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光秀、下天の夢を見る  作者: 狸 寝起
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35 日野の蒲生

瀬田から日野へ行くには草津から東海道に入り甲賀の水口をて日野に至る方法と、中山道又は後世朝鮮人街道と呼ばれる中山道より琵琶湖寄りの脇街道を安土付近まで進み、そこから後の御代参街道を南下する方法がある。安土城はボンクラで有名な織田信雄が本能寺の変直後に燃やしてしまったのだが俺が光秀に憑依してから見ていないので、安土周りで行くことにする。


挿絵(By みてみん)


ちなみに、中山道が何故琵琶湖のもっと近くを通っていないのかは謎だ。琵琶湖は特殊な湖で日本でも最古の存在らしい。奈良盆地の湖がすでに干上がって陸地になり、河内あたりの湖沼もあらかた干上がり、巨椋池もなくなりと、大体の近畿の湖沼は小さくなるか干上がっていくのだが、琵琶湖だけばむしろ大きくなって今の形になったらしい。なので昔は湖岸付近だったが現代では内陸である山の辺の道などとは違う理由でわざわざ内陸を中山道は通っている事になる。


「良い眺めだな、光春。」


「誠に。天守が残っていればもっと遠くまで見渡せた事でしょう。」


安土城天守は地下1階、地上6階だったというからさぞや壮大な眺望だったろう。よくも木造建築でそんな大きな建築ができたものだ。足元に目をやると満々と水をたたえた小中の湖と大中の湖が有る。現代の地形では安土城跡は内陸に有るのだが、それは後世に干拓事業で琵琶湖から切り離されてしまったからで、元々は琵琶湖につながっている大中・小中(伊庭内湖、および弁天内湖)、さらに西の湖という湖の集合体のきわに建造された、水運が利用できる城だったのだ。


「しかし見事に燃え尽きているな。これではなにも出てくるまい。」


「めぼしいものは信雄殿が持ち去ったでしょうし。」


「信雄には価値無しと見えても、我々には価値がある物が残っているかと思い念のため来てみたが。無駄だったな。」


「それなら日野の蒲生のほうが期待できましょう。安土城から信長殿の御家族を連れ出しております。賢秀殿は安土城の財宝は放置したようですが、書付などで重要なものは持ち出したやもしれませぬ。」


なるほど、ありそうな話だ。会談ではその点も探ってみるか。


安土城を後にして、後世に御代参街道と呼ばれる脇街道を南下する。日野は相当な内陸部だがまだまだほとんど平地と言って良い地形で楽な行軍である。難所の笹尾峠は日野のさらに南だ。そろそろ遠くに日野がみえるかと思った頃、蒲生の使者が到着手紙を渡される。


「…承知した…。光春、会談は阿育王山あしょかおうざん石塔寺いしどうじで行いたいとの事だ。」


石塔寺は聖徳太子創建の言い伝えが残るさつだ。現代でも古式の石塔などが残っている。そもそも山号の阿育王山あしょかおうざんという号自体が他ではまず耳にしない特異な号である。恐らくインド仏教最盛期をもたらしたアショーカ王の名前がそのまま伝わってきたのだろう。だがこの石塔寺、信長の焼き討ちに会っているため殆どの伽藍は消失、江戸時代に再建されている。なので今は細々と住職が命脈をつないでなんとか残っているのだろう。


「左大弁様?」


俺が千数百年前に思いを馳せてトリップしていたので光春がいぶかしみ声を掛けてきた。いかんな。あまりに頻繁だと部下が不安になる。


「ああ、すまぬ。聖徳太子様の時代に思いを馳せていたのでな。我々の時代も未来人が思いを馳せているやもしれぬぞ。数百年後の未来人が。」


「ははは。ならばそれに恥じない行いを為さねばなりませぬな。で、蒲生はなんと?」


「うむ。会談は双方二名のみ。蒲生は父子のみで会うとのことだ。立会人は石塔寺の住職…だ。」


「ほぉ?前右府の焼き討ちにあった住職を立会人でござるか。さすがの石頭、中立の立場以上の者を抜擢して来るとは。」


「蒲生自身、古刹の焼き討ちなど阻止したかったのだろうな。あるいは密かに石塔寺を支援してきたやもしれぬ。」


「まあ、今の荒廃した石塔寺にまだ残って努めを果たしているという住職です。叡山の酒池肉林を行いしなまぐさとは異なりましょうし。」


「とりあえず、蒲生は話を聞く気は有るようなのでやれやれだ。」


会談場所の石塔寺は焼き討ちされた姿も生々しく荒廃している。とくに建造物が再建された様子もない。住職は托鉢でもしてこうしのいでいるのだろう。境内を暫くうろつくと一角に簡素な幕が張ってある。あれが会談場所か。


「御免。」


正面に2人床机に座っている。横に居たのが住職のようだが出迎えに来る。


「左大弁様でございましょうや?」


「明智左大弁光秀です。ご住にはお手数をお掛け致す。」


「あちらへ。」


示された床机に座る。蒲生父子の真正面だ。住職は脇に下がり見守るだけになる。


「お久しゅうござりますな、蒲生殿。」


蒲生賢秀が片手を上げて遮る。


「あいや暫く。此度は山岡殿の顔を立てて此処に参ったのみにて。御用は単刀直入に申されよ。」


横の光春が腰を浮かしかけるが制止する。


「…蒲生殿はなにか勘違いされておる。この光秀が参ったのはなにも蒲生殿を味方に付けようとか、本能寺の言い訳に来たのではない。」


「左大弁殿も山岡殿の顔を立てただけとでも?」


「いやいや。流石にそこまで暇ではござらぬ。此処に参ったは蒲生殿に物事の理非曲直を問いたださんが為。」


「ほぉう?左大弁殿には主君弑しいぎゃくにも理が有るとでも?」


「はて。蒲生殿もおとぼけられるとは、皆にも見せたいものよ。」


「貴様!」


斜め向かいの若者がいきり立つ。後の蒲生氏郷も此の頃はまだただの若武者だ。それを賢秀が手振りで抑える。


「儂がほうけて居るとは?」


「ふむ。そもそも武士の本分とは何でござるや?鎌倉の世より今にいたるまで一所懸命でござろう。」


蒲生父子が何をいまさらという顔で頷く。


「それゆえ、その一所を与えし主君に御恩が生まれ、奉公で報いる。違うか?」


しかり。」


「ならば、主君がその根本たる一所を理不尽に召し上げるならば何と為す?」


蒲生賦秀(ますひで 又は やすひで 読み方に2通りの説がある。後の氏郷)がおかしな顔をしている。

だが蒲生賢秀は目が泳ぎ気味だ。

確信の無いブラフだったが、やはり書付かなにかが有ったようだな。


「賢秀殿。ご貴殿にとっては板挟みで心苦しかろう。だがいまさら前右府に忠義立てして秘する意味はない。羽柴筑前、これずみ長秀、そしてこの明智。当時は日向だが。皆ほぼ同時期に沙汰が有ったことが既に割れている。」


賦秀が何の事だと俺と父親の賢秀を見比べている。


「前右府の奥方などの保護の居り見てしまったのは不可抗力だ、ご貴殿に罪はござらぬ。だが、今後その内容を秘し続けることは罪でござるぞ。我と前右府、何れが先に横紙破りを成したか、ご貴殿は今では判っておられよう。如何に?」


暫く沈黙が続く。一番筋が通る道が何れか悩んでいるのだろう。蒲生賢秀には保身や富貴という観点は二の次だ。ただ天に恥じぬ行いを為すのみなのだ。


「ふーーー。左大弁殿は当事者ゆえ知っていて当然。当事者なればこそ同じ立場の秀吉殿と長秀殿にもいち早くつなぎがつけてある…か。常に似合わぬ長秀殿の動きの鈍さ、逆に、異常に素早かった秀吉殿の大返しは元々お二人も悩まれていた故という事…だな。」


「父上、秀吉殿と長秀殿に何が有ったと?話が見えませぬ。」


蒲生賦秀がたまらず話に割って入る。


「長秀殿はやる気が失せ、秀吉殿は自分が謀反をなす準備もしてあったという事よ。」


「!」


「これを見よ。」


賢秀が数通の書面を出す。律儀にも肌身離さず持ち歩いていたようだ。


「?父上。これは?」


「安土城でみつけた。あまりの内容なので誰にも見られぬように儂がずっと持ち歩いていた。が、その必要も無くなったようだ。見るが良い。」


賦秀の顔が見る見る歪む。


「馬鹿な。前右府様が此のような無体を為されるはずが…」


「賦秀。思い返してみよ。佐久間殿や林殿を。」


「あ…」


織田信長にはすでに知れ渡っている前科がある。佐久間信盛、林秀貞の二人だ。ともに織田家重臣であったが意味不明の言いがかりで追放処分になっている。佐久間信盛への折檻状は現代にまで伝わっていてその中身が酷い。


曰く 五年城を預けたがなんら成果が無い。(無事に領内を収めていたという事なのに)


曰く 長年大阪(石山本願寺)を囲んで成果が無い。(自分だって何度も撃退されて負けている。)調略もしない。(信長が根切りの方針だから勝手に調略などできない。)


曰く 柴田 明智 羽柴 などは立派な成果を上げている。領地も小さい池田ですらそうだ。佐久間はなにもしとらん。(最大の難敵押し付けておいてそれはないわ。)


曰く 現状報告の書状がきているが言い訳ばかりだ。(いや、信長が撃退された後を受け持って抑えているだけでも十分だろうが。)


などなど。まるで小姑の小言のような内容である。


「この左大弁光秀からもお話致そう、賦秀殿。要するに前右府はこの畿内周辺から大封を持つ家臣を一掃しすべて一族血縁の者に再配分したかったのだ。その手始めが佐久間殿と林殿であり、此度この光秀の封地が召し上げられ、秀吉殿長秀殿にも沙汰が知らされていたということなのだ。もしやすると荒木村重殿の謀反の経緯も同じ可能性もあるが。」


「父上はこの書状をおおやけにされるのですか。」


「せぬ。あくまで偶然に儂が手に入れたものだ。わざわざ世に晒す云われはない。」


「では、誰かに尋ねられれば?」


「ぬっ………嘘は言えぬ。」


「父上。これからいかが致せば良いのでしょうや。」


「……よく聞け、賦秀。前右府に反抗した諸将にも理があると成った以上儂は敵対もできぬ。なれど前右府様に儂が直接踏みつけられてもおらぬ。織田家諸将の争いには儂はいずれにも加担せぬ。」


よし、言質を聞いたぞ。こと蒲生賢秀の場合に限っては、一旦口にした言葉は証文を書いたも同然だ。織田家諸将の争いには蒲生賢秀は加担しない。つまり織田家の将でない者、家康相手には参戦を断れないということだ。


「蒲生殿、よくぞ分別された。ご住殿。この話は当分は秘していただきたい。今明かされては賢秀殿の居場所が無くなるのでな。」


砂金の小袋を住職にさしだす。


「口止め料ではない。聖徳太子由来の古刹がこのまま朽ちるのは忍びぬ。当座の小堂などでも作られるが良い。いずれ世が落ち着けば、また石塔寺の復興も成る日が来よう。」


住職が恭しく砂金袋を押しいただく。


「そうだ、賦秀殿。今儂は猛獣狩りの準備に忙しいのだが、どうだ?身一つで良い、猛獣狩りの見学に同行せぬか?我が陣には似たような見学連中が結構居る。同陣したとて無理に戦う必要もない。ただこれからの戦の姿、明智のまつりごとを知る事は御身のかてになると思うが。」


「と、殿。それはあまりに。賦秀殿は仮にも前右府殿の娘婿殿でございますぞ…。」


光春があわてて制止してくる。が、


「宜しいのですか?左大弁様。なに、娘婿と申せど冬姫は今は蒲生の者。主のこの賦秀に従うのみにてお気遣いは御無用でござる。光春殿。」


「行って来い。貴様にはこの日野の地は狭すぎる。」


かくて蒲生氏郷も連れ歩くことに成った。これは望外の成果だ。即戦力に使えないのが残念だが次世代幹部の養成ができる。柴田勝家との戦いには嫡男の光慶も参陣させて若手連中と顔合わせさせておくとしよう。

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