39-2 宇喜多
「左大弁様、備前より宇喜多様が参られてござります。」
左近と入れ違いで今度は宇喜多か。そういえば、まだ宇喜多の人間とは直接会ってなかったな。宇喜多としても装備や兵糧の支援を受けているので挨拶に来たといったところか。
「お初にお目にかかります、某は宇喜多忠家、これなるは我が主、八郎(後の宇喜多秀家)でござります。」
「八郎です。左大弁さま。」
急死した宇喜多直家の後を十歳そこそこで継いだ八郎こと宇喜多秀家だ。親とは似ても似つかぬ真っ直ぐな性格。期待できる若手だ。是非とも光慶の羽翼に育て上げたい。
「おお、よくぞ参られた、八郎殿。八郎殿の才はすでにこの左大弁の知る所ですぞ。」
「ありがとうございまする。」
「なにか解らぬこと、お困りのことがあれば遠慮なくこの左大弁光秀に頼られよ。」
「では、左大弁さま。今建造中と聞きます南蛮船が見とうございます。」
「は、八郎様、それはまた後日あらためて…」
宇喜多忠家が慌てている。今日は顔合わせ程度に考えていたのだろう。
だが、南蛮船か。やはり麒麟児の一人よな。
「ほう、南蛮船に目が向くとは流石ですぞ。八郎殿。よろしい、新型ジーベックが完成したら岡山沖まで訓練をかねて回航させましょう。我が工夫も施してござれば、船内までじっくりと検分なされませ。」
「ありがとうございます、左大弁様!」
「で、八郎殿は何故に南蛮船に興味をもたれましたのかな?」
「はい。とてつもなく大きな船と聞き及んでおります。その仕組、動きが見とうござります。」
なるほど、10才そこそこの男子だ。メカに目がない年頃だからな。
「成る程、成る程。では八郎殿は南蛮船を持つ利点はどのように思われますかな。」
「さ、左大弁様、我が主はまだ十歳の童でござれば、その…」
「よい、忠家。儂は左大弁様ともっと話がしたい、左大弁様はなにかを教えて下さるようじゃ。」
おお、これは予想以上に敏い。将来が楽しみだ。蒲生賦秀に最初に会ったときの信長もこのような気分であっただろうか。史実で秀吉が養子にしたのは政略目的だけでは無かったのかもしれぬ。
「直家殿は良い御児に恵まれましたな、忠家殿。では八郎殿。某が明かします前に八郎殿の思われる事を先ずはお話くだされ。」
「はい。強い水軍を持てれば周囲の侮りをうけませぬ。また海からの侵攻を気にせずに済みまする。こちらが攻める場合も敵地の沿岸を遊弋するだけで、敵兵を分散させれまする。」
「左様左様。先ずはそこでしょうな。だが水軍の目的は本来は海賊から商船を守り円滑な海運を保証することですぞ。制海権…聞き慣れぬ言葉でござろうが、平たく言えば海を支配すること…でござるが、制海権を握っていれば自分だけ大量の荷を自由に運べまする。それは自分の国だけ飛び抜けて大商いが叶うのです。そうなれば頼まずとも商人が揉み手で近づいて参りましょう。それでさらに大商いに…。陸路を荷で運ぶ量など海運に比べれば微々たるもの。日ノ本一の水軍を持てば日ノ本の大方の物の動きを抑えたも同然なのです。そしてそうなれば、敵対している大名など無いも同然。初めから分国まるごと兵糧攻めに出来るのですからな。」
横で聞いている宇喜多忠家が青い顔をしている。備前を完封される恐怖を思い浮かべているのだろう。
「よくわかりました。左大弁様。隔絶した水軍を持てれば最早戦にもならぬのですね。」
「その通り。そしてそれは今の日ノ本と南蛮の関係でもあります。今のところは圧倒的に南蛮が有利。ソレを覆すため、今、鋭意日ノ本水軍の基幹となる軍を創ろうとしているのでござる。」
「ご丁寧に教えていただきありがとうございます。よろしければ、柴田勢との合戦が終わるまで、こちらに置いて頂けませぬか?」
「! と、殿、いきなり何を仰せで!」
「忠家、今、備前に我が帰ってもただの飾りにしかならぬ。だが、数ヶ月でも左大弁様に教えを請えば必ずや大いに得る物があろう。国元は忠家達が居れば問題あるまい。わがままを聞いてもらえぬか?」
「よくぞ申された、八郎殿。されば客人としてこの左大弁に同行されなされ。そして我が政を盗みなさるが良い。備前の民の肥やしになること請け合いじゃ。では忠家殿、心利きたる側付きの者も手配してくだされ。八郎殿の身柄はこの左大弁の名にかけてお守り致す。」
機先を制して事を進めてしまう。おっとこのままでは備前国元の留守居達に人質を取られたと勘違いされてしまい、忠家の立場が危ういな。
「それから、どうだ忠家殿。いっそ雪解けを待つまでもなく宇喜多勢の一隊、二百でも五百でもこちらに派遣して一緒に調練してみては。大和の島左近など、面白い訓練を始めるところだ。雑賀に回って建造中の南蛮船や新型銃を見るのも良いぞ。」
「よろしいのでござるか?明智様の強さの根幹でござるが…」
「かまわんかまわん。他国が真似できる頃には我はもっと先に行って居る。それにすでに手紙で薩摩の島津殿には数十万石に値する知識も渡してある。日ノ本はもっともっと発展せねば南蛮に飲み込まれようぞ。それには明智だけでは手が回らぬのだ。」
ほう、薩摩を…と忠家がぼんやりしていると、
「忠家、いかが致した。左大弁様がわが備前勢を強化してやろうと、申されておるぞ。」
「あ、これは失礼をば。あまりに大きなお話で呆けておりました。勿論有り難く手配させていただきまする。」
よしよし。これで宇喜多もいずれ譜代同様に育ってくれるだろう。直家亡き後の宇喜多は裏切る恐れが殆どない。あとは家康に備前をかき回されないように注意しなければ。史実の関ケ原の戦いでは西軍主力を担った宇喜多勢だが、関ケ原の戦い前に国元が割れ、本来の宇喜多の実力より数段劣る状態での参戦になってしまっていた。タイミングが良すぎる事もあって家康の謀略の可能性が高いという意見がかなり多い。勿論、最終的に勝者となった徳川側がそんな謀略を認めるはずもなく、実態は闇の中だが。
そして宇喜多の二人が去った後、今度は斎藤利三、明智光忠、阿閉貞征ら、近在にいた家老達がやってきた。
「どうした、三人揃ってとは珍しいな。」
「左大弁様、お願いしたき儀がござります。」
代表して利三が話を進めるようだ。
「うむ、して何であろうか。」
「側室を設けなされ。」
「なっ!」
「煕様一筋はわかっておりますが、お家のためでござれば煕様とてご理解なされましょうぞ。」
「子なら光慶が居るではないか。」
「はっ。ご立派に成長なされました。が、ただお一人にこざいます。手足となる兄弟が居りませぬ。並の大名であればお一人でも良いでしょうが、明智は大きくなり申した。このままでは光慶様のご負担が大き過ぎまするぞ。」
「…ふうむ。光慶のためにも側室を娶れと…」
「左様でござる。今から子作りされればお年も離れており、お家騒動の恐れも有りませぬ。左大弁様に側室を入れたがっている大名なら山のようにござる。この半年で帰順した今一つ不安定なお味方をしっかり結ぶ絆にもなりまする。良いこと尽くめでござる。」
「それはそうであろうが、儂はすでに五十路ぞ。」
「五十路如きが何ほどの事。かの毛利元就公は五十路以降に六名も男子を授かっておりますぞ。最後の男子は元就公七一歳で設けてござれば、なんら障害になりませぬ。」
いや、あんな大英雄を引き合いに出されても…しかし側室か。これは盲点だった。まだまだ現代人の感覚が修正しきれていなかったな。政略結婚はこの当時の基本手段だ。いままでのように実利を提供する事のほうが異常ですらある。だがなあ………。まだまだ連続して合戦が待っている。合戦の隙を突いての過酷な子作りになるだろうが致し方ないか。
「わかった。儂に釣り合いそうな側室を選んでくれ。それに当たっては大名だけでなく、領内の庶民、そうだな丹波の農家の出で一名、山窩か河原者から一名、伊賀の忍びの里から一名、雑賀衆から一名といった具合に武家に偏らぬようにせよ。当然だが全部を網羅する必要はないぞ。たとえば…の話よ。商家は…これは実利での結びつきのほうが良かろうから無くとも良い。あと公家は無用じゃ。公家と武家の線引があやしくなる。他はこれと思う大名で良い。」
「お聞き届け戴きありがとうございまする。山窩か河原者からとは驚きましたが、云われてみれば当然ですな。」
「どうせ側室を取るなら此の際に明智の考えを世に広めたいのでな。武士や公家だけが偉いのではない。それぞれの職でそれぞれの役目がありそれは代わりの効かぬものなのだ。武士も鍛冶も商人も重要なのだ。」
「武士は農民こそ大切と思っていても、商家や鍛冶は内心で馬鹿にしておりましたからなあ。勿論明智の武士はそんなことは有りませぬぞ。」
「日ノ本の内で差別などしている余裕は無い。真の主敵は南蛮の侵略者と心得よ。柴田も徳川も南蛮に備えるための障害になるので排除致す。少し哀れであるが、かれらを手取り足取り導いてやる暇はないのだ。」
徳川も2代目の秀忠は手を取れそうだが初代はどうにもならん。野望が大きすぎる。細川同様に代替わりを促すしか無い。同じ野望でも伊達政宗は何故かそこまで危険視する必要を感じないのは何故だろう。無理と分かれば切り替えて大人しく出来るあの性格のためか。いや、伊達にはその野望よりもっと大きな夢を提示すれば乗って来る…そう思えるから怖くないのかもな。何より、家康と異なり新しい物好きなのが良い。それこそ、海軍提督の席でも提示してやるか。南蛮軍との決戦の現場最高指揮官でも匂わせれば目の色変えて食いついてきそうだ。