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光秀、下天の夢を見る  作者: 狸 寝起
65/72

61 木曽川を挟んで

木曽川の渡しも苦戦しました。

木曽川全体を見渡して総合的に考察されたものが無い。個々の渡しについてはあるんですが。

流路、水量など時代時代でかわっているので、それぞれの渡しの消長もお互いに影響しあっているはずで、なぜ全体を見渡したものが無いのか不思議です。

で、渡し場で苦戦していて気が付きました。


関ケ原の戦いの前哨戦で織田秀信が米野で迎撃戦やって敗戦しているのだけど、なぜ、木曽川の水を溜めておいて水責めしなかったんだ?と。だれでもきがつきそうな事なんだけど。

(とまあ、こんな事ばかり普段から考えている作者です。)


*誤字のご連絡いつも有りがとうございます。

これからもよろしくおねがいします。

「利三。軍議で時間を取ったので、別働隊ももう良い頃合いだろう。米野の渡しにむけて掘ってある塹壕に順次兵をいれて間合いを詰めよ。本陣も前に出すぞ。」


利三の指示をうけて塹壕に兵が詰まってゆくのが見える。すでに米野の渡し北岸で横陣のみならず、側面の備えも含め横陣と魚鱗の複合陣形が敷けるまで塹壕は掘り終わっている。


挿絵(By みてみん)


「左大弁様。米野の渡しもその南の河田の渡しも歩いて渡れる浅瀬ですが、北岸一杯まで一気に詰めると家康勢がかかってこぬのではありませぬか?」


「どうせ家康は木曽川をなかなか越えぬよ。利三。なので一気に間合いを詰めて撤退できぬようにする。そのほうが家康の動きを制限出来る。ここまで間合いを詰めてしまえば背を討たれるのを恐れて迂闊に撤退もできぬのでな。」


「いよいよですな、左大弁様。」


「官兵衛か。相手はあの前右府も羽柴殿をも(あざむ)き通し、己が野望を隠蔽した狸だ。圧倒的な兵力差だが油断はできぬぞ。」


「勿論で御座る。が、この戦はすでに戦略的に詰んでおりますぞ。動くに動けぬ家康本隊が無駄に時を過ごすほどに岐阜城を見殺しにした悪評は広がり、駿・遠・三は侵食されて行き申す。東海道沿岸は明智海軍のため落ち落ち通ることすら出来ぬ有様。これではこの官兵衛でもなすすべが有りませぬ。」


「戦略的に詰んでいても、戦術の切れと適切な作戦運用で戦の結果をひっくり返した事例はいくつもある。そして、その現場の戦術と武力で苦境を切り開いてきたのが家康よ。三方ヶ原は負け戦ではあったが、武田勢にもある程度の損害を与えた。結果的にそれが信玄に浜松城への攻撃を躊躇ためらわせた。一戦してなければ浜松城で城を枕に討ち死にだったはずだ。」


「確かに。なれば、此度も動いてきますな。」


「必ず来るだろう。ここまで間合いを詰められては三方ヶ原同様動かざるを得ぬし、引き分けでも大軍相手に善戦した事で武名が上がり将兵の心をつなぐことが出来る。」


もう目前に木曽川支流が流れ、米野・河田の2つの渡しの中間の輪中を挟んで、家康勢の動きも肉眼で余裕で見える場所だ。


「如何致しますが、左大弁様。輪中にも塹壕を掘り始めまするか?」


「そうだな。長射程銃の銃撃で援護しつつ輪中に塹壕を掘り始めてくれ。ただし、家康勢の突撃が予想されるので撤退のしやすさを最優先に、無理に塹壕を完成させる必要はない。」


「承知。」


利三の合図でパラパラと銃撃が始まる。ライフリング済みの長射程銃のみの射撃で大軍の割にまばらな銃撃だが家康勢からは射程外なので撃っては来ない。まあ銃自体ほとんど此の戦場には持ってきていないだろうが…

そして数名ずつの小隊が塹壕を掘るため輪中に向かっていく…。


「…官兵衛、どう思う?」


「すでに出ているでしょうな、当然。」


「どう来ると思う?」


「家康には左大弁様の如く、次々しんを繰り出すような機略はござらん。よって、姉川の再現…これしか御座るまい。」


姉川の戦い。やはりな。あの時家康は5000の兵で15000にのぼる朝倉勢を相手にした。だが、20000余の織田勢が8000ほどの浅井勢に切り崩されつつあるのを見て、家康は一軍を割いて浅井勢を横撃。それでやっと浅井勢の足が止まったのだ。しかもさらに一軍を割いて朝倉勢をも横撃、姉川の戦いを勝利に導いた。最初から死兵化している徳川勢の兵の質を浅井・朝倉方が読み違えた結果だ。


「此度も寡兵ながら兵を別ける…か。」


「おそらくは。」


「何処に来ると考える。」


「まずは湿地帯で足場が悪く、行軍に時間がかかる尾越の渡しを越えて西南から。」


「やはりな。竹ケ鼻砦は?」


竹ケ鼻砦は尾越の渡しの東、長良川寄りにある砦で足場の悪い湿地帯の中にある要衝だ。


「木曽川をこえてすぐさま北上し竹ケ鼻砦は無視されるでしょうな。」


「やはりそうなるか。」


急追できる地形ではないので少数の砦守備隊など無視できる。元々が死兵だ。帰路など考慮しないだろう。

暫しの沈黙…官兵衛も俺も脳内で図上演習をしている。


「もう1手。東北東から来ましょうな。」


「官兵衛もそう考えるか。草井の渡しでは近すぎて此処からでも察知できる。板橋、或いは犬山城の支援のある内田の渡しから鵜沼に出るか。」


絵図面も広げて駒を置いてゆく。


挿絵(By みてみん)


「いかにも。鵜沼より東まで行くと、山越えになり本体との連携に難が出てきましょう。信孝殿はすでに光春殿が抑えてござれば、家康勢本軍と合わせてこの三手かと。」


「まさか信雄を宛てにも出来ぬしな。なれば良し。」


「島殿は間に合いますかな。」


「間に合うかどうかは家康勢次第といったところか。精々家康には粘ってもらいたいものだ。」


島左近の鉄砲騎馬隊には特命を授けてある。木曽川のはるか上流、太田おおた宿付近からの渡しで渡河、家康勢の背後を突くように命じたのだ。今は中山道が鵜沼付近で木曽川を越えているが約50年後に中山道はこの太田付近からで渡るコースになる。騎馬隊であればここを渡河できるだろう。


「残るは徳川勢の蛮勇がどこまで我らの備えを突き崩して来るか………ですかな。」


「うむ。だが今は姉川や三方ヶ原と時代が違う。数の比率なら姉川の戦いと此度も良い勝負だろうが、武装が全く異なる。兵の質もだ。姉川の織田軍も浅井・朝倉軍も、目いっぱい徴兵した軍で質は最低にちかい。そこに徳川の死兵をぶつけたから切り裂けた。だが、此度の明智与力は厳選した精兵だ。姉川のようには行かせぬ。」


「されど、家康はそれを知りませぬ。たとえ報告が上がっていたとしても信じぬでしょうな…。」


家康にとっては唯一の心の支えだ。官兵衛の言う通り、信じたく無かろう。

それに………


「…それに、この戦場の最強は徳川では無い…。」


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― 新着の感想 ―
[一言] …それに、この戦場の最強は徳川では無い… ↑ マジで戦国最強の一角 鬼島津がいるからね 九州は修羅の国なのでw
[気になる点] 織田信秀って二人いるんだ!知らんかったわ。どの系統の織田一族です?同名が珍しく無い時代とはいえ遠慮しないんですね。
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