51 実子
誤字のご連絡ありがとうございます。
早速修正させていただきました。
これからもよろしくおねがいします。
「よくやった!」
「…落ち着かれませ、左大弁様。まだまだ時は入用ですよ。」
初老の婦人が応える。最近見知った正室の煕子だ。最初はちょっとぎこちなかったし中身が入れ替わっているのが露見しないかとヒヤヒヤだったが、ちかごろ光秀の人が変わったという噂も有って無事に乗り切った。
今慌てているのは側室の佐和(下級武士の娘で漢字は充てられていなかったが不便なため音に合わせて漢字を充てた。)の懐妊の知らせが有ったのだ。
「左大弁様。あの、まだ懐妊したばかりで生まれるのは…」
ああ。まあそうなんだが。
「…おや。覚めているな。とにかくよくやった。」
しかし、これで良いのか?時系列がぐちゃぐちゃに…ならんか。意識は俺でも体は正真正銘光秀だ。遺伝子的にも問題はないな。
それにしても、この時代の女性はしっかりしている。側室が一気に増えて煕子が角を生やすかとビビっていたが、全くそんなことはなかった。光慶が無条件で信じられる藩屏が必要だと説明すると本心から喜んだ。それどころか年齢差の大きい側室を子供のように面倒を見てくれている。
「改めまして、左大弁様、おめでとうございます。」
「うむ。まこと、目出度い。男でも女でも良い。元気な子が生まれると良いな。」
佐和が頭を下げる。
「では、左大弁様。佐和殿に無事お児が授かりましたので今宵は桔梗殿にお渡りくださいませ。桔梗殿にはすでに伝えておきました。」
「お、おう…」
「明日は当然ながら亀寿殿ですよ。」
「まあ、そうだな。亀寿はまだ体格が小さく無理はさせたくないが。」
「体は小さくとも、亀寿殿は流石かの島津の女性、とうに覚悟は定まっておりますよ。左大弁様もお覚悟なされませ。ソニア殿に偏る事はなりませぬよ。」
「そんなつもりは無いのだが。異国で心細かろうと気を回しすぎていたやもしれぬ。良く言ってくれた、煕子。」
「いえ。夜はお気の召すままにお渡りなされて構いませぬ。誰かが間が空きすぎた場合はこの煕子がお諌めいたします。されど、昼間に常に同じ側室を同行させていては乱れの元になりましょう。」
「確かにそのとおりだ。そうだ、煕子。知っての通り儂はまだまだ多忙で奥向にまで気を巡らせる余裕がない。されば、夜も昼も、側付きの側室を煕子が選んでおいてくれぬか。」
「私が?ですか。そのような話は聞いたことがありませぬが。」
「煕子であれば、儂の気分に合わせて選んでくれよう。眼の前に誰かがいると、どうしてもその者に気が集中してしまう。奥向は煕子が全て仕切ってくれたほうが、結果は良くなると思うのだ。」
「あらあら。いまや戦場では鬼でもひれ伏すと云われる左大弁様が、意気地の無いこと、ほほほ。」
あっさりバレていた。考えても見てくれ。五十代なかばの男に十代や二十代の側室四人だ。甲乙などつけられようはずもなく、見る聞く無しの入れ食いになる。いつのまにか偏りが出来てしまってもなかなか気が付かないのだ。ならばいっそその場の好み、気のおもむくまま秀吉のようになれるか?と言えばそれも無理だ。
結局現実逃避して煕子に丸投げした。
「話は変わるが、煕子。光慶も呼び儂の部屋へ来てくれ。」
「! はい、すぐに。」
雰囲気が変わったのを察した煕子が表情を引き締めて応える。よく気がつくものだ。流石正室。
程なく光秀の部屋につれだってやってくる煕子と光慶。
「父上、改まって何事でしょうや。」
「光慶。先の戦では蒲生殿の元、よく努めを全うした。稻城の件も十分に実戦に耐えられる完成度だった。改めて褒めて遣わす。が、此度呼んだのはこれから先の事でちょっと言っておこうと思ったからだ。」
「? それであれば以前お聞き致しましたが。」
「あれは日ノ本全体の行く末の話だ。此度は儂個人の事なのでな、煕子も聞いてほしい。」
二人が緊張した面持ちで頷く。
「山崎丹波の戦い以降、儂に天啓が降りる噂は聞いていよう。その天啓があった。」
「!」
「おそらく、儂の役目は徳川との戦が最後となる。こうやって落ち着いて話せるのも次の機会は無いかもしれぬ。側室の懐妊はその証拠のようなものだ。身近にあたらしい命が次々生まれる。古い命は順次消えてゆかねば理屈に合わぬ。」
「なっ!されど毛利殿などは…」
「理屈に合わぬ埋め合わせが隆元殿に降り掛かってしまったな…」
「…父上…」
「そう情けない顔をするでない。こうして話せる時を得ただけでも幸せなほうだろう。おそらく徳川とのケリが付けば今の天啓を授かる儂は消える。元の天啓が聞こえぬ光秀に戻るのか、そのまま死ぬのかも分からぬが。」
「死ぬとはきまって無いのですね。」
「そこはわからぬ。が、元の光秀に戻った場合、その光秀は浦島太郎だ。ものの役には立たなくなっているゆえ、病と称して必ず隠居させるのだ。その役目はお前たち二人にしか出来ぬ。」
「…わかり…ました。」
「頼んだぞ。そのあとは光慶がまとめ役になり、官兵衛殿や蒲生殿、島津殿や長宗我部殿。もちろん、光春や利三もだ、彼らから意見を引き出して事に当たれ。日ノ本の外堀は海であることを忘れるな。」
「したが、もとに戻られた父上が納得されぬ場合は如何しましょうや。」
「今、儂が言ったことをそのまま伝えよ。そうだ、戻った光秀宛に書を書いておく。」
…日ノ本の末は光慶に託してある。光秀は隠居すべし。 左大弁 光秀 (花押)…
「これで理解は出来ずとも納得するであろう。自分の花押があるのでな。」
二人が半信半疑で頷く。
まあ、今はこれで良い。あとは徳川、いや、徳川自体はどうでも良い。家康を仕留めねばならぬ。
「そうだ、置き土産…と申すと縁起が悪いかもだが。光慶に新しい技術の素案を申しておこう。」
「まだ新兵器が!」
「光慶。まだ…などと云うようでは先が思い遣られるぞ。新兵器、新技術の開発は無限に続く修羅の道。終わりなど無い。」
「は。左様でございました。」
「では心して聞け。光慶。湯沸かしに取っ手と注ぎ口が付いたこのような道具を存じ居るか?」
簡単な薬缶の絵を描く。
「これは確か、薬を煎じる湯を沸かす道具でしたか。」
「そうだ。これで湯を沸かすと注ぎ口から湯気が勢いよく出る。その湯気の勢いで風車を回す事が出来るのだ。」
「………はあ………」
「今、明智が造っている南蛮船はスクリューで動いて居ろう。」
「はい。」
「スクリューをどうやって回しているかの?」
「左大弁様が考えられし仕組みで人の力を集めて軸を回してござる。…え?まさか、湯気の力で南蛮船を動かす!!と?」
「南蛮船は使い方の一例にすぎぬ。要は湯を沸かす燃料があればどこでも風車を回す事が出来るのだ。そして燃料には稲城にも使った越後の臭水でも良いし、九州や蝦夷地には燃える石もある。この仕組みの凄い所は丈夫な造りにして細い吹き出し口から勢いよく風車に吹き付ければ、人の何倍もの力を出せるようになるのだ。…いずれは…だが。」
「そんな力が湯気にあるのですかっ!」
「ある。」
光慶が考え込んでいる。
気が付いて実験すれば簡単に証明できる事だ。似たような物にすでに水車がある。風車についてはすでにスクリューがあるので雑賀衆ならすぐに気が付く。光慶の時代はおそらく民政により力を尽くす時代になるだろう。蒸気機関は強烈にこの国を進化させるに違いない。
「わかったな。蒸気機関を忘れるな。」
「蒸気機関………。しかと。」