50 密談
「左大弁様、黒田官兵衛様がお見えでございます。」
「来たか。通せ。」
勝家切腹後、越前はつつがなく平定された。手筒山城に籠もっていた勝家残党の佐久間盛政は頑として追腹を切った。前田利家は池田同様に夫婦揃って隠居。いや、まあ、妻のまつ殿は隠居に抵抗したようだが前田利家に『前田のお家を潰したいのか?』と流石に凄まれたそうな。
占領後の越前には若狭から羽柴秀長を移動させた。利権の錯綜した地域はこれからも秀長に働いてもらい地ならしを頼む積りだ。空いた若狭には予定通り丹羽長重を封じた。丹羽長秀も同行したが病が重く先は短いだろう。しかし、よく織田信孝は丹羽長秀を手放したものだ。
越前の大野郡には国吉城で功績を上げた並河易家を封じて明智組下の大名に昇格させた。大野郡は越前から美濃の郡上にぬける美濃街道がある要所なので国吉城での経験が生きるだろう。
でお市様だが、お役目を十二分にご理解頂けているようなので官兵衛とともに姫路の秀吉の元に送り出した。当然、官兵衛は俺の狙いが見えているので嫌がっていたが。
「黒田官兵衛、はいりまする。」
「ご苦労であった。で、首尾は?」
「左大弁様の狙いどおり、筑前殿は骨抜きでござる。今後は天下の仕置は左大弁様にまかせて播磨をゆったりと開発すると申されております。が実際は連日奥に入り浸りで配下の三成までがぼやいてござる。」
「ははっつ。奥が丸く収まっているなら良き事ではないか。」
「なんの、寧々殿は出家するとまで言い出してござるわ、もう、手がつけられませぬ。」
「ふふ。だが播磨一国であれば、周囲に敵も居らず三成殿が上手く運営出来よう。で、官兵衛自体については、秀吉殿になにか言われたのではないか?」
「は。左大弁様の筋書き通り、客将ではなく正式に左大弁様に仕えるように言われました。」
「だろうな。官兵衛殿の知略は播磨では発揮しようがない。物わかりの良い主君で良かったではないか。」
「一から十まで全て左大弁様の手の上でいささか業腹でござるが、致し方ありませぬ。」
「業腹か。ならばこれからの戦で儂の考えの上を提示して見せればよかろう。此処であれば裏方に回らず軍議の場の外様諸将の前で自説を開陳もできるぞ。」
「左様ですな。が裏方でなくなるので責任は全部自分に跳ね返ってくる。筑前殿のときの、そう、備中高松城水責めのような丁半博打の策は出せませぬ。あれは秀吉殿の運任せの策なれば。」
「運良く例年通り雨が降ったから良かったものの、瀬戸内は空梅雨も多い。雨が振らねば只の阿呆よな。」
「然り。さればこそ、より精度の高い策をださねばなりませぬ。それがまた左大弁様の狙いであるのが業腹の極み。」
「くくく。儂にこき使われるのは業腹よのう。官兵衛は主君をこき使うのが好きだからのう。」
「左大弁様は何故この官兵衛の心底までご存知なのでしょうや。長い付き合いの筑前殿など足元にも及ばぬほどに御座るが?いや、この官兵衛だけではないな。小西行長殿や宇喜多秀家殿の事も一度も会ってもおらぬのに知悉されていた。紀州の大田殿も左大弁様が存じ上げていると聞いて驚かれていた。大和の島殿も。何故に左大弁様は世に隠れた人材を知悉されているのか…」
「先の楽しみが増えて良いではないか。そういった諸々も含めて我が陣営で楽しめば良かろうて。」
「くっ。業腹なれど今の時代左大弁様以外に儂を使いこなせる者は無し。致し方有りませぬな。で、せっかく羽柴家の見どころある若者を引き抜こうとしたのに待ったをされたのは如何なる理由でござろう。三成は播磨に必要なれば致し方なき事なれど、他にも勇将知将の芽が出かけておるのに。」
「ふむ。そうよな。まずは如何に天下を望まぬとは言え、次代の将帥を根こそぎ播磨から取るわけにもいくまい。……というのは表向きでな。」
「は?」
「くく。官兵衛でもそういう顔も出来るのだな。」
「左大弁様…」
「すまぬ。許せ。本当の事を言うとな。」
「は。」
「虎(後の加藤清正)や市松(後の福島正則)は寧々殿の影響が強すぎて使い難いのだ。」
「む………」
暫しの沈黙。ここで話を進めてはいけない。この沈黙こそが官兵衛の至高のひとときなのだ。
「成る程。光慶様の代に仇になる可能性が有る…そういう事でござるか。」
「うむ。」
「確かに、あの者達は左大弁様からどれほどの恩を受けようとも、寧々殿の恩義が第一でござろう。まして左大弁様亡き後なれば。」
「そういう事だ。」
「では前田利家殿を隠居に追い込んだ理由も?」
「播磨とは違うが、ちと障りがあってな。大封を与えるわけにはいかぬのだ。」
「…で御座るか。前田殿に比べれば、この官兵衛などさらに障りがあるのでは?」
「ん?無いぞ。寧ろ官兵衛の場合は野に置くほうがよほど危険であろうが。おっと、誤解するでないぞ。お主が天下を伺う危険人物などとは全く考えておらぬからの。お主はあくまで参謀。主将には成りきれぬ男よ。違うか?」
「…やれやれ。何故に左大弁様にかくも業腹な思いがするのか、ようようわかり申した。かくなる上は致し方なし。左大弁様の手腕を身近で鑑賞して余生を楽しませていただきまする。」
「期待させてもらおう。そこでだ。岐阜の織田信孝殿に諦めを付けさせねばならぬ。」
「信孝殿でござるか。かの御仁なればすでに織田家の退勢覆い難きことはわかっておられますな。勝家無き今では使える手足も乏しい。蒲生父子の離反が痛かったですな。残るは長島の滝川左近ぐらいか…。」
「滝川一益のう…さて…どうかのう……」
この世界では賤ケ岳の決戦にも滝川一益は動いていない。微妙に歴史がズレてきているのだ。
「左大弁様?……あっ……」
「恐らく、そういう事だ。」
「それでは戦になりませぬぞ。」
「だから、今官兵衛に図っている。」
「むう…真に荒い人使いでござる。」
「官兵衛にはこれでも不足かと思ったが?」
「…されば…」
官兵衛が暫し黙考に入る。さて、どんな策がとびだしてくるやら。と思ったが、さすがの官兵衛でもなかなか策が出ない。戦は双方に勝ち目があると思うから決戦になるが大差で勝ち目が無い場合は決戦にならず、片方がひたすら耐える事になる。結果、だらだらと長い年月がかかってしまう。織田の次に徳川が控えている。織田家…と言っても織田信孝だが…これはなんとか一戦で終わらせたいのだ。
織田信雄のほうは…どうころんでも本人が矢面に立って戦う事などあり得ないので、史実同様徳川とセットにして追い込み始末するしかないだろう。
…さて。そろそろ頃合いか。
「左大弁様。少し危険も伴いまするが…」
「ほう、聞こう。」
「纏めてしまうのは如何でしょうや?」
ん?纏める?と云うと信雄と信孝をか?あの二人は犬猿の仲で纏まらぬことは大前提だがそれを纏めさせ得る者となると…
「家康を…のう。」
官兵衛が黙って頷く。
「家康を誘導するのは些か骨が折れるぞ。」
「いかにも。されど其れ以外の道を塞いで追い込めば結果的に纏まるしか無く成りましょう。また、そこに追込めるだけの力と手駒が御当家にはあります。」
「…ジーベックも使い内陸部での野戦でしか見込みがない…と追い込むか。」
「は。某も拝見いたしましたが、あれを三河湾や遠州灘に遊弋させれば駿遠三の三州は恐慌状態になりましょう。もちろん海運は壊滅、海沿いでは戦を諦めるしか無くなりまする。」
「うむ。薩摩の島津殿などであれば、それでも対抗策を講じようが、家康は海に疎いからな。そこで内陸で決戦しかない…と思考を誘導する。海の影響を受けない決戦場は美濃しかない。それには美濃の信孝を引き込まねばならない。側面の伊勢方面を手当するためには信雄をも引き込む必要が出てくる。信雄は頼りないが美濃の決戦の間ぐらいは時間稼ぎぐらいできるだろう…と言う筋書きだな。」
「ご明察。」
「まともに三者が合流できればかなりの大勢力になるな。」
「そこがまた落とし穴にて。」
「うむ。信雄が時間稼ぎにすらならない…が第一。」
官兵衛が頷く。
「信孝が家康の指示に安直に従う事もない…が第二。」
そこで官兵衛をじっと見る。
「ふう…左大弁様もお気づきだったとは。いかにも、第三は家康は籠城戦の経験がない。」
「そうだ。どういうわけか、家康は大勢力相手でも野戦を好む。なにかおかしな自信があるのか、そうせざるをえない事情があるのか。」
「信玄公にもそこを突かれて大敗しましたな。」
「だが結果的にあの敗戦で浜松城は囲まれずに終わった。余計に野戦こそ徳川の生きる道と思っただろうな。」
「いかにも。されば、また此度も野戦に乗ってくる。」
「ああ。それに投石機の事も、そろそろ徳川にも伝わっているだろう。小城とはいえ、ほんの一時もせずに城そのものが更地になると聞かされては、なおさら籠城戦はするまい。」
「信孝殿も岐阜城から出ますかな?左大弁様。」
「そこよのう…。」
「やれやれ。纏めるだけ纏めておいて、其れをまた際際にバラすのですな。」
「官兵衛も大好きであろう?」
「…其れを考えても居ない主君に其の手を披露して驚く顔が好きなのに、左大弁様は…つまらぬお人じゃ。」
「それでこそ、驚かせ甲斐があるであろう。」
「そういう事にしておきましょう。」
「ふふ。では細部の段取りが詰めれたらまた聞かせてもらうとしよう。ああ、そうだ、段取りを付けるにも肩書が無くては動きにくかろう。正式に『明智軍師』として諸方に通達しておくので、堂々と軍師と名乗るが良かろう。」
「!それでは左大弁様が考えられた策まで官兵衛の策だろうと誤解されかねませんぞ。」
「その通り。儂が思いついた悪巧みまで官兵衛が引き受ける事になるのだ、酷い話だな。」
「………」
「官兵衛。本当の敵はいずれ南蛮から寄せてくる異人達だ。それに対抗できるだけの態勢を我々の世代で築かねばならぬ。お主の知力は日ノ本の戦いで満足させてはならぬ。やってくれるな。」
官兵衛が改めて平伏する。未だかつて見せたことがない見事な平伏を。




