03 転進
「日向守様、西国街道沿いの村々、商家、その他町人などへの避難勧告完了。沿道から離れし村にも順次通達中。」
歩兵部隊の大軍を率いて桂へ転進する途上、報告が入る。俺の脇を可児吉長が固めている。可児吉長にはこの戦で手柄を挙げさせて重臣に抜擢したいところだ。筒井順慶の元で燻ぶって居る、島 清興(左近)なども引き抜きたい。今回の戦いで戦勝すれば、筒井順慶はバツが悪かろう。そこに付け込めば…
「うむ。河原者などにも漏れなく知らせよ。常々注意して居るが、河原者や山の民も我が領民同様に接するのだ。」
「は。すでに河原者にも知らせてあります。山の民にはつなぎの依頼も兼ねて、伝五様が直接向かわれておりますれば。」
藤田伝五行政。先代から我が家に仕える腹心の一人だ。実直すぎて大和の筒井順慶には翻弄されてしまったようだが山の民相手なら、その実直さが良い方向に働くだろう。
「羽柴勢の動きはどうなっている?」
吉長が伝令に問いただす。後方が気になる気持ちを抑えかねているようだが口調は冷静だ。
「は。やはり山崎での決戦を考えていたようで、各方面に兵を展開中のようです。」
「解っている範囲で良い、できるだけ詳しく。」
吉長は逸っていてもここで後先考えず突っ込むような気はないようだ。やはりこいつは使えるな。
だが、先を急ぐのでここらで俺も割って入ろう。
「秀長、黒田などが天王山方面の抑え、西国街道を中川、高山など摂津衆が突っ込んできているのであろう。だが他に池田などが永荒沼の南東を迂回して淀川沿いから狙っておるはずだ。」
吉長と伝令が驚愕している。まあそうだろう。まだ誰も池田などの動きまではつかんでいないはずだからな。
しかし、すでに俺の作戦が発動していて歴史は変わりつつ有る。今はこの羽柴の無駄な動きをいかに利用するかだ。
「…殿。騎馬隊が牽制をするまでもなく、すでに羽柴は兵を散らしておる様子。」
「うむ。このあとも移動するたび、側面や後方を襲われるので羽柴勢の前進は捗るまい。当分は戦闘隊形を維持して這うような動きだろうな。こちらはゆるゆると、普通に移動させよ。」
下知を伝えに去った伝令も吉長も尊敬を込めた目だ。まあ、いきなり羽柴の陣形を開示したからな。未来知識を利用したペテンだが、この際とことん利用しよう。
…
…
その後しばらくは何事もなく平穏無事な行軍が続く。
時折、騎馬隊から襲撃成功の伝令が届く。成功とは言っても嫌がらせだ。荷駄に火矢を射たとか、2人小者を射殺したとかの地味な戦果だ。その度、大げさ気味に褒めておく。それで十分な戦果であると徹底しておかないとな。騎馬隊に深入りさせないように配慮しておく。
そうこするうちに、京の南西部を突っ切って桂に出る。公家どもが誰かやって来そうなものだが、誰も来ない。まだ勝敗がつかないので何れにも関わりたくないという腹だろう。こちらも公家に用はないので無視する。
「殿、坂本勢が見えてきましたぞ。」
先触れしておいたので、すでに坂本城の兵も桂まで移動してきており隊列を組んでいる。指示通り全物資を持っての移動なので荷駄が多い。坂本城兵の隊列から指揮官が一人やってくる。
「殿、この左馬助もまた陣列に加われて嬉しゅうござる。」
俺も嬉しいぞ。右腕とも云うべき明智秀満(左馬助光春)抜きでの決戦とか、そんな罰ゲームはしたくない。光春と坂本の二千の兵を吸収するのもこの作戦の目的の一つだからな。これで丹波まで各地の小城の守備兵を吸収しつつ集中すれば、やせ細った羽柴勢とほぼ互角になるだろう。互角の人数であれば、地の利のある我らが負ける目はない。
「うむ。勝てる算段はしてあるので無理せず戦ってくれ。この戦いで終わりではない、兵にはできるだけ無理をさせないように頼む。」
「心得ております。正直、中国から返してきた勢いのある羽柴勢に山崎で真正面から当たるのは如何なものかと危惧しておりましたが、これなら盤石ですな。問題は京におわす主上ですが、羽柴とてわざわざ無体な事をして敵を作ろうとはしますまい。」
「そのとおりだ。羽柴はわざわざ京で略奪などはせぬよ。き奴には野望が有る。織田の残党を丸呑みして、天下を伺おうという野望がな。」
「まさか、そのような…」
「…ふ。今までは信長公に頭を抑えられていたので大人しくしていただけの事よ。ついでに言えば、三河の家康も同類よ。」
「…たしかに、よくよく考えてみれば、家康などは織田家相手に恨みこそ有れ、恩はありませぬな。」
なにせ、嫡男を謀叛の言いがかりで切腹させられている。すでに猛将の頭角を現しつつ有った徳川信康を、織田信長が恐れたからだとも云われているが…
「ああ。だから今頃はやっと軛がとれて伸び伸びしているだろうよ。」
「ならば、残るはこの羽柴と柴田ですか。遠国の滝川は動けないとして。」
「柴田は上杉に足を取られておる。越前から南下できるようになるのは年明け以降だ。」
「柴田は苛烈な上杉攻めが裏目にでましたな。」
柴田勝家は北陸戦線で上杉景勝方と組み合っているが、その苛烈な仕置のためとても和議が結べる状況ではない。劣勢な景勝方が末端に至るまで死兵化して徹底抗戦しているのもそのためだ。
「うむ。だから羽柴相手に焦る必要はない。年内半年を目処にゆっくり相手すれば良いのだ。」
軍の再編も終わったようで、近江勢とはここで分離になる。主だった近江勢の諸将もすでにきていて今の話を聞いている。
「では貞征、祐忠。近江勢は任せたぞ。くれぐれも無理に兜首を狙うでないぞ。首など無くとも諸将の働きは必ず評価致す。」
「お任せください。遠路退却する羽柴勢をさんざん削ってくれましょうぞ。殿もご武運を。」
山陰道を丹波へ向かう本隊と西近江路へ一旦引く近江勢にわかれる。この近江勢には畿内に残置される近江の騎馬隊も合流することになる。(勿論丹波勢所属の騎馬隊は羽柴勢よりも先に丹波に引く)。
大量の物資を抱え山陰道をしずしずと丹波に向けて登ってゆく。途中で亀山城、余部の丸岡城といった沿道の小城の守兵と物資を吸収しつつ焦土作戦(実際に焼くことはないが…)を遂行、篠山盆地入り口の八上城まで戦略的撤退をするのだ。丹波の住民は光秀に心服しているので民衆も恙無く持てる限りの物資とともに北や西の奥地に疎開してゆく。後方の黒井城からは守兵の半数を呼び寄せ、八上城対面、篠山川をはさんだ北東側にある細工所城はじめ付近の砦の兵は物資とともに完全に撤収させる。
「殿。八上城まで引くとのことで、籠城戦かと思いましたが、これは野戦の陣立てですな…」
光春が逐次完成していく篠山川南岸一帯の野戦陣地を見て話しかけてくる。
「そうだ。羽柴勢は多勢とは言え、内訳をつぶさに見れば欠点が目につく。よって、ここで積極的に羽柴勢を叩いておく。与力の摂津衆などはその場の勢いに押されているだけで、元より長期戦の準備など無い。桂付近まではなんとか付いて来ようが丹波路に入る前に離脱して領地に引き返すだろうし、物見の報告でもそれが裏付けられている。」
羽柴勢の様子は残置している騎馬隊から詳報が入っている。
「ですな。手弁当では丹波までは付き合い切れますまい。」
「秀吉本軍そのものが無茶な機動で物資がカツカツだ。姫路城の倉を空にして居ようがまだ足りぬ。とても摂津衆へ手当できるだけの手持ちはなかろうな。」