37 北近江作戦会議
この回あたりから、書き溜めしていた図表が減ってくるので更新ペースが1話ずつ程度に下がってきます。
じわじわブックマークとかが増えてくるのは、我が子の成長を見るようで嬉しいですね。
美濃方面の手当に目処がついたので主戦場になる北近江、余呉湖方面へ向かう。
賤ヶ岳の戦いの主戦場になった余呉湖周辺を大雑把に山地と街道を記入すると下図のようになる。
余呉湖周辺図
図の通り、塩津と大浦から北に伸びる細い谷を除くと余呉湖北岸だけに比較的開けた場所がある。
此処が賤ヶ岳の決戦場になったのも頷ける。
史実でも秀吉方は余呉湖北岸から東近江路の東の山にかけて集中的に布陣して東近江路の出口を扼すように布陣している。だが、大浦方面はもとより塩津方面も全く手当していない。この方面は前田利家の分担だったので無視できたのだろう。つまりは開戦前からすでに前田利家の寝返りは明白で戦況が不利なので撤退したなどという言い訳は噴飯物だ。
で、柴田勝家側だが、これが凄い。勝家本軍は堂々と東近江路の棒道を柳ヶ瀬まで進出、秀吉勢とにらみ合いまでは普通だが、猛将佐久間盛政が塩津街道方面の谷を迂回、余呉湖真西の山を突っ切り余呉湖に出て、さらに余呉湖南岸をぐるっと回り込み真南から秀吉方の中川清秀の陣に(背後から)襲いかかっている。普通はとても出来ない機動で如何に勝家勢が精強であったかがわかる。
だが、この佐久間勢の後詰め担当が当然ながらこの方面の主力の一人である前田利家で、利家は自分の持ち場では戦わないはずが佐久間盛政の奮戦で秀吉敗北の原因になりそうになってしまう。そこで戦闘中に先鋒の佐久間盛政勢を放置して勝手に戦線放棄離脱した。いきなり後方部隊が消えてしまった佐久間勢は敵中に孤立壊滅した。前田利家が普通に佐久間勢後方を守備していれば、賤ヶ岳の戦いがどうころんだか、五分五分だっただろう。
史実の経緯はさて置き、この世界では前田利家の寝返りを予め阻止してあるので大浦や海津方面からの勝家勢の迂回横撃が成功する可能性がある。それを踏まえて布陣せねばならない。
「左大弁様、いましがた使番が参り、黒田官兵衛殿が余呉で合流するとの事。」
官兵衛は海津西内城を出る時に余呉方面を下調べに行くと言って別行動になっていた。
決戦予定地の下見に出ていたのだろう。
「はは。どうやら言いたいことが山ほど有るようだな。光春。」
「全く。かの御仁は己の智をひけらかし過ぎですぞ。あれでは味方からも反感を買いかねませぬ。」
「うむ。だがその指摘は的を射ておるからの。まあ、そう毛嫌いするでない。軍師とは一種の道具だ。大将と異なり責任はない。そのかわり、その献策を使うも使わぬも大将の胸三寸。物にあたっても仕方なかろう。」
「は、物…でござるか…。」
「物と云うのが言い過ぎなら、動物だ。忠実な犬と思えば良い。忠実な犬は飼い主がすでに見えている危険でも、飼い主がはっきり犬に『判っている』と伝えるまで警告しつづける。とにかく知っている限りの情報を飼い主に伝えようとするだろう?それと同じと考えよ。」
「はぁ…それはそれで犬が可愛そうでござるが…。すこし官兵衛殿が不憫に思えてきましたぞ…。」
「まあ、気の持ちよう一つという事だ。で、どうだ。柴田方の斥候は出てきて居るか?」
問いかけると光春の斜め後ろに一騎あらわれる。
「すべて始末済み。」
「うむ。大義。だが無理はするでないぞ。」
「余裕にて。ただ、旅人・商人の口は塞げませぬ。」
「当然だな。」
一般人の目があるので街道に直接要塞を築く事はできない。だが山腹や山頂の砦なら予め準備できる。
「左大弁様。街道はやはり中山道や北国脇往還同様の塞ぎ方になりましょうや?」
光春ももう慣れてきていきなり背後に忍びが現れても動じなくなった。
それが良いのか悪いのかは微妙だが。
「そうよの。同様の装備を準備しておけば兵力と火力でも上回っている故、そう簡単に突破されることはないが…それだけでは足らぬと思うから官兵衛が来るのだろう。」
「では今夜は軍議ですな。」
光春も納得し、それ以上は深く聞いてこない。ここらは地味に有り難い。会う人会う人に説明していてはこちらが疲れてしまう。結局今夜は余呉湖の東北東、東近江路近くに有る菅山寺に宿を取った。ここは菅原道真も縁がある古刹だが現代では無住となっている。
「やれやれ、左大弁様はお硬すぎますぞ。のう、光春殿もそう思われぬか?わざわざこんな山寺に宿を取らずとも、長浜でも木之本でも、それこそ麓の中之郷ですら、綺麗所の数人程度即座に集まるというのに。」
「官兵衛、すまぬな。どうにも性分でな。筑前(秀吉)殿のようには割り切れぬ。」
「左大弁様はそこが良いのでござる。官兵衛殿は砕け過ぎでござる。」
「おやおや、流石長年の主従、お似合いで御座るか。」
「それより要件があるのだろう。此処には我ら以外誰も居らぬ。声高に話せるぞ。」
「仕方ないですな。では絵図を。」
予め準備してある絵図面を広げて3人で囲む。
当時勝家が差配していた分国は越前(50万石)・加賀(36万石)・能登(21万石)・越中(39万石)だが、越中の佐々成政は上杉景勝への抑えで動かせない。動員可能石高は107万石、隣国への遠征のため一万石当たり標準の250人として約27000になる。上杉景勝は連年の織田家の猛攻で疲弊しているため、越中から4000程度を無理して引き抜いて最大31000が限度だろう。
他に、織田家で動きそうな織田信孝とそれに呼応できるのが美濃(54万石)・南信濃の過半(約20万石×0.7程度で14万石)、兵力にして17000が美濃方面に在る。
さらに滝川一益の伊勢長島から目一杯動員、遠征したとして(15万石×0.9)3500程度が美濃勢に加わる可能性がある。
それに対して、明智方は丹波(26万石)・山城(22万石×0.5=11万石)・近江(78万石×0.8=62万4千石)・伊賀(10万石)・大和(45万石×0.5=22万5千石)・河内(24万石×0.5=12万石)・摂津(36万石)・和泉(14万石×0.7=9万8千石)・紀伊(24万石×0.5=12万石)・播磨(36万石×0.3=10万8千石)・但馬(11万石)・丹後(11万石×0.9=9万9千石)で占めて233万4千石、58350の兵力だ。
さらに明智方には宇喜多、長宗我部の援軍各5千が加わるので7万の手前に迫る大軍になる。
(寺社勢力がまだ整理しきれていない山城と大和は実働兵力を大きく減らしている。また、敗戦直後で動員力が衰えている播磨も同様に処理した。水軍の比率が高い紀伊も見込み兵力を割り引いた。)
「美濃方面からの侵入の封鎖はできそうですかの?左大弁様。」
官兵衛がまずは無難な線から探ってくる。土台と成る前提条件から確認するのは当然だが多分に智将としての駆け引きを楽しむ様が伺える。
「まずは大丈夫だろう。蒲生の子息も味方になったので、万が一の信雄殿を焚き付けて伊賀に攻め入ってくる目も消えた。」
信雄とは伊勢を領している織田信雄だ。単独で伊賀を攻めそこねて信長に大目玉をくらった過去がある。トラウマが在るので動くことはなかろうが、蒲生賦秀が敵側であった場合は賦秀が信雄から兵を引き出して伊賀に寄せてくる恐れも僅かだが有ったのだ。
「ほう?あの蒲生殿をのう…事調略にかけては我が主秀吉が飛び抜けていると思うて居り申したが、左大弁様もなかなかどうして、勝るとも劣りませぬな。」
「感心されておる場合では有りませぬぞ、官兵衛殿。その蒲生賦秀殿をいきなり北国脇往還封鎖の主将にと左大弁様は下知され申した。しかも副将は光慶様でござる。」
「ほほう、光慶様をあえて副将にのう。人誑しまで筑前様に匹敵するとは。これでは筑前様の立つ瀬がござりませぬな。なに、心配無用でござる、光春殿。これだけ煽て上げられては意地でも大戦果をあげざるをえぬ。蒲生賦秀とはそういう御仁でござるよ。」
「はぁ。官兵衛殿までそう申されるのであれば、致し方ござりませぬ。」
「で、左大弁様。やはり勝家は東近江路を寄せて参りますかな。」
「そこはまず確実だろうな。自分が苦労して整備した道であるのみならず、東近江路を逆に突破されては越前が一溜まりもない。攻防ともに最短距離になり最も良く整備されているこの道を外す事はできぬ。」
「東近江路は全くの一本道なれば、東近江路の中で軍の進退を競うことは出来ませぬな。ただただ単純な正面攻撃しかできませぬ。いずこかで砦などを左右に築かれたなら、そこで膠着ですな。」
「うむ。官兵衛の申す通り当然そうなる。また双方ともに砦を築くので東近江路はすぐに膠着するだろうな。」
「ならば、そのまま膠着が続いた場合は明智方と柴田方の何れに利がうまれますかな、光春殿。」
「じ、自分でござるか?…それは、…うーん…あ!それは我が明智勢が有利でござる。」
「それは?」
「それは我が明智勢は西にこれといった敵を抱えておりませぬが、柴田勢は越後の上杉景勝が時と共に力を取り戻し越中に攻め返して来るのは必定ゆえ、悠長に睨み合っては居られませぬ。」
「お見事。光春殿もなかなかでござりますな。では睨み合いで終わらぬように勝家は如何致しましょうや?」
「軍勢が睨み合って膠着となれば…正面から挑発して引っ張り出すか、側面に別働隊を出し回り込んで部分的な優勢を作り出して動かす…ですが、東近江路は棒道で回り込めませぬな、なので…」
「…なので…?」
「なので、塩津街道に一旦出て西から横撃するしか有りませぬ。海津は左大弁様がいち早く封鎖しましたが塩津街道は阻害しておりませぬし。道も悪くない。いささか補給路が心細いですが、敦賀さえしっかり守り、疋田や追分に物見を配置しておけば退路を絶たれることはないはず…余呉湖北岸は開けていますし仮に南岸で遭遇戦になっても、余呉湖東岸あたりまで押し込めさえすれれば………東近江路の勝家本隊からでも戦闘が始まっていることは把握できましょう。別働隊が暫く奮戦していれば、東近江路の本隊も呼応して良い戦ができましょう。…え?まさか左大弁様は勝家勢がこう動きたくなるように、わざと塩津街道が使える状態でお膳立てしてきた?」
「おお、光春殿、お見事で御座る。まさかここまで到達されるとは、この官兵衛の予想のかなり上でしたぞ。」
「官兵衛には困ったものだな。光春がそこまで読めるということだから、もう一捻りが必要やもしれぬ…そう言いたかったのか?」
「いやいやいや、それは深読みのしすぎでござる。本当に光春殿はこの官兵衛の予想を大きく上回られた。勝家勢にさほどの策士は居りませぬ。十中八九、この通りに動きましょう。誰が見ても常識的な動きでござるし多少は局面を動かせる余地を造っておかぬと千日手になり申す。」
「 ? 官兵衛殿。さきほどにらみ合いなら我が明智勢が有利と云われたのでは ? 」
「左様。勝家勢と明智勢でのみ比べるならば、そのとおりでござる。が、まだ居りましょう。ほれ、面倒な狸が。」
「面倒な狸…、東海道の家康殿でござるか。」
「それそれ。家康殿は信雄に話をつけて尾張伊勢の織田勢と力を合わせて東海道から攻め登る事も出来たのにまったくその気配がない。前右府様に雁字搦めに縛られていた鎖が本能寺で解けたのを幸いに、甲斐を横領すべく狂奔してござる。さらに信濃にも唾をつけております。まあ、旧信忠殿の家臣団だった南信濃高遠城の毛利長秀殿と北信濃海津城の森長可殿の堅守、さらに、ふふ。どういうわけか影に陽に家康の邪魔をしている真田昌幸殿のために家康の信濃横領の目論見はまったく捗っていませぬがな。」
「…そのようなことに…そうか、それでも時を置けば甲斐を平らげた家康殿が本格的に信濃まで横領してくるので明智勢としても勝家とは早めに決着をつけたいと云う事なのですな…」
話が途切れ微妙な空気が場を支配する。
「 ? 官兵衛殿 ? 左大弁様も………なにか間違いがござりましたか? あ、え?!まさか真田殿は左大弁様と繋がって居るのでしょうや?」
「やれやれ…。官兵衛、なにもそこまで表沙汰にせずともよかろうに。」
「それもそうでしたな。いや、ついつい何処まで光春殿が付いてこられるか興味が湧きましてのう。左大弁様の普代衆は皆優秀でござりますなあ。残念ながら羽柴様の譜代衆ではここまで付いてこられる方は居らぬ、いや、居るには居てもまだ初陣もおぼつかない若者が少し…」
「それは仕方ござらぬ。秀吉殿は全くの一代でここまで成り上がられてござれば。」
「確かに。まあそれ故この官兵衛が如き者でも重用戴けたわけですが。」
「話がそれたな。で、どうだ、光春。だいたいの戦場の様子が思い浮かべられたか?」
「はっ、まだ何も始まらぬうちからここまで絞り込めるとは、驚きでござります。」
「うむ。つまりは簡単に抜かれては困るが、それなりに隙を突いて決戦したくなるような布陣でなければならぬという事だ。一見相反する要求だが、官兵衛、どう布陣致す?」
「そうですな、やはり長駆迂回してくる別働隊を引き込んで殲滅しそのまま逃げる敵勢を追撃して越前まで雪崩れ込むのがよろしいでしょうな。北から来る勝家本体は本気で押し留める堅陣を、西から回り込んでくる別働隊には、さも北からの攻撃にしか供えていないような擬態を…ですかな。」
「ふうむ。北はそれで良いとして、西はそれでは味方にも被害が出るぞ。それに被害を受ける味方にわざと側面を弱くしたとも言えぬ。」
「…それは…言い出しっぺの我が黒田勢が引き受けます。」
「馬鹿を申すでない。足弱の黒田殿を左様な配置にできる訳がなかろう。以前も申したが、もう羽柴殿のために捨て石を買って出る必要はない。今動かせるほぼ全軍を添えて送り出してくれた羽柴殿への恩義を思うて居るのだろうが、儂は羽柴殿については微塵も疑うておらぬのだ。儂は羽柴殿のその根幹となる欲望を信じておるのでな。」
「 ? 欲望 ? 」
官兵衛と光春が目を見合わせている。光春はともかく、官兵衛も気がついておらぬのか。まだこの時期では秀吉のコンプレックスの裏返し、身分の高い家柄の女性漁りは始まっていないからな。
「まあ、今は筑前殿の事は良い。とにかく、大損害が必至の囮部隊の採用は出来ぬ。」
「…有り難いお言葉なれど、ではどうやって柴田方の迂回部隊を呼び込みまするか?呼び込まず好き勝手にさせますと思わぬ被害が出ますぞ…。」
「うむ。誘い込んで別働隊の攻め筋を特定するところまでは同じでよい。違うのは攻められた部隊はそのまま一目散に逃げる。最初から逃げる準備もしておき、逃走路も整備し演習もしておく。」
「なんですと ! 逃げる練習までさせておくですと ! 」
「うむ。光春のような勇猛な者には不服かも知れぬが、別働隊でやってくるのは猛将勇卒揃いの柴田勢でも選りすぐりだ。白兵戦では相当な被害を覚悟せねばならぬ。だが最初から逃げると決めておけばほぼ無傷で撤退出来る。攻める側は部隊を展開し歩調を合わせて寄せねばならぬが、逃げる側は味方の速度差を無視して個々がバラバラにひたすら逃げれば良いのだからな。」
「…はぁ…それはそうでござるが、いきなり逃げるのでは、なんとも…」
「よいか光春、心して聞くのだ。この逃走する部隊はこの戦の行方を左右する最も重要な部署だ。ここで部隊が無傷で逃げおおせ、予め決められた安全な場所で部隊再編成を果たし、目標の敵に逃げられてタタラを踏んでいる敵迂回部隊に逆突撃をするのだ。もちろんその頃には突出した敵の迂回部隊は周囲の友軍から撃たれてかなり弱って居る。その命脈を絶ち一気に迂回部隊を遥か北の曽々木あたりまで追い立てねばならぬ。」
「…曽々木…」
「曽々木まで追い立てられた敵の残党は一部が間道を抜けて刀根へ逃げる。そこでやっと柴田本隊が敗戦を知り本格的に撤退を始める。そこを明智本隊が一気に押し出し東近江路の棒道を越前まで追撃して勝家を打ちのめすのだ。」
「ふうむ………、左大弁様は部下の面子も考慮されておる。最初に戦わずに逃げた部隊が追撃の主力になり満天下に勇名と知略を轟かすわけですぞ、光春殿。これはまさに光春殿にうってつけの大舞台ではござらぬか。」
「え?官兵衛殿、儂(光春)が?」
「当然でござろう、ここまでなんでわざわざ左大弁様が説明されたとお考えか。このお役目は知勇兼備の勇将でのうては叶わぬ。残念だが足弱の儂(官兵衛)では果たせぬ大役ですぞ。」
「やってくれような、光春。」
「…っ。そこまで云われては受けぬ手はござらぬ。必ず曽々木まで追撃して見せましょうぞ。」
官兵衛と目が会い、にやっと笑い合う。
「で、曽々木まで追撃は良いとして、その後は如何に?」
「うむ。塩津海道の追撃が始まったら海津の部隊にも琵琶湖を使って繋をつけ、西近江路を追分まで進出させる。さらに連絡に1~2日程度遅れて国吉城の部隊を先鋒に小浜に集結させた丹後・若狭・但馬・播磨の勢とその他の援軍で敦賀攻撃軍を編成し一気に敦賀を制圧し、あわよくば塩津街道で勝家の別働隊を前後から挟撃する。先に別働隊が敦賀に逃げ込んだ場合は無理攻めはせず、大軍で敦賀を包囲する。敦賀の天筒山城と金ヶ崎城の双子の城は本来相当な堅城だ。無理攻めで落とせる城ではないのでな。」
官兵衛と光春が頷いている。作戦、戦略ともにふたりとも良く理解してくれたようだ。
「して、この光春がまずは逃げるために布陣する場所は何処に?」
「ここじゃ。」
地図で指し示した場所、それは史実で佐久間盛政が最初に余呉湖にでた余呉湖中央付近の西岸だった。