32 海津西内城
国吉城の手配を終えて一旦小浜に戻る。まさか敵地の敦賀に出るわけにはいかないし、粟柄越を無理して通り兵を疲弊させるわけにもいかぬ。大人しく若狭街道を通り今津経由で海津に移動する。
海津には3つの小城があり街道南側に順番に東から海津願慶寺城、海津東内城、海津西内城がある。
このうち海津願慶寺城は街道が西に曲がるコーナーの南東であり、容易に迂回できるので強化対象から外す。
残る2城はいずれも街道にそって南に隣接しているのだが、海津西内城がより要害だ。近くを流れる中ノ川そのものを城の東の堀に利用、北と西にも中の川から引いた水堀が既に造られている。南は当然琵琶湖だ。
(現代の地形から見て取れる海津西内城は下図のようになる。)
海津西内城予想図
北と西側の遺構が殆どないが、北に細い水路跡が見て取れるので恐らく西の西内沼まで堀が連結されていたのだろう。その南に簡単な出丸などが有ったと思われる。街道へ睨みを利かすだけであればこれでも十分に機能したのだろう。
「どう思う、利三。」
「東の堀は十分使えますな。北と西はもう少し幅を広げるほうが良いでしょう。三千が籠もるにはちょっと狭いですな。北と西の堀が狭くて頼りないので、西に二の丸を拡張して、堀は新しく彫り直したほうが良いですな。古い堀はそのまま本丸の内堀ということで。」
「やはりそう思うか。官兵衛はどうだ?」
「利三殿の申される通りですな。さらに言えば、ここ海津はすぐ西で街道が交わる要所ですので三千では心もとない。四~五千が入れる造りにしておかれては?常の守備隊の定数は三千の半交代程度で、実際に敵が来るのを確認してから近在の地侍をあつめれば良いかと。」
官兵衛は地元での防衛戦なので帰農している中高年の元兵士を臨時徴兵できる。実際に敵が来れば追加補充しようというわけだ。
「なるほどの。万が一、柴田勢が西近江路に大規模な別働隊を出すと成れば、一万二千前後か。そうなると1/3の4千程度は防衛に必要だな。官兵衛の云う事も尤もだ。」
「官兵衛殿の策をつかうには城代を近江出身の者に任せたほうが良いですな、日向守様。」
「う-ん。となると…」
小川祐忠は若干不安がある。勝家が調略を使うとは思えないにしても。となると、
「よし、阿閉貞征をこれへ。」
使番が走り阿閉貞征を呼びに行く。阿閉貞征は元々浅井家家臣であり浅井家を地味に支えてきた。調略に屈するような性格ではない。
「日向守様、よくぞ呼んでくだされた。感謝いたしますぞ。」
「すでに頼み事が判っているなら話が早い。ここは北近江に詳しいお主が適任だ。この海津西内城を拡張して平時三千、有事には地侍を糾合して四千ほどで西近江路と西近江路に交わる間道を封鎖する。その城代を頼みたい。ここは余呉方面の主力と国吉城の味方を繋ぐ扇の要の位置にある急所だ。剛直無比のそなたにしか頼めぬ。受けてくれるか。」
「お任せあれ。もしも西近江路に柴田勢が来た場合は一兵たりとも通しませぬ。そういう戦いは得意でござれば。ですが来なかった場合は如何致しましょうや?」
「それよ。実はその場合の判断が難しいのだ。柴田勢が退却する場合に一部の部隊は塩津街道を疋田へ向かう可能性が高い。敦賀が持ちこたえていれば万余の人数が敦賀に集結する場合もあり得る。よって、余呉湖方面で勝利して柴田勢が退却に移っても進出は追分までで様子を見るのが良かろう。それ以上進むと撤退してくる柴田勢に背を討たれる恐れが出てくる。敗残兵が敦賀に籠もろうが、余呉方面の本軍が東近江路の棒道を越前府中まで雪崩れ込んでしまえば立ち枯れる。無理に敦賀を囲む必要もない。」
史実でも秀吉が越前になだれ込んで以降は柴田勢のまともな抵抗は無かった。猛将揃いなだけに攻勢が破綻した後は脆い。
「なるほど、されば、敵の去った後を悠々と領国化する…そういう事でようござるか。」
「うむ。そうしてもらえぬか。国吉城と海津西内城の部隊はいずれもとりあえずは数千、抑えには十分だが撃って出るには心許ない。無理はさせたくないのだ。」
国吉城の味方勢の数千はあえて初期配置の人数を話した。敦賀へ出る頃には丹後や但馬、播磨、伯耆からの増援が集まり万余の人数になっているだろう。
「ご配慮、有り難く。」
海津西内城の城代を任されるという事は、いずれ戦勝後にその付近の新領も任される事に直結する。近江に地盤のある阿閉貞征にとっては大いに頑張る価値の有る任務だ。
「で、この海津西内城だが、このように拡張しようと思うが、どうだ?」
今、利三達と話していた内容を絵図に書き上げながら阿閉貞征にも見てもらう。
海津西内城拡張案
山側からの敵襲を想定しているので琵琶湖側に倉庫群を造る。遠距離狙撃用の櫓を多めに配してその間を柵で繋ぎ射撃戦に特化した構造だ。枡形など手間のかかる構造物は造っている時間が無い。夜襲など反撃する場合は船で移動し背後から襲うことになる。
「どうだ?貞征。」
「期間が半年ですからな。これくらいで限度でしょう。堀も新しく掘るとなると…。」
「簡単に埋められる堀では意味がないからな。ここは要所なので戦後も守備隊を置き、物資の備蓄に使おう。琵琶湖の水運も利用できて流通の拠点としての価値が高い。倉は多めに作っておこうと思う。」
貞征が頷いている。阿閉貞征は史実では浅井の配下で良く劣勢の浅井を支え続けている。こういう人間は信用できる。信長も同じく考えたのだろう、反りの合わない秀吉から引き剥がして抜擢している。
利三と貞征に海津西内城の強化を任せて護衛の光春と吉長を従え小西父子を連れて京へ向かう。頼まないのに官兵衛も付いてきている。俺が公家をどう扱うか、また逆に、公家が俺をどう迎えるかを見たいのだろう。官兵衛の思惑はどうあれ、細川藤孝を成敗して以降の公家の態度は確認しておく必要がある。無い…とは思うが、信長に対する足利義昭のような行動をする恐れも………まあ、無いだろうが念のためだ。西国へ発してもらう奴隷売買や人攫い禁止の綸旨の件もある。
「琵琶湖は船で移動できるので楽ですな、日向守様。」
「どうした、常に無く楽しそうだな、光春。」
「それはもう、数ヶ月ぶりの坂本ですぞ。日向守様とて、同じでは?」
俺自身は坂本城をよく知らない。丹波転進の時に眺めただけだ。後世の記憶でも城の縄張り図などは不明だったはずだ。遺構も殆ど残っていないので幾多ある噂話程度の逸話から想像するしかない状況だ。ただ世間に流布されている想像図はあまりにも壮大すぎるだろう。光秀が坂本に居た期間やあちこちの手伝い戦にかりだされていた経緯などを考慮しても、豪壮華美が城が建設できたとは到底思えない。天守はあったようだが小ぢんまりとしたそれなりのものだったはずだ。安土城の枝城の役目もあったので実戦的な城だったのではないか。ほぼ同じ時期に似た立場だった秀吉の長浜城が残っていれば類推もできるのだが、長浜城も遺構が殆ど残っておらず、やはり縄張りも不明で双方にとって残念な現状である。
「坂本城か。そうだな、今宵ぐらいはゆっくりと休むのも良かろうが…。そうだ、坂本城の少し北に温泉がある。我々だけでなく連れてきた兵だけでも温泉にいれてやろう。残してきた兵達には悪いがな。」
「おお、かの最澄様が開かれたという温泉ですな。それは皆も喜びましょう。」
いかに古くから開かれている雄琴温泉でも連れてきた五千の将兵を一度に入れる事はできない。一応の警戒も必要なので3組に分けて順に入る。そのまま周辺で分宿し翌日京へ向かう。
「日向守様、昨日の温泉は良かったですなあ。今日は足が軽いですぞ。」
官兵衛がすり寄ってくる。官兵衛は荒木村重を読み損ね予想外の土牢暮らしを経験した。その後遺症で足が不自由だ。たぶん脚気だろう。飽食の現代日本では忘れられがちだが此の時代では普通の病気だ。
「それは良かった。なに、京の公家共の前に出るのに臭い臭いと云われるのも不愉快だしな。一度スッキリ洗いたかったのだ。」
「で、日向守様はお上や公家を如何致されましょうや?」
「当代の主上はただひたすらに日ノ本の民の安寧を願ごうておられる。それは確かだ。」
「では公家は大掃除なさるので?」
「無理だな。一気に掃除できるほど公家の根は浅くはない。ならば取る手は一つであろう。」
「真綿で首でござるな。」
「うむ。前右府は革新的な改革をいくつも成してきたが朝廷改革だけは手つかずのままだ。一足飛びに朝廷そのものの権威を否定しようとしていた節もあるが、成り上がる過程でさんざん朝廷の権威を利用しておいて、いまさら否定しても誰も心服せぬ。それに、公家にもいろいろ居る。著しく害になる公家だけを取り除く…はちょっと違うか…そう自然消滅させれば良いのだ。」
「ほう、自然消滅とは、聞き慣れぬ言葉でござるが…日向守様独自の考えかたなれば、楽しみに見守らせて頂きますぞ。」
おっと、此の時代にはまだない概念だったか、自然消滅。つい言ってしまった。まあよい。どうせこれからもそういうボロが出る。全部なにか憑き物でもついていると思わせておくとしよう。座敷わらしのように憑き物全てが悪さをする訳でもないしな。
さて、京か。俺はオリジナルの光秀のように甘くはないぞ。