した官兵衛がわざわざ指示を出しに櫓から降りて行く。この場に居るのが気恥ずかしいのだろう。
一気に広がった戦場では”厭離穢土欣求浄土”の旗で士気が頂点に達した徳川勢と、新手で投入された長曾我部・毛利勢が微妙な均衡を保っている。
「…来たようです。」
信繁が裸の集団を見つける。徳川本隊へ追い立てられて行く裸の集団…。集団が家康馬回りに吸収されたその時、
「左大弁様、あれは!」
利三が指し示す右斜め前、中洲の南東方向に土煙が上がっている。
「島津殿だな…」
「!島津殿!」
「うむ。此処に陣を構えて直後、宇喜多の別働隊にまぎれて陣を離れていた。宇喜多隊と別れた島津隊だけがいち早く尾越を越えて徳川勢の斜め後方に伏せていたのだろう。そして徳川の別働隊の酒井忠次をやり過ごしてから間合いを詰め、明智本体の総攻撃に合わせて突撃を開始した訳だ。明智本体の総攻撃が始まれば大焙烙が飛ぶので良い目印になるからな。」
「なんと!。では島津殿はこの展開を読み切っておられた?」
「いや、それは無かろう。だが遅かれ早かれ徳川は明智本体に突撃するので、そこで明智がかりに不利になろうとも、島津の力だけで局面をひっくり返すつもりだったという事だな。さて、この島津義弘殿の渾身の一撃、疲弊した家康勢が耐えられようかの?」
俺の話の結果を予想するまでもなく、島津義弘率いる精強無比の島津勢が疲弊した徳川勢を、まるで袈裟斬りにでもするかの如くに南東から北東向けて一気に切り裂いてゆく。長時間鉄砲射撃に晒され続けた上、後ろ半身を大焙烙で打ち据えられて気力だけで前を睨んでいた徳川勢。重ねて疑いようのない別動隊全滅の生き証人との合流。そこへ斜め後方から加えられた激烈な一撃は三河武者の精神を刈り取るには十分すぎる一撃だった。
徳川勢の中央より後ろ、比較的戦場経験の少ない者や今回無理に徴兵されたのだろう練度の劣る部隊の多くが意識を飛ばし虚ろな目でその場にへたり込んでいる。だが家康譜代や三河生え抜きの歴戦の将兵が多く配されている先鋒や本陣周辺の部隊は新たな脅威である島津隊への対処を初めていた。
「い、いかん、撤退だ、家康様だけはなんとしても逃がすのだ!」
「くっ、何故島津が…くそっ、何処から湧いて出た!」
「直政(井伊直政)!殿(家康)をなんとしても逃がせ!島津は儂が引き受ける!先手衆で動けるものは我に続け!満足に動けぬ者はその場で明智の足を止めろ!」
「た、忠勝様、ならば拙者(直政)が島津に当たり…」
「ならぬ!万千代(井伊直政)は殿のお気に入りだろうが!殿とともに必ず落ち延びるのだ!」
「…ほ…んだ…様…」
「いけっ!」
本多忠勝に井伊直政か。流石によく通る声を持っている。だがそれでは…
「おお、左大弁様、島津様がいまの声を聞き咎めたようですぞ。島津勢が一直線に本多忠勝めがけて…」
利三が注進するまでもなく、島津勢の進路が北にずれ本多忠勝めがけて突き進んでいき、すぐに衝突する。史実の関ケ原の戦いでは本国から満足な補充が得られず寡勢で戦うことを余儀なくされた島津義弘。それでも徳川勢の中央から左翼にかけて斜めにぶち抜き後方へ撤退するのでなく、右前の伊勢街道から撤退した。この戦いでは十分な兵力と補給を受けて満を持しての突撃だ。疲弊した本多忠勝勢が受け止められる道理はない。
「三河武士の意地を見せるのは今ぞ!」
「応~、応~、応~」
「まだまだ~、死ねや諸共~!」
「応~、応~」
「我に続けや~!」
「応~」
本多忠勝の檄に答える声がどんどん小さくなる。手応えなしと見たか、島津勢は中央突破を辞めて殲滅戦に切り替えたようだ。
「家康様に勇姿を見せるは今…っ…」
ターン………
接近戦で激減した銃撃音だが、喧騒をきりさくように一発の銃声が轟く。
「ぐっ…いえ…や…すさ…」
至近距離から放たれた銃弾は生涯無傷といわれた本多忠勝の心臓を撃ち抜いたか、前のめりに崩れ落ちる。
「………動かぬな…」
「…即死のようで御座る。銃声が異なり申した。重装の鎧を抜けるように玉薬を多く詰めたのでしょうな。」
これで酒井忠次、本多忠勝と、徳川四天王のうち二人が戦場の露と消えた。
「しかし、島津勢は徹底してござる。大将を討ち取っても変わりなく周辺の敵兵を刈り取って居りますな。」
大方の日本人の常として、勝敗がきまれば気を抜き追撃が徹底しない事が多い。太平洋戦争でも散見された日本軍の伝統だ。(尤も燃料弾薬の補給が常にカツカツだったので徹底した追撃はしたくてもできなかった面はあるが…)だがこの時代の薩摩は文化そのものが大きく異るのだろう、そういう弊害は感じられない。
薩摩勢の殲滅戦で徳川勢の左側面に大きな窪みが出来上がりみるみる広がってゆく。
「完全に勝敗は決したな。あとは家康を捕えるだけだが…お、やっと来たか。ギリギリだが間に合ったようだな。」
家康勢後方、退路を扼すように土煙が上がっている。
「!あれは?」
「利三殿。あれはたぶん、島左近殿の騎馬隊ですな。」
利三の疑問にいつの間に戻ったのか官兵衛がしたり顔で説明している。ふっ。やっと本来の姿にもどったか。
「官兵衛の申す通り、開戦前に分派した鉄砲騎馬隊だ。木曽川を超える徳川別働隊のさらに上流、犬山城を迂回して土田から渡河させ退路を封じておいた。」
戦場はかなり落ち着きを見せつつある。文字通り死兵となって抵抗していた徳川兵だが、中下級指揮官が討ち取られるに従い雑兵が投降するようになっていく。
「…左大弁様…」
「左か。捉えたか。」
「御意。」