60 山家三方衆
山家三方衆[やまがさんぽうしゅう] かっこいいネーミングですよね。
最初にこの名称を知ったときは昔の人のネーミングセンスに感動しました。
地名とかも風情のある名称が多いですし。
地名は長い年月変化しないらしく、それが歴史解明におおきく貢献しているとか。
平成の大合併で今風の軽薄な地名にしてしまった地域は後世の歴史研究家から恨まれるかもです。
「別働隊の宇喜多勢、光慶達と島左近はまだだろうが、他は皆、配置についたか?利三。」
「今少し、お待ちくだされ。念のため右翼張り出しの紀伊・河内勢と左翼張り出しの摂津勢が側面に備えて新しく塹壕を掘りつつありますので。」
張り出しとは本来の右翼左翼からより遠くに配置した奇襲横撃に備えた部隊だ。贅沢な配置だが持ち場を与えるのに苦労するほどの大軍のため念には念を入れて配置した。すでに数日前から光春の部隊は岐阜勢となれ合い戦に離脱している。
「そうだったな。あまりにも大軍になると全体の動きが鈍重になるのは仕方ないな。」
「それはそうと、今しがた遠江に侵攻されている真田殿から珍しく長い文が届いたとか。」
「ああ。すぐに官兵衛も来るだろう。丁度よい、時間があるので近場に居る主だった者も集めてくれ。」
利三の手配で明智普代の藤田伝五行政、阿閉貞征、溝尾庄兵衛茂朝、松田政近、可児吉長や、深い付き合いになっていて準譜代とも言える小西行長、土橋重治、丹羽長重。さらに親族衆と言える長宗我部…そして毛利から毛利元康。最後に官兵衛が集まる。
「よく集まってくれた。要件は真田殿からの報告の共有だが今後の仕置の先例となる案件なので皆にも伝える事とした。同様の案件が皆の持ち場で発生した場合は各自の判断で仕置してもらって構わない。此処に集まっている面々の判断なら信用できるのでな。」
ざわっとどよめきが起きる。ある程度の裁量権を得た事で重く用いられている事が実感出来るのだろう、皆満足げだ。まあ、現実問題、島津や長宗我部、毛利などの遠隔地からいちいち畿内まで連絡をだしていたのでは政務が遅れてしまう。どこかの時期を見てある程度の裁量権を与えなければならなかったのだ。
「儂などにそんな権限をあたえてもよろしいのでしょうかの?左大弁様。」
「官兵衛はいつも黒子の役回りですまぬと思っていた。これからは些末な案件は独断で処理してかまわぬ。作戦立案だけでなく、責任まで背負わせる事になり申し訳ないがこれだけ領域が大きくなると明智の与党全員にも手伝ってもらわねば追いつかぬ。日向に長く居ると溶けてしまいかねぬお主を引きずり出す事になるが、頑張ってくれ。」
「ぶはは。官兵衛殿も左大弁様にはかないませぬようですな、ぶははは。」
「…はぁ…。なんの兵部大輔(毛利元康)殿。賤ヶ岳あたりからずっとこの様でござるよ。恵瓊殿にも言うてくだされ。ここに来て共に左大弁様の慰み者にならぬか?と。」
「ふふ。冗談はさておき、外国、特に南蛮人の動向については細大漏らさず報告してほしい。事後報告でよいのでな。この戦いの後は外国とのせめぎ合いが中心となろう。」
皆が承知とばかりに頷く。
「さて、話が逸れたな。遠江、そして三河へと侵攻している真田昌幸殿からの繋がきている。奥三河の山家三方衆についての報告だ。」
集まった面々が一瞬ざわつく。山家三方衆とは武田と徳川の勢力の消長に振り回された田峯の菅沼氏、作手の奥平氏、長篠の菅沼氏だ。奥州の土豪のようにお互い婚姻関係があり利害を共有する立場だが、武田と徳川の争奪地域であり、特に武田信玄の優れた外交手腕の切り崩しに晒された結果三氏がキッチリ足並みを揃える事ができず徳川と武田の間をバラバラに行ったり来たりしていた。
この時期は、田峯城に菅沼定利。長篠城に奥平信昌が居る。
(作手城から長篠城に奥平信昌が移動するのがこの物語のちょうどこの頃で、奥平信昌が何れの城に居を構えて居たか微妙ではっきりしない。)
その他、長篠の戦い時点で武田方に与力していた面々などは、すでにこの地を追われている。
「真田の脅威に最も晒されている田峯の菅沼定利は当主自らが所領を全て差し出し帰順したいと申してきたので先鋒に組み込み働かせているようだ。だが、残る作手・長篠を領する奥平信昌は使者は来たものの向背定かならず、信用できぬので一切の言質を与えず追い返したとの事だ。」
「左大弁様、奥平信昌といえば長篠の戦いの折の勝頼(武田勝頼)の猛攻にも屈しなかった剛の者ですな。かの名刀大般若長光を家康から拝領したとか。真田殿の別働隊が迫りつつあるとは言え、我らが全く調略もしておらぬのに向こうから摺り寄って来るなど…些か不自然すぎますな。」
「政近(松田政近)の云う通りよ。奥平信昌も裏切り前提の偽帰順など不本意なのであろうな。だから当主本人は来ないし露骨に不自然な動きをして、交渉決裂させたい…そういった感じだろう。」
「やはり家康の差し金ですかな、左大弁様。」
「う~ん、どうかのう…官兵衛。流石に直接に『偽の帰順を申し出て、土壇場の戦場で裏切れ…』とは家康も言わぬのではないかな。だが、『後日徳川主力が反転して来たときに有利を取れる策を講じておけ…』ぐらいは言ったやもしれぬ。菅沼定利にしろ奥平信昌にしろ、そんな漠然とした訓令をされても困るであろう。追い詰められて仕方なく菅沼定利は本当に帰順してしまい、奥平信昌はわざと交渉を潰して『無駄でした…』とでも言っておこう…と。そんな感じかもしれぬ。」
「遠廻しに返り忠をしろと仄めかすとは。姑息な事を…」
誰ともなく呟いているのが聞こえてくる。
「しかし左大弁様。すべてを差し出して帰順する…と言うのでは、どれほど怪しいと思っていても断りようが有りませぬぞ。」
可児吉長の言う事も道理だ。
「左様。まさか、『御前は家康の股肱だろう、四の五の言わず家康に殉じろ…』とは、言いたいのは山々なれど言えませぬし。」
ふふ。小西行長はそう言うが、当事者なら本当に言っている感じもする。なるほど、加藤清正と喧嘩になるわけだ。だが、これでは話が進まぬ。左手を上げて皆を制する。
「で、だ。話はここからだ。田峯の菅沼はそのまま当主自ら先鋒を買って出たので無事だったが、奥平信昌の使者は帰路に野盗に襲われて一人残らず絶命したらしいのだ。」
「なっ!」
座が一気にどよめく。帰路に野盗に襲われて一人残らず絶命などだれも信じていない。真田が手を回して始末したのは明白だった。
「そういうことなので、奥平信昌はこのまま磨り潰すとの事だ。」
「くっくっくっ。真田殿もなかなかに辛辣ですなぁ。本当の帰順か偽の帰順か不明な行動なので、ハッキリと敵方に押しやってしまえ………とは。」
「まあ、そういう事だな。圧倒的に有利な今、不確定要素は潰しておくと云う事だ。極めて理に適っておる。」
「…あの、宜しいのでしょうか、左大弁様…」
恐る恐る発言したのは丹羽長重だ。年上のお歴々が犇めく中なのでやや腰が引けている。軽くうなずいて先を発言させる。
「それでは徳川の与党全てが死兵に化けてしまいませぬか。」
「長重殿の懸念は尤もだ。だがあまり意味はないな。何故なら徳川の核となる兵はもともと死兵だからだ。姉川、三方ヶ原。何れも遥かに多い敵勢にまともに突撃してきた。嘆かわしいことだがな。」
「なるほど、そういう事か。…左大弁様はお優しい。」
「官兵衛、なにか気付いたのか?遠慮はお主らしくないぞ。」
「ならば申しましょう。愚直が取り柄の三河者に反り忠を働けと使嗾する家康には、山家三方衆も忸怩たる思いでござろう。不本意ながらも仕方なく出した使者でござるが事故で使者の往来が叶わなかったとなれば反り忠の話も立ち消えで、奥平信昌は己が武門の意地を貫き通すことが出来申す。奥平信昌の望み通り、正味の武の戦場を用意してやるとは、真田殿は左大弁様の優しさも踏まえて手当されて御座ると見える。」
「官兵衛は不満か?」
「なんの。不満などありませぬ。が、此度はちと悔しく。真田殿が読まれし左大弁様の優しさを、この官兵衛が今の今まで読めぬとは。此処に議論が至るまで気が付かぬようでは軍師失格でござる。」
「はは。それは立場の差というものだ。官兵衛が最前線でこの事態に直面すれば、即座に気が付いた筈。それに何れは主な面々には伝えねばならぬ事が有るゆえ集まってもらっただけで他意はないぞ。それは、これからの世には『どんな汚い手段でも成功すれば武略である…』という戦国の悪習は払拭せねばならぬと云う事よ。まともな人間がまともに報われる世でなければ、日ノ本は立ち行かぬ時代が来ておる。皆もこの事、心に留めてもらいたい。」
「なるほど。それも有ってなおさら家康の首を取っておかねばならぬのですな。左大弁様がずっと前から家康を危険視されていたのがやっと解り申した。」
関ケ原の戦後処理の手の平返しを俺は知っているからな。信用した吉川広家が愚かではあるが、家康と共謀して横紙破りを働いた藤堂高虎や黒田長政が出世するような世の中は俺は見たくない。
「利三の言う通りよ。家康は幼少期に性根を捻じ曲げられてしまった。そしてそのまま大人になってしまったのだ。もう治すことは出来ぬ。戦国が生んでしまった最後の鬼子よ。いや、可愛げのある遅れて来た鬼子がまだ東北にも居るには居るか…。それはまあ良い。とにかく家康の首を取り戦国を終わらせようぞ、皆の衆。」