45 東野砦再び?
東野砦にとりついていた敵兵がやっと引いたのは、陽が中天にさしかかる頃だった。
それと入れ違いで予想通り、今度は堂木山砦と明神山砦の北側平地に繰り出してくる柴田勢。
やはり連続で仕掛けて来るのが予定のようだ。
「やはり今度は堂木山砦と明神山砦だったな。秀家殿の指摘通りだ。」
「はい。でもここしか残っていませんです。左大弁様。」
秀家が謙遜する。この戦の全貌がだいたい見えてきている秀家だからこの程度で増長はしない。
「で今度の敵はどんな様子だ?伝五。」
「そうですなぁ、なんというか、柴田勢らしくないですな。」
「それは?」
「寄せてきているのは金森長近殿と不破直光殿のようですが積極性がありませぬ。砦の北に出てきているものの、遠矢の射程ぎりぎりから射掛けてくるだけです。勿論、こちらが高地ですので圧倒的に我が方有利です。」
お互い矢を曲射するだけだと双方被害は少ない。砦に寄っている味方はほとんど被害皆無だろう。敵にしても盾をかざしておけばほとんどの矢は防げる。勿論露出している部分もあるのでじわじわ怪我人は増えてゆくが。
「一体何がしたいのでしょうなあ。」
言いつつも、伝五がニヤニヤ笑っている。柴田勢のこの動きは手詰まりを装った見え透いた陽動だが。
「こうもあからさまな陽動だ。本命の前にもう一つ、これが本命と思えるような攻撃が有りそうだな。」
「というと?」
「わからぬか?伝五。秀家殿が申された通り、東近江路からの接点は今戦っている堂木山砦と明神山砦、そして先の戦いの東野山砦だ。となれば再び東野山砦に来るしかないではないか。で先の攻撃では襲撃が西と北の二方向から有った…となると此度は?」
「まさか、東からも加えて三方向?ですか、左大弁様。」
「そういう事だ。時間をさらにかけて迂回すれば東野山砦の東にも回り込めないわけではない。道など無い場所だが沢伝いに取り敢えず東側までは行けるからな。おおかた先の撤退の時に東側へ回り込む部隊も再編して残置してあるだろう。」
「なんというしつこさ。柴田殿とはこのような方だったのですか。」
秀家が驚く。
「秀家殿。柴田勢は織田勢の中で一番最初に、かの軍神謙信公率いる上杉勢と接触し手取川の戦いで一敗地にまみれ申した。柴田勢の評価が地に落ちたのです。以来、ただひたすら真正面から上杉勢を押して押して、ついに越中から叩き出す寸前まで追い詰めた。まるで手取川の敗戦の怨念が込められているような戦いを繰り返して。その過程で身につけた華麗さなど微塵もない、泥臭いねちっこい戦いこそが連中の身上ですぞ。それに対するには我々もそれ相応にしつこい戦いが必要なのです。一瞬たりとも気は抜けませぬ。」
「確かにそうでした。東野山砦は大丈夫でしょうか。」
「なに、宇喜多勢との連携の背後にさらに長曾我部殿も居ります。東野山砦は実質1万2千の守備兵。抜けるはずも無く。さすがに連絡路のある南側まで深入りしては包囲殲滅されるので遮断できませぬのでな。それに深入りも可能…というのは最後の一手ですので此処で使う訳に行きませぬ。ま、前回よりは激戦になりましょうが。」
「このような戦い方をされては一体どこまでが陽動で本命の攻撃がいつなのか疑心暗鬼に陥ってしまいます。上杉殿はよくも数年も耐えられましたですね。」
「秀家殿の申される通り。謙信公の薫陶が生きている上杉勢であればこそ、曲がりなりにも崩壊しなかったのでしょうな。柴田勢相手の繰引きは困難を極めたでしょう。が、ひとつだけ間違っていますぞ。柴田勢の攻撃はどれもが本気なのです。今、堂木山砦と明神山砦にとりついている連中も本気で陽動しているから、あのようなやる気のない姿を晒しているのです。」
「は?あれも本気である結果の一つだと…なんという愚直さ。」
「くくっ。素直すぎるのも考えものですなあ。左大弁様。」
「まあな。だが伝五、柴田勝家と黒田官兵衛、お主ならどちらが安心できる?勝ち負けではなく普段仕える主人としてなら。」
「おお、それであれば勝家殿がやりやすそうですな。」
「そうだろう。策士というのはその策がある程度読める者でなければ、ただの胡乱で怪しげな、何を考えているのかわからない物の怪のようなもの。勝家のようなわかりやすい男のほうが仕えやすい面もある。一長一短だな。」
秀家が考え込んでいる。自分はどのような大名になるべきか悩んでいるのだろう。そのとき、かすかに風が揺らいだ。
「…左か…」
「曽々木から沓掛方面に移動する部隊あり。街道をつかわず、街道脇を密かに移動中。」
「ついに始まったな、本命が。」
「中山道の敵の大物見、全滅に近い損害を出し撤退。」
大物見とは、現代で云う威力偵察部隊だ。中隊程度の規模で堂々と偵察行動をする。中山道をそんな規模で移動すれば全滅も当然だ。
「北国脇往還方面に敵大部隊。美濃勢と南信濃勢の旗印。なれど、稻城に阻まれ停滞中。お見方優勢の模様。」
中山道で両側から打ち据えられたので、主力部隊を北国脇往還方面に出してきたか。
「ふ。賦秀殿には手頃な相手か。生き生きと采配を振るっていよう。」
「国吉城方面、海津城方面に敵影なし。」
やはりな。分派するだけの兵力はあるまい。ん?まだあるのか?
「まだ何か有ったか?」
「若神子にて再び徳川勢と北条勢がにらみ合いになり申した。」
若神子は甲斐から信濃への通り道に当たる。信濃をも経略したい家康にとっては死守せねばならない場所だ。
だが、先年3カ月に渡る対陣で双方懲りたはずだが。徳川が信濃で真田に手こずっているのを見て北条に欲が出たか。あるいは真田が北条を動かしたか?昌幸殿ならやりかねぬ。
「戦況は?」
「双方に戦意乏しく、引くきっかけを求めている模様。」
「だろうな。大規模な合戦で損害を受けることは双方避けたいだろう。ご苦労。」
銭の束を渡す。いまでは忍び衆を常雇いにしているので報告ごとに報酬は本来不要だ。だがこちらの予想以上の報告があった場合は成果報酬も渡すようにしている。忍びといえど人間だ。大きな成果が有った場合は認めてやらねばやる気も出ない。
「いまのは…」
「秀家殿は初めてでしたな。あれは 上野ノ左 と世に呼ばれている忍び頭。主に伊賀衆の窓口となっている者で私自身の護衛も兼ねておる者です。秀家殿も彼に認められたようですな。」
「私が?」
「左の目から見ても秀家殿は信用できるお味方と認識した、その証に姿をさらしたのでしょう。」
「なるほど。そういう事だったのですね。」
結局、堂木山砦と明神山砦の前に出てきた敵は一日中矢戦だけで日没とともに引いて行った。
普通このような命令をされたら兵や物頭が怒り出してしまいそうだが、それが普通に出来るのも勝家勢の優れた点だ。
「引いた…という事は夜ですかな、左大弁様。」
「伝五の言うように今宵の可能性も有るが…たぶん明後日ぐらいではないか?本命が塩津街道から離れ、余呉湖へ向けて山中を機動する。余呉湖手前で配置に付き一息入れて突撃準備を整えるにはそれぐらいの時間が必要だ。本命の突撃は深夜から明け方にかけて行いたいだろう。夜襲でこちらの後詰の砦、大岩山砦か、可能なら岩崎山砦…を一気に落とす。そのまま砦を占拠、昼間に我々が奪還行動に出るがそこは耐えるというわけだ。そして腹背に敵を抱えて補給や増援が困難になった明神山と堂木山の砦を本隊で猛攻、放棄撤退に追い込む。」
「なんとも地味な戦い方ですなぁ。一歩一歩、尺取り虫のように拠点を奪ってゆく…」
「柴田勢らしいとも言えるな。上杉相手に真正面からジリジリ押したのもこのような感じだったのだろう。山岳戦での砦の奪い合いだ。平地の野戦のような一気の決戦にはならぬ。だがまあ本命の挙動がわかった。光春に連絡して今は警戒を解かせるが良い。敵が来るのはどれほど急いでも明日の夜以降、恐らく明後日だ…と。」