40-2 元服
誤字のご指摘、有りがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
まだバッハ生まれてなかった…ご指摘有りがとうございました。
よく聞いているカッティングに変更しました。ダウランド苦手なので(笑)
雑賀から戻るや日を置かずに八郎の元服を執り行う。
10歳そこそこでの元服は、標準よりかなり早いが湖北の戦には宇喜多勢の参戦も想定されている。元服後の参戦のほうが都合がよいだろう。
八郎の元服では予ての希望通り俺(光秀)が烏帽子親になる。秀吉から横取りするような形だが、運よく”秀”の文字が共通で重なっている事を利用するつもりだ。
すでに大広間の中央には八郎。
一列下がって宇喜多の重臣達が居並んでいる。上座に向かって左手には明智重臣。右手には予め俺が呼んでおいた羽柴重臣達も居並んでいる。
烏帽子親と言っても戦国の武家では公家と異なり、実際に烏帽子を付ける事はほぼ無くなっていて前髪を切る程度だ。ほんの形だけ剃刀を当てて面を上げさせる。
「八郎殿は以後、宇喜多秀家と名乗るべし…」
「はっ。有難く…」
その瞬間、割れんばかりの拍手と目出度い目出度いと言祝ぐ喧噪が沸き起こる。
ある程度落ち着くのを待ち、左手で場を静める。
「”秀”の偏諱は言うまでもなくこの光秀の一字であるが、羽柴殿の一字でもある。形の上ではこの光秀が烏帽子親なれど、実態としてはこの光秀と秀吉殿の両名が烏帽子親であると思われよ。」
「心得ましてございまする。」
秀吉に目を遣ると予想外だったのか声がでないようだ。
「ここに明智・宇喜多・羽柴の三家は固い絆で結ばれた。さあ、ここからは遠慮は無用じゃ。羽柴殿。さあ、こちらに参られませい。」
「み、光秀殿。これほどの面目、誠にかたじけない。」
「何をいまさら。さあ、ここからの仕切りは秀吉殿の独壇場じゃ。お任せいたしますぞ。」
「お、おお、そうであった。こりゃ、正勝(蜂須賀正勝)すぐに綺麗どころを呼びゃあ。佐吉(石田佐吉)すぐに膳じゃあ!」
秀吉の差配であっというまに宴となる。こういう秀吉の天性の陽気さはどうにも真似の仕様がない。
「ほれ、ほれ、ほれ~、この市松と一戦いたすのは誰じゃぁ~?」 「あれ~~」
いささか下品に遊女を追い回しているのは市松(後の福島正則)のようだ。
「フン。下手くそめ。こうやるのだっ!」
いきなり横合いから器用に遊女を小脇に抱えて連れ去ってしまった長身の髭面の若武者はたぶん、虎(後の加藤清正)だろう。座敷の端では謹厳実直が売りのはずの羽柴秀長が一人侍らせて2人だけの空間を造っている。あれは馴染だろうな。あいつ、こんな面もあったのか…
床の間にもたれ広間を眺めていたが羽目を外しなれていない明智の重臣も雰囲気に飲まれだいぶ砕けているようだ。
ちなみに、床の間は本来文字通り”床”ベッドであったとも聞く。そのためか背にしている床の間は現代の床の間と異なり高さ40cm以上の堂々たる段差があるのでもたれられるのだ。しかも大広間の上座を端から端までの境目無しの豪快な床の間だ。
その床の間の端に琵琶が有る。
「…ほう、琵琶か…」
転移前の俺は一時期クラシックギターをやっていた。ギターの前身であるリュートという古楽器は、ほぼ琵琶と同じと言っても良い物だ。
「弾けるかもな…」
適当に数音弾いて音程を把握する。
わりと楽に弾けるカッティングのグリーンスリーブスの変奏曲を即興で弾いてみる。丁度いまごろイギリスでリリースされる頃だろう。ルイス・デ・アルメイダがイギリスとも往来していれば吃驚するだろうが、それはそれで面白い。
「ほ~っ。聞いた事のない不思議な曲ですが、穏やかな気持ちにさせられまする。」
宇喜多忠家の耳をくすぐったようで寄って来る。
「よい音の流れでござろう。南蛮の曲らしい。」
「南蛮の曲とは。南蛮にも琵琶があるのでしょうや?」
「有る。南蛮人はリュートと呼んでいる。南蛮だけではなく、唐から南蛮へ向かう道中の小国にも呼び名こそ異なるが、ほぼ同様の楽器があると聞く。」
「左様でござるか。」
「離れていても、人そのものは大した差はないのだろうな。そういえば、その小国の人々の顔かたちや肌の色は、この日ノ本の民そっくりらしいぞ。」
「ほほう、それは一度会ってみたいものですな。彼らも南蛮人の侵攻に直面しているのでしょうや?」
「いや。今のところは間にある別の異国が強く、南蛮人の陸路での侵略は捗っておらぬな。なのでもっぱら船を使い海から侵略をしてきているのだ。だが…」
「だが?」
「…だが我ら日ノ本が船での侵攻を挫けない場合は他の小国など早晩征服されよう。忠家殿。我ら日ノ本の役目は殊の外大きゅうござるぞ。」
全く………鎖国なんかしている場合じゃなかったんだよなあ。