30. 国吉城
小浜で五万の兵の内の過半を国元へ帰らせる。ほとんどの部隊は熊川から近江今津にでて(九里半越)西近江路を帰ることとなる。残り2万前後は小浜から一旦越前国境に近い国吉城(現・美浜町)へ向う。国吉のすぐ西からは新庄を経て耳川沿いで琵琶湖北岸の海津へ至る脇道もある。まあ、細く難路であるため軍勢が通るような道ではないが…この道は粟柄越と呼ばれているようだ。この国吉城で一仕事しておかねばならない。
「国吉城は抑えておきたい要所ですな、日向守様。」
国吉城周辺略図
利三が言う通り、越前から若狭を狙う場合は必ず、若狭東端にあるこの国吉城を抜かねばならない。越前から若狭へは国吉城東にある関峠そして椿峠(峠の直ぐ南南東に国吉城)を通ることになるのだ。若狭方面への侵入を抑える意味で、利三の発言は当然だ。だが、
「利三。逆だ。機を見て越前へ侵入するための準備をいまからしておく。」
過去の歴史上、若狭は常に越前方面から侵攻される側であって、若狭武田氏も再三越前の朝倉氏から攻撃されてきた。そこが盲点になる。
「柴田勢は北近江で迎撃するのでは?」
「するさ。勿論。だが柴田勝家とて歴戦の将だ。こちらが鉄壁の陣で待ち構えているのに突っ込んでくると思うか?」
「思いませぬ。が、それを工夫して誘い込むのかとばかり考えておりました。」
「もちろん、誘い込みも使うがな。それだけでは致命傷は与えられまい。」
「いかにも。されば、羽柴筑前殿得意の調略も併用なさるかと考えており申したが…」
史実の賤ヶ岳の戦いで秀吉が使ったのではないかと云われる手だ。旧知の前田利家に予め話をつけておいて、一番肝心の場面で戦線離脱という、敵味方双方から後ろ指をさされても仕方ないような手を使ったのだが、秀吉が上手くカバーしたのか利家にさほどの悪評が伝わっていない。まあ、一番文句言いそうな連中は皆秀吉に抹殺されているしな…
「ほう、そこに目を付けたか。利三もやるではないか。だがそれでは調略された者の武名に傷が付くであろう。戦場での裏切りを正当化したのでは、明智の治世に障害になるしのう。」
「確かにそうでございますな、日向守様。…そうか、それで国吉城方面から逆侵攻の準備をしておくと…。」
「ああ。だが今準備するのは国吉城を難攻不落の堅城に仕立てる事だ。わかるな?」
「我が明智の本軍の動きには柴田の目も光っておりましょう。それでわざと若狭方面は堅守の構えであると思い込ませておく…そして明智本軍が近江に移動して柴田の目が若狭から離れて後に、おもむろに越前への進撃準備を密かに国吉城代にさせる…そういう事でござるな。」
「うむ。……左よ、そういう事であるので進撃準備にかかったら、その秘匿を徹底してくれ。」
「…委細承知…」
「また、いつの間に…いつもながら凄まじい技ですな。日向守様。」
「まあ、そういう恐れを前右府も克服できなかったのであろうな。」
「日向守様は恐れないと?」
「儂は信用しておるからのう。彼らの矜持と仕事に対する姿勢をな。」
「…は、はぁ…」
利三をもってしても理解しきれぬか。それも致し方ない。住む世界が違いすぎるのだ。
「まあ、とにかく国吉城をそれなりの軍勢が詰める事が出来る中規模の城に改修せねばならぬ。今の国吉城では数百しか籠もれぬからな。」
国吉城は朝倉氏の攻撃を何度も撃退した山城だが、なにせ規模が小さい。椿峠から連なる尾根伝いに連郭式の本丸、麓の居館と本丸の中間地点に小さな出丸(二の丸?)があるだけだ。麓の居館そのものを平山城に近い状態まで強化して数千が入れるようにする必要がある。
「いかほどの人数を入れるおつもりでしょうや?日向守様。」
「そうさな。伊勢貞興、細川忠興は小浜に詰めるとして、並河易家の二千に千ほど増員して三千といったところか。」
利三も妥当な数字と思ったのだろう、黙って頷いている。
「作事は 空堀 柵 倉 小屋に井戸 物見櫓あたりでございますか。」
「いいだろう。どうせ来年しか使わない一時的なものだ。空堀は間隔を開けて二重にせよ。外側は物見櫓から銃撃出来る有効射程いっぱいにな。」
「すると物見櫓は四隅だけでなく、むしろ丹後街道を睨んで北側から西の面に数個並べる感じですかな。」
「そうだな、威圧感があれば有るほど良い。ここで死守の構えだと思い込ませるのだ。」
美浜に到着し、早速付近の地形と現在の国吉城の状態を調べさせる。ちなみに国吉城もすでに無人で丹羽長秀は無駄な戦闘を避けて守備兵を撤退させたようだ。
「並河易家を。」
しばらくして易家がやってくる。
「但馬計略ご苦労であった。此度は来春柴田勝家を倒すための重要な役目になる。頼まれてくれるか。」
「おお、よくぞこの易家をご指名くだされた。なんなりとお申し付けくだされ。」
「うむ。こればかりは外様には頼めぬのでな。実は、この国吉城を足がかりに柴田勢の背後を衝くつもりだ。そのため、国吉城を間に合わせだが中規模にまで拡張し一万程度の敵軍を跳ね返せる堅城に仕立て上げる。」
「?」
「国吉城拡張は数千の兵力が常駐するための口実であり、偽装だ。柴田勢がわざわざ若狭方面に万余の軍勢を派遣できる余裕もないし、孤軍となるのがわかっていて若狭に出てくるほど勝家は愚かでもない。だが、心配性の光秀は国吉城も固めて居る…そう思わせておいて…」
「なるほど、やっとこの易家にも見えてまいりましたぞ。日向守様の主力が近江に去った後に、密かに椿峠を道普請して大軍が素早く通れるように広げるのですな。」
「そうだ。流石易家だ、話が早くて助かる。椿峠は当然だが、さらに東の難所である関峠も少しずつでも広げておいてほしい。関峠は越前の警戒もあろうから伊賀衆にも支援させて作業を隠蔽する。なに、冬にはいれば峠越えをしようという物好きは居らぬので密かに作業できよう。関峠のほうは作業隠蔽が優先するのでできる範囲で良い。」
「判りました、日向守様。必ずややり遂げてみせましょうぞ。」
「頼んだぞ易家。易家には若狭と丹後から千を増員するように手配しておく。」
「増員有り難く。この易家、三千の兵と国吉城を預かり密命、確かに承りまする。」
頷いて易家を下がらせる。
「さすが日向守様、よく視て居られますな。易家殿なれば見事にやり遂げてくれましょうぞ。」
「こういった地味だが重要な役目を任せられる者はどうしても限られてくるのでな。前右府と丹羽長秀殿の関係がそうであった。」
「…日向守様…」
いつの間にか 左 が横にいる。わざわざ声を掛けてきたのはかなり重要な報告だろう。
「周囲には他にだれも居らぬようだな。良い。このまま聞こう。利三もそのまま聞こえぬ振りをして聞いておけ。柴田の里入の草が居るやもしれぬ。遠くからでは聞こえぬが見れるのでな。」
里入の草とは2世代3世代と時間をかけて農民や町人として生活する間諜だ。極端な場合はそのまま一度も間諜として働かず、農民や町民で終わる場合もある。何時から潜り込んでいるかまるで不明なため、いかに腕利きの忍びでも見つけ出すことはできない。
「丹羽長秀殿、帰順の意思あり…」
やはりそうか。全く抵抗らしい抵抗もせず、信孝の尻を叩いて敵対する勢力を糾合もせず。端から戦う雰囲気は無かったが。丹羽殿も畿内にかなりの領地があった。もしかすると内々で前右府から国替えを沙汰されていたのやもしれぬな。
「ほう、続けよ。」
「惟住様(長秀)は近年臥せりがちとの由。よって御子息の長重殿を日向守様の元に出仕させたいと仰せで…」
そういえば、丹羽長秀はこの数年後寿命が尽きるのだった。史実でも賤ヶ岳の戦いではまだ子供の長重が名代で出陣している。後の関が原の戦い(浅井畷の戦い)では自らに倍する前田勢に果敢に仕掛けて足止めしているので磨けば光るのではなかろうか。
「なるほど。自分はもう先が無いので丹羽勢が明智側に付く事を偽装するため、そのまま織田家にとどまる。長重は父を省みること無く明智側として動き、長秀自身はそのための捨て石になる…と云う事か。」
「…壮絶ですな…なれど、自分とて、同じ立場であれば、あるいは…」
「利三の申すとおりよ。前右府は急ぎすぎて武士の一所懸命の生き様を軽視しすぎたのだ。」
「もしや、日向守様が若狭を羽柴秀長殿の預かりとした沙汰を知ったので、このような動きに?」
「知ったというか、知らせた者が居るのだろうな。ふふ。」
「なんっ!…そ、それはいかに日向守様が重用されている左殿とはいえ、行き過ぎでは…」
「ん?何故だ?別に伏せておけと命じた事はないぞ。だから誰もが知らせる可能性があったのだ。よって知らせるか伏せておくかはこの件を知る者次第だ。左は知らせる事が我が明智に有用と思うただけの事。」
「…そう云われればそうですな。黒田殿あたりも知らせて居られるかもしれませぬし…」
「判ってくれたか。利三。出来る忍びを使いこなすためには主のほうも忍びに負けぬ広い視野を持たねばならぬ。左よ、此度は良い仕事であった。」
褒美に砂金袋を渡す。表情は伺い知れぬが忍びの面目は施せたと感じてくれただろうか。
おっと言い忘れた。
「左。もう一つ頼まれてくれ。羽柴秀吉殿に直接に伝えてほしい。微妙な事案なので口頭で伝えるが、秀吉殿であれば真偽の判断が出来よう。伝えてほしい言上はこうだ…
…前田殿については池田殿と同様に致す所存故、調略無用…
これで十分判ってもらえるはずだ。それと、この書状を月山富田城へ。」
かすかに承知と聞こえたがすでに消えている。常より反応が薄いな。面目を施した喜びすら悟られたくないのだろうか。
「やはり利家殿の調略はなされぬのですな、日向守様。」
利三は秀吉を使って調略すれば楽に勝てそうなのに、何故そうしないのかと気を揉んでいるようだ。だが史実で戦の最中に陣をすてて自分だけ離脱した前田利家にはどうしても嫌悪感が有る。秀吉没後も三成など文治派と清正など武闘派を本当に和解させることも利家はできなかった。いや、しなかった…というほうが正確か。それができたのは秀吉正室の高台院か、利家だけであったろう。つまりは俺の中での前田利家の評価が低いのだ。だからこの機会に隠居させておきたい。利家とセットで妻の「まつ」も隠居させて長男の前田利長に対する影響力を削いでおく。前田利長、利政の兄弟は「まつ」の介入を阻止しておけば水準の能力は発揮できるのではないか。
「兵には苦労を掛ける事になるが、これからの世を考えると調略が横行するようでは問題が多いのでな。やはり真正直な者が報われる世であらねばならぬ…そうは思わぬか?利三。」
「確かに。それが叶えばそのほうが良いでござる。そうと決まればわれら家臣はひたすら日向守様についてゆくだけでござる。」
「すまぬ。利三達にはいずれあの世で何度でも詫びよう。」
「あの世に行ってからでござるか?やれやれ。」
「あの世に行ってからじゃ。はははっ。この世では皆を使い倒すぞ。はははっ。」
少し離れて警戒していた兵達が笑い声を聞いてこちらを見ている。その表情に不安の影はない。総大将や軍幹部が自信有りげである事は重要な事なのだ。