42 明智光慶
「光慶も早一五になったか。」
「はっ。漸く父上のお手伝いが叶います。」
この機会に坂本城天守の最上階に嫡男の光慶を呼び、今後の指針と代替わり後の心構えを余人を交えず二人だけで共有することにした。
「此度の北国脇往還封鎖は殊の外重要な役目だ。主将の蒲生殿の指示に従い全うせよ。あくまで副将であるとの立場を弁えるようにな。」
「勿論です。」
「ならば良い。この機にお主の世代の状況を話しておこう。この日ノ本の大まかな取りまとめは儂の代でやっておくつもりだ。だが、すでに五十路の俺では骨組みまでしか造れぬ。」
「…父上…」
「骨組みは造っておくのでそれを踏まえて聞いておくのだ。安心しろ。お前の世代では乱世の梟雄はほとんど居なく成り信義が重視されるようになる。勿論、今でも信義は重要だがそれとて力で覆してしまえば勝った者勝ちだ。だがお前の時代では力で覆しただけでは誰も付いてこない世になる。」
「…」
「そのかわり、突出した才のある者も出にくく成ってくる。要は世の中が落ち着いてくると云うことだ。なので、この日ノ本の舵取りも従来のように唯一人の頂点に立つ者がすべてを決する事があってはならぬ。無能者が全てを決することに繋がるのでな。名目上のお飾りの頂点に主上を戴き実際の舵取りは各地の代表足りうる者…そう衆人が認めし者数名が集まり合議で決するようにするのだ。]
「理屈はわかりまするが、現実には…」
「それぞれの立場で意見が分かれ纏まらぬ。と申すのであろう。」
「はい。」
「それこそが狙いよ。合議を纏めるには各々の譲歩が必要。故に各々が考える最善より一段落ちる結果になる。だが、そうであればこそ最悪は回避できる。必ず最悪が回避できる、この1点だけで一人の独裁者が差配するよりも勝るのだ。一人の独裁者が差配すれば容易に最善と思い込んだ最悪を選んでしまうのでな。」
「最善を求めぬのでござりまするか。それは些か政を為す者として如何かと。」
「光慶は将棋を存じておるや?」
「は、昨今急激に庶民の間で流行りし盤上に軍勢を模した小さな駒で戦う、あれですね。」
「うむ。より戦を直截に再現し俯瞰できるような、あれだ。美濃などではおおいに盛んで美濃の名を冠した陣形まで有る。美濃囲いなどと呼ばれておる。」
「この後手方(上側)の玉周辺の守備陣が美濃囲いだ。」
「ほう、美濃囲い…」
「その将棋の名手が言ったそうだ。勝つためには最善手を続ける必要はない、七分の好手を重ねていけば自然と勝つ…と。」
まあ、名手というのは現代の今は亡き連盟会長まで務めた大御所だが。
「そうなのですか。」
「つまりは如何に人間が悪手を選びたくなる生き物かということだな。かの武田信玄が嘘ぶいていたという、六分、七分の勝ちこそが良く、八分や九分の勝ちは破滅への道と云うのもそういうことだろう。」
「そこそこが良いと。されど押し込むべきときに止めを刺さねば後日の憂いにも。」
「まあ、あくまで例え話だ。要は最悪をいかに避けるかだ。今はまだ理解できずとも良い。だが光慶の時代はそういう時代になると今から考えておくのだ。」
「世の中が変わってゆく…と。」
「それはそうと、例の仕掛けはどうだ、単純な物だから間違いないと思うが、試してみたか?」
「はっ。ごく小さい物を造り、大きな小屋で隠蔽して試してみました。お望み通りの結果にござります。あれなら初見では対応困難かと。知れ渡った後も十分使える手立てとなりましょう。」
「ならば、まずは良し。では光慶が敵であれば、あれに如何に対応する?」
「対策まで考えておけと…」
「うむ。武器というものは二度めは乗り越えられると思わねばならぬ。また自分も乗り越えねばならぬ。無限に続く乗り越え、乗り越えられる修羅の道、それが武器開発よ。武士なればそこから逃れることは出来ぬ。」
「確かに、槍がどんどん長くなり、鉄砲の射程も伸び、その鉄砲玉を止めうる盾も造られる。一歩でも先へ行けた者が勝つ………と。」
「そうだ。出来得れば更に一手先まで考えてみよ。直ぐには思いつかずとも、ふとした弾みに閃く。それが技術革新ぞ。」
「常に先の先まで思いを巡らせよと。心に居刻んでおきます。」
実は明智 光慶に関する伝が殆どない。当然光秀との親子仲も不明だ。とくに際立った醜聞も残っていないのでごく普通の親子だったのだろう。こうして話していても素直だが突出した才も感じられない。だがそれで良いのかもしれない。突出した才能は俺の時代で終わる。遅れてきた英傑の伊達政宗も俺が先んじて南蛮船まで建造して東北に回航すれば諦めて落ち着くだろう。伊達政宗は野望も大きいが切り替えの速さも随一で太平の世になってしまったと認識させられれば優秀な行政官になりうる。
「まあ、そう肩肘張らずとも良い。そのために光慶の兄弟をこれからたくさん作るのだ。できるだけ新しい兄弟達と遊んでやり世話してやるが良い。親のようにな。余計なことに気を使わずとも話し合える仲間に育つだろう。」
「父上はそこまで…」
「いや、これは利三達の心配りだ。俺は気がついていなかった。大名としては失格だな、ははは。」
「父上。この際お尋ねしてよろしいでしょうか。」
「おう、何だ、改まって。」
「我らの代での注意すべきは何でありましょう。より具体的に、誰を警戒するか…などですが。」
「そうだな、武家はあらかた儂が掃除しておくが、儂が家康の首を取り切れなかった場合は家康に絶対気をゆるしてはならぬ。他の武家は問題なかろう。」
「公家は如何致しまするか。」
「公家は実務に携わる者のみ残すが良い。無駄飯ぐらいの名前だけの公家は時間をかけて消滅させよ。すでに手が打ってある。」
光慶が頷く。利三や光春からも聞いているのだろう。
「外国、明…はもうすぐ滅び新しい国となるだろうが…南蛮とは門戸を閉ざしてはならぬ。が深入してもならぬ。交易のみ盛んにし、彼の地に領地を持つことはせぬが良い。」
「明が滅ぶのですか。」
黙って頷く。
「………そうか、滅ぶのも当然か。」
ほう、光慶なりに明の情勢を知っているようだ。まさか?という部分が剥がれ落ちれば正解に到れる程度には。
「それと、朝鮮とは関わらぬが良い。」
「?すぐ側ですが、離れるが良いと?」
「うむ。彼の地は唐との繋がりが深すぎるのだ。朝鮮にかかわると明、そしてその後継となる新しい国と衝突することになる。さらに唐のもっと北から危険な蛮族の国が南下してくる。それと衝突する。負ける訳では無いが無駄に血を流すことになる。」
「そんな国が有るのですか。」
「有る。南蛮の一派だが殊に質が悪い。が、きっちり備えておけば問題ない。海を堀となし撃退できる。水軍は貧弱な国だからな。そのために、光慶の代で蝦夷地を完全に把握せよ。そして蝦夷地の更に北にある大きな島、ト の文字のような形の島をいち早く抑えるのだ。また蝦夷から北東に小島が延々と連なっておるのでその小島も全て抑えるが良い。あと南にも小島がたくさんある。ほぼ真東にも数は少ないが島がある。後日絵図面を描いておくので日ノ本国内が落ち着いたらそれらを開拓するが良い。」
樺太、アリューシャンでロシアを抑え日本からの半島進出もさせない。これで未来の日清・日露戦争を回避する。東はウエーク島まで抑えておく。流石にミッドウエー島は遠すぎて無理だ。南方はマリアナ諸島まで抑える。こうなれば未来の日本は必然的に海軍主導の体制になる。史実のような陸海双方の顔を立てる二兎を追う事も無くなる。
「島伝いに海を広げるのですね。」
「そうだ、上手い言い方だな。その頃には世の中が落ち着いて戦がなくなり仕事にあぶれる者が出てくるので、そういった者を集めて植民させれば良い。最初は支援してやる必要が有るだろうが、そのうち自活ができるようになる。そしてその島々を守り交易路を海賊から保護するために水軍の充実に力を注ぐのだ。」
これだけ種を蒔いておけば未来はかなり変わってくるだろう。戦国時代までは軍備は確かに領国を防衛するのが本分で侵攻目的で整備した大名などほとんど無かった。それがいつのまにか侵攻目的が主で防衛目的が従になってしまった。太平洋戦争開戦前夜など駆逐艦は100隻にも満たないのに大型艦は空母(正規空母)6戦艦10重巡14(軽巡仕様の最上級除く数字)と30隻以上も有る。完全に頭でっかちでこれでは商船護衛どころか艦隊防衛すら穴だらけだ。日ノ本海軍に商船護衛思想を根付かせるには、今ぐらいから仕込んでおかないと駄目だろう。
「よく判りました。自分なりに考えてみます。」
ゆっくり頷いて返す。頼んだぞ、光慶。俺ができるのは精々此処までだから。