43 緒戦
ここまで連日、連続投稿してきましたが、いよいよ画像未準備の部分が増えてきました。
若干投稿間隔が開くかもしれませんが、これからもよろしくおねがいします。
春になった。
春とは言え小氷期とも云われるこの時代の湖北はまだまだ寒い。ここ余呉湖北西の本陣付近にも、一面に残雪というには多すぎる雪が積もっている。
「左大弁様。我らの準備は完全に整いましたがこの陣容を前に、本当に柴田勢はやって来ましょうや?いまさらながら、むしろ越前に籠もり我らを引き付けるも有りでは無いかと思えてまいりまする。」
常識派の明智光忠が皆の心配事を代弁する。
「心配は尤もだ。だが越前に籠もる事は無いな。時を費やせば越後の上杉が復活してくる。越中に攻め寄せられでもすれば南下どころか我らとで挟撃される立場になる。そのうえ、美濃や伊勢の織田家がいつまで保つかも怪しい。徳川が旧織田家領地を侵食しているのも不愉快だろう。さらに我らと手を携えた島津や長宗我部が九州をじわじわ平らげてゆく。時を置けば置くほど我らは勢力を増し柴田は勢いが失せる。出て来るしかあるまい。」
「お市様の手前もありますしの。」
ニヤニヤ顔で官兵衛が付け足した。
浅井家滅亡後にお市は勝家と再婚している。一説には勝家が熱望した…という事らしいが、本当だろうか。再婚時点でお市の方35歳。当時の感覚からすれば中年どころか初老だったはずだが。ともかくそういう事になっているのだろう。
「ならば、そろそろ繋が入る頃合いかと。」
この戦の真の先鋒になる予定の光春が話を引き取る。ほぼ同時に伝令が飛び込んでくる。
「東野山砦、小西様より、『敵勢見ゆ。』…」
「来たな。では皆の者、配置についてくれ。広い戦場だ。繋は密にせよ。」
「応!」
光春・忠興・清秀ら余呉湖逆襲部隊の将が真っ先に出てゆく。
続いて宇喜多忠家、香宗我部親泰の右翼後詰め、さらに明智光忠の後方警戒の諸将も立つ。
小西行長・池田輝政・可児吉長の前衛各隊はすでに配置についているので残るは本陣付きと黒田官兵衛だけになる。
「官兵衛。無理はするな。お主はいつも無理気味にでも働きすぎる。」
「…これはしたり…まさか左様なお心遣いを受けようとは。筑前殿ですら気付いて居られぬのに。左大弁様はいつからご存知だったのやら。ならば此度はそこそこに働くことに致しましょうかの。では。」
側付きで学ぶことに成った宇喜多秀家は宇喜多勢に同行すること無く、小姓のように脇にいる。その秀家にも軽く目礼して官兵衛が出てゆく。
「左大弁様。どういう事でございましょう。」
「秀家殿が気づかぬのは致し方ないこと。官兵衛殿は皆には自信満々の軍略家に見えましょうが左に非ず。ギリギリの所に自らを追い込み策をひねり出す御仁で御座る。あの者も一戦一戦魂を削って戦っているのでござる。」
「なんと、とてもそのようには…」
「足掻いている様を感じ取られるのが面映ゆいので御座ろうな。心根は自らの知を限界まで引き出したいだけの求道者…と云うところか。」
「…されば、それが理解できなさる左大弁様もまた?」
おっと、やぶ蛇か。…勘のよい子は嫌いだよ…とか誰が言っていたな。
「さて、秀家殿。われらも陣頭に参りましょうか。」
東近江路に太い蜂矢の陣形で待機している本体の先頭付近まで出る。蜂矢と言ってもあまりの大軍のため先頭付近でも衡軛の陣かと思える幅がある。整備された東近江路でなければとても収まらない規模の陣形だ。
「どうだ、伝五。見えるか?」
「ここからではまだ見えませぬな、左大弁様。されど東野山砦の小西殿からの知らせがありました。やはり勝家本陣は柳ヶ瀬付近のようですな。されど森長可殿の旗印が正面に見えるとの事ですぞ。」
「ほう?北信濃の森長可がのう。ふうむぅ…領内も十分には収まっておらぬ上に真田殿の妨害もある。連れてきている兵は精三千といったところか。」
恐らく美濃から大野郡経由(現:越前美濃街道)で越前に出て勝家と合流したのだろうが、よくも雪も溶け切らぬこの時期にあの難路を越えたものだ。そして旗印が見えたという事は開戦の口火を旧信忠家臣団の森長可が切るため、最前線に出てきているのだろう。勝家は、自分と統一行動は困難だが粗略にもできない森長可に一当てさせて様子を見ようという腹か。
「とりあえずは森長可殿が街道を直進。その時我が左右の砦の者が側面を突きに降りてくれば、勝家本隊の有る柳ケ瀬から後詰を順次突撃させて乱戦に持ち込む…といったあたりでしょうか、左大弁様。」
「策も何も無い力押しだが地形がこうも限定されていてはお互い正面から削り合うしかないのでな。突っ込んだ側が序盤包囲されるが其れを承知で乱戦に持ち込めば地力で自分たちが上だと考えているのだろう。」
「我が明智勢も舐められたものですな。」
「ま、乱戦にはさせぬがな。予め左右の小西隊と池田隊には山を降りずに適当に矢玉だけ浴びせ嫌がらせするように伝えてある。単なる正面衝突にしかならぬ。」
「左右を気にせずとも良いと判り突撃してきた時に、アレで御座るか。」
黙って頷く。自隊前方を見ると蜂矢の陣形だった本隊が左右に少し出っ張りを造り三又槍のようになっている。
「こちらの陣形も出来ているようだな。」
「全体の見た目は蜂矢の3並び。だが敵と接触する先頭部分の実態は事実上、鶴翼ぎみの横陣…まったく左大弁様はよくもこのような欺術を思いつかれますな。」
「もろに嵌められるのも一度限りだがな。次回からは無茶な突撃をしてこなくなるだろう。でもまあ、それで結果的に突撃を封じているのであれば十分ではあるが。」
「来ますぞ…」
遠くから喚声が聞こえてくる。今、まさに森長可率いる信濃勢が僅かな左右の備えを従えた3列縦隊で突進している事だろう。
「東野山砦、堂木山砦より遠矢が射かけられている模様!」
遠距離攻撃主力を鉄砲に譲ったとは言え、射程で勝る弓が完全に廃れたわけではない。曲射もできる弓には弓なればこその使い道もある。
「敵部隊、矢を無視するように突っ込んでくる模様!」
左右の砦からの攻撃が矢だけなので一気に走り抜けて間合いを詰めるつもりだ。
「まあ、そう来ますわなあ…」
藤田伝五行政がぼそっと憐れみを含んだ独り言を漏らす。
「よし、かかったな。伝五、あれを。」
「承知!今だ、稻城を並べよ!」
稻城。
古代物部氏と蘇我氏の戦争で記録されている即席陣地だ。稲束を積み上げて遮蔽物にしたと伝わっている。
(そんなもので実効があったとは思えないのだが…。)
大兵を擁した蘇我氏側だが、軍事氏族の物部氏を率いる物部守屋の前に攻め倦ぐんだと云う。勿論ただの稻城がこの戦国時代に通用するはずもないのだが。
予め手配していた係の兵が出て敵から遮るように稻城を並べる。道の端、崖の際までびっしり敷き詰めてゆく。荷車に積んでいた稲ブロックを2段積みにして胸のあたりの高さまで積むだけなのであっという間に出来上がる。強風で転がらないように、各稲ブロックの底には重石が括り付けられている。積み上がった稻城には直ちに別の係の兵が甕を持ち込み、中の液体を柄杓でぶっかけてゆく。
「長可殿は我らが挑発していると、勘違いされますかなあ。」
「一本気な性格だからな。馬鹿にして誘い込んでいると思うだろうな。」
「それでなおさら足を止められぬ………と。どうせ今更引く事も出来ませぬが。」
「遠路はるばるご苦労な事だ…」
そうこうするうちにも本陣からも敵勢が見え始める。近距離だが正面からの矢玉も無視しての全力疾走だ。よく兵が付いて行けるものと感心する。
「敵勢は約五千! 後続は見えず!」
物見兵が大声で知らせてくる。やはりな。森勢に一当てさせてみて脆いようであれば増援を繰り出すのだろう。だが…五千か。組下の与力からも総動員したようだ。真田に徳川を撹乱させたので返って総動員する余裕ができたか。皮肉なことだ。
「頃合いですな、仕掛けますぞ。」
黙って頷き伝五に許可を出す。
「火矢を射ろ!」
ほとんど水平射撃の弾道で火矢が稻城に突き刺さる。途端に大きな炎の壁ができる。稻城には少量の火薬。そして先ほど柄杓でかけて回った軽質油が沁み込んでいる。越後から取り寄せた原油をざっとだが精製したものだ。一瞬で燃え上がるのも当然だ。
「鉄砲隊は射ち方初め!水平打ちで稻城を射てば嫌でも当たる!弓隊は曲射で敵後方に矢を降らせろ!」
伝五の指示が飛ぶ。
炎の壁越しの統制射撃だ。個々に狙う事は出来ないのだが、それでも時折悲鳴と怒声が聞こえる。稻城では鉄砲玉が貫通してしまうため敵兵はむき出し同然。炎と煙で遮られているが稻城の向こう側で敵兵が踏鞴を踏んで苦戦している事は、街道両サイドの山の友軍砦に揚がっている連絡旗で判っている。
「いつもより射撃速度が早いのではないか?伝五。」
「そうですな。狙わなくて良いのと敵兵が見えぬので、緊張せぬのでしょうな。慣れているとは言え、人を撃つのは気が張りますので。」
「成る程。そして敵からも我らの鉄砲隊が見えぬため危機感が薄い。稻城の向こうでまだ愚図々々しているとは。」
だらだらと射撃が繰り返され、断続的に悲鳴が上がる。勇猛な兵に稻城を蹴らせたり槍で叩いたりしているのだろう、稻城が揺れている。だが重石が入っているので転がる事はない。かりに突破口が出来たところで一旦足が止まった部隊の士気は上がらぬ。無駄に犠牲を出す前に撤退するべきなのだが…。
「引きませぬなあ、信濃勢。意固地になって居るようですな。」
伝五も呆れている。わざわざ難路を乗り越え大回りして参戦しておいて為すこと無く撤退しました…では面子が立たぬとでも思っているのだろう。愚かなことだ。勝家はこちらの手立てを確認するために一当させただけだ。初めから戦果など期待されていないのに。
じゃーん、じゃーん、じゃーん
勝家本陣から銅鑼の音が聞こえる。業を煮やした勝家が退却の指示を出したのだろう。勝家の溜息が聞こえるようだ。
「やっと引くようだな。」
「ですな。我々も稻城が邪魔で追撃はできませぬ。今日はここまででしょうや。左大弁様。」
「そうだな。兵たちも通常配備に戻してくれ。」
前にでていた鉄砲や弓隊を少し下げ、奇襲警戒の槍隊を前に出す。槍隊は緊張感を維持するため四交代制にしてある。大軍ならではの余裕だ。
「警戒に当たる隊以外は野営の準備に入らせましょう。と言っても食事の準備だけですが。」
兵たちの寝床は屋根付きの物を長期戦に備えて造ってある。もちろん、簡易なものだが便所もだ。勝家側にそんな準備は有るのだろうか?将官は柳ヶ瀬の宿場で泊まれるから良いが兵たちは大変だろう。