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光秀、下天の夢を見る  作者: 狸 寝起
30/72

29 若狭無血占領

5万の大軍を率いて丹後街道を若狭に向う。

この当時、若狭は丹羽長秀の所領になっているが、当主の長秀が織田信孝のお守りで摂津に出張っており満足な動きができないまま、近江の本貫地域を明智勢に席巻されたため、若狭の所領とも切り離されてしまっている。信孝を適当に理由付けて放置し所領に戻ればそれなりの手も打てただろうが、長秀はそれのできる性格ではない。おそらくは今も信孝に振り回されてお守りで汲々としているだろう。


若狭国は現在の福井県嶺南地方のほとんどの部分だ。太閤検地でもわずかに8万石。当然さほどの巨城が有るはずもない。越前に連なる東西に走る海沿いの丹後街道沿いに小浜城ほか数個の砦、さば街道沿いに熊川城ほか数個の砦といった具合だ。


挿絵(By みてみん)


ちなみに、鯖街道というのは若狭方面から京へ連なる道の総称であって、一つの道を特定できる名称ではない。熊川城は鯖街道のなかでも最も良く整備されていた、朽木谷から若狭に至るルートと、近江今津から若狭に出るルートの合流点を扼す位置にある。織田信長が越前朝倉氏を最初に攻撃した時に琵琶湖東岸への退路を浅井長政に絶たれた。そのため京へ撤退するためにこの朽木谷を通る鯖街道で帰還した逸話もある。

鯖街道で軍勢がマトモに通れる道はこのルートぐらいなもので、他は本当にこんなコースが使われていたのか?と疑いたく成るような道が多い。


1. 西近江路の近江今津から水坂峠を越え若狭街道で小浜に向うコース。

2、京都の大原から朽木谷を通り保坂で 1 と合流するコース。

3. 京都鞍馬から針畑峠を越え小浜に出るコース

4. 京都雲が畑から祖父谷峠、ソトバ峠、五波峠を越え久坂に出て小浜へ下るコース

(筆者は昔、此のーコースにサイクリングで挑戦して祖父谷峠の手前で挫折、撤退しました…行けるか!こんな道…って道途中で無くなってるし。)

5. 周山街道を通り深見峠を越え久坂に出て小浜に下るコース

6. 周山街道を原峠を越え堀越峠を越えて若狭高浜にでる、一番西側のコース(西の鯖街道)


ざっと経路が判っているだけでもこれだけ見つかった。恐らくは記録にもない鯖街道が他にも多数あるのだろう。

また、若狭から京へむかう以外に熊野灘の海産物を京へ運ぶコースもあったようだ。山間部発祥の「柿の葉寿司」は鯖寿司だが、なぜ山奥で鯖寿司なんだと思ったがこのコースの鯖が原因らしい。ルートとしてはほぼ東熊野街道一択だろう。

東熊野街道は新宮の少し北東当たりから紀伊山地に入り、上下の北山村を通り吉野に出るコースになる。

(筆者はこのコースを車で走破したことがあるが、止めたほうが良いです。途中地道の1車線、路肩がくずれているところもあったし対向車きたら終了です。にどと行きたくない。吉野に出たときは「生きててよかった…」としみじみ思った。)


鯖街道で話がずれた。まあ、とにかく軍が通れるような道で若狭と南を繋ぐのは朽木谷方面と近江今津方面でいずれも熊川城を経由するコースになる。熊川城の南側の近江はすでに明智領なので若狭側を小浜まで押さえれば、越前から出てくる柴田勢は若狭丹後方面に大きく迂回する別動隊はだせなくなる。

逆に小浜へ大軍を柴田勢がむけた場合は近江から敦賀に攻め込んで退路を断てば小浜へ向かった柴田勢主力は孤立するのでその線は無い。小浜を抑えた時点で決戦場は北近江から敦賀と決まる。


「海沿いの道は風が心地よいですな、日向守様。」


「今は秋だからな。一番良い時候だ。これぐらいだと美濃の頃を思い出すのではないか、利三。」


「いかにも。そろそろ柿が色づく頃合いでしょうなあ。」


「ふふ。柿か。だがこの若狭は海の幸の宝庫だ。若狭まで来てわざわざ柿でもあるまい。」


「まあ、何でも飢えずに食えれば結構でございますな。」


「全くだ。…ん、左か。近う。」


いつの間にか、利三の向こう側少し後ろに一騎増えている。


「…小浜からこちら既に丹羽の兵なし。」


「やはりな。では後瀬山城も?」


「は。一人も居らず。城も無傷のままにて。」


後瀬山城は小浜城の詰めの城だ。小浜城自体は城というより政庁に近い建物で籠城に耐えられる城ではない。

攻撃された場合は西南すぐ近くにある後瀬山城に籠もることになるのだ。


「丹羽長秀は我らと積極的に戦う意思は無さそうですな、日向守様。」


史実でも丹羽長秀は柴田勝家には付かず、秀吉側についている。温厚な性格のため表面化していなかっただけで、柴田勝家をあまり好んでいないのかもしれぬ。うまくやれば味方に取り込めるか?となると、若狭の統治を誰に任せるかが問題に成るが…。


「日向守様?」


「ああ、すまぬ。丹羽長秀も味方に出来ぬかと思案しておった。」


「ほう、丹羽長秀…殿も。なるほど、柴田に与せずとなれば、織田家に居場所は無い。羽柴殿との関係も良好だし…。いけるやもしれませぬな。」


「そうよのう…とりあえず、小浜で軍議を開く。その手配りを頼む。」


利三が使番を四方に走らせる。すでに左は居ない。俺の意思を先読みしているのだろう。


その後はとくに何事もなく数日の軍旅を重ねて小浜城に到着する。


「ではこれより軍議に入る。だが、その前に言っておきたい。本日に限らず、軍議では思うことが有れば知行の大小、新参古参にかかわらず遠慮せず意見を賜りたい。質問も納得がいくまでなされよ。儂は皆の衆を日ノ本全体を豊かにする同士であると考えている。高槻で申した通り日ノ本には南蛮の魔の手が迫りつつ有るのだ。その事を常に頭の片隅に置きつつ目の前の事案に共に対処していこうではないか。」


軍議に列している諸将が無言で頷く。半信半疑でも、なんとなくでも理解しようとはしているようだ。今はこれで十分だ。


「まずは新たに領した若狭だが…羽柴秀長殿。貴殿に暫く預かって戴きたい。」


ざわざわと場がどよめいている。羽柴秀長は但馬勢を預ることに成った伊勢貞興、並河易家と共に小浜に来ており軍議の末席付近に居る。だが特に軍功がない秀長を抜擢した事と、暫く預けるという表現が異様なのだ。片手を挙げて皆を制し説明に入る。


「皆も知っての通り、秀長殿は内政に秀でて居られる。現在の若狭は八万石ほどに過ぎぬ。だが若狭は京へ向う物流の要所だ。商業主義に転換すれば倍の一六万石ほどには育てられよう。若狭の挙がりは明智の蔵入りにはせぬ。本来の八万石は若狭の領主が、そして秀長殿が育て上げて増えた挙がりは秀長殿と若狭の領主で折半されよ。」


またしても場がざわつく。秀長が若狭の領主になるわけではないのだ。


「…条件は?」


秀長が問い直してくる。客将にすぎぬ秀長には虫が良すぎる。なにか裏があると疑っているのだ。


「さすがだな。条件は先日若年ながら家督を継がれる事となった宇喜多殿だ。儂は彼を高く評価している。数年を我が元で研鑽されれば次代を担う逸材に成長されよう。人質ではないぞ。あくまでその資質を見込んで期待して居るのだ。まだ元服前でもあり、儂が烏帽子親となり数年預からせてほしいのだ。その繋ぎを羽柴殿に頼みたい。」


不思議な条件だ。まだ10歳でしかない子供、しかも見たこともないはずなのに見どころがある…などと云う。

今までの実績がなければ、俺は狂人扱いされていただろう。


「…お話は宇喜多家にとっても悪くはござらぬ。我が羽柴と宇喜多はじっこんの間柄であれば、仲立ち致すこと自体は容易でござろうが…日向守殿はいったい…」


「おお、頼めるか。良しなにお願い致す。細々と不審もあろうが、いずれ解り申す。ここは儂を信じてくだされ。」


特段だれも損でもない案件なので無理やり自分を納得させたのか、それ以上の異を秀長は唱えない。


「若狭の領主だが今は空席とする。この件については誠にすまぬがこの場では申せぬ。どうしても知りたい御仁は後刻、内々で説明致すので我が陣にまいられよ。」


完全に隠し事をするのではないと判って場が収まる。領主の件については秀長は既に予想が有るようで納得顔だ。


「若狭については以上だ。次に、来春の柴田勢との決戦についてだ。」


いよいよ本題かと皆の顔が引き締まる。筋金入りの武人達だ。いくさとなれば高揚せずにはいられない。選挙に望む議員候補もこのような心理状態だろうか。


「皆も当然予想して居ると思うが若狭を得たことで、決戦の場は北近江に限定された。」


常識的な判断であるので誰からも異論はでない。


「地理に詳しい近江勢と丹波勢の半数の約二万でこのまま北近江に向かい柴田勢を迎え撃つ準備に入る。」


心なしか遠隔地から参陣している諸将に安堵の色が浮かぶ。明智からの支援があるとは言え、やはり長期の軍旅の負担は大きいのだ。


「他の方々は一旦領国にもどられて来春の決戦に備え英気をやしなって戴きたい。北近江で数ヶ月かけて必殺の野戦築城をしておくので期待してもらって結構だ。新開発の長射程の鉄砲を少数だが順次支給いたすのでこの期間を利用して新型銃の鍛錬も励んでいただきたい。」


長射程銃は雑賀衆に開発依頼していたライフリング入の銃だ。全てが手造りなのでとても量産できない代物だが、各陣に1丁か2丁でもあれば、現場の敵下級指揮官を狙撃できる。戦闘に劇的な変化が出るだろう。


「日向守様。北近江での決戦は当然として、美濃の織田勢が柴田勢に呼応すると思われますが、その手当は?」


島左近か。

美濃の織田勢は亡き織田信忠配下の者達と国替えで岐阜城を居城にしている織田信孝だ。さらに信濃の織田勢も加わる可能性がある。左近のねんは当然だった。


「島殿の指摘どおり、美濃方面への手当が必要だ。美濃から近江へ出るには関ヶ原から北国脇往還を北西に進み伊吹山の麓を通り姉川にでる道と、関ヶ原から西に中山道を通り醒ヶ井へ出るかのいずれかだ。両道とも近江に出るまではかなり険しい山中を通ることに成るので、この山中に美濃勢をひきずりこんで、撃退する予定だ。」


     関ヶ原付近図

挿絵(By みてみん)


首をかしげつつ島左近がさらに発言する。


「わざわざ関ヶ原から引いて山中で迎え撃たずとも関ヶ原西端で押さえれば両道を同時に防衛できるのでは?」


後年の関ヶ原の戦いで西軍(というか、石田三成の作戦)が採用した手だ。だがそれには問題が有るのだ。


「そう思うのも無理はない。だが美濃勢とおそらくは信濃勢の一部も参陣するはずで、これだけでも一万五千~二万近くの兵力になる。織田信孝と織田信雄が柴田勝家の下知に従う可能性は無く、また勝家にしても主筋にあたる信雄や信孝が居ては用兵の邪魔になる。よって緊密な連携は取れぬだろうがそれでも大軍だ。これだけの兵力の敵を平地で迎撃するには最低でも1万以上でかからねばならぬ。しかも、退路が細い山中を通る道なので不利になっても大軍が速やかに退却できない。関ヶ原西端で迎撃するとういう事は、事実上の背水の陣なのだ。一歩も引かずに迎撃するとなると、必勝を期すには二万以上をもって当たる必要があるが…」


ぐるっと諸将を見渡す。皆一様に考え込んでいる。よしよし、こうでなくてはな。


「美濃、信濃の旗頭になる者が織田家に居らぬ。諸将を纏められぬ場合は出てこない可能性もかなり高いのだ。もしで出てこなければ二万以上が遊兵になってしまう。」


ざわざわと場が落ち着かない。近くの者同士で意見交換しているようだ。


「はは。こそこそ小声で話す必要はないぞ。語り合うための軍議の場だ。皆の前で堂々と述べれば良い。たとえ浅はかと思える意見でも誰も馬鹿になどせぬ。」


「では、日向守様は、山中での迎撃を具体的に如何なさるおつもりか、ご教示いただけましょうや?」


諸将を代表するような形で中川清秀が申し出る。

中川清秀。史実では賤ヶ岳の戦いで戦死するのだが此度は死なせはせぬ。


「うむ。瀬兵衛の疑問は皆も同じ思いであろう。山中の迎撃は伊賀衆と根来、雑賀衆にお願いしたいと考えている。」


武士ともいえぬ伊賀衆や僧兵である根来衆を挙げたので、僅かながら不満げな空気がでている。


「この際、はっきりと申して置く。この日向守は伊賀衆や甲賀衆、根来衆や穴太衆、さらには山ノ民などを侮る気持ちはない。むしろ特殊技能集団として一目も二目も置いている。先に申した新型銃も現在雑賀で試作をお願いしておるのだ。」


ここで意外にも池田輝政が発言してくる。


「伊賀衆、根来・雑賀衆であれば、山中での奇襲に最適。狙撃のみで無傷のままにかなりの敵を削り取れましょう。山中で一睡もできずに疲弊した敵を近江側隘あいで迎撃するとなれば、出口を半包囲状態で迎撃できる。敵は横への展開も出来ぬ。なれば二千か三千ずつを双方の出口に待機させておくだけで撃退できましょう。」


まともだ。あまりにも正常な分析なのだが、誰もが池田輝政の長い発言に気圧されている。こいつがこんな長話が出来たのか…と。当の輝政は言うだけ言って、また無言地蔵に戻ってしまったが。


「…て、輝政殿、見事だ。まさに儂の考え通りよ。」


あちこちから称賛の声が上がっている。無言地蔵と化した輝政だが、わずかに表情が和んでいるようにみえる。


「美濃、近江国境はこれで良いかな。なさそうだな。では他に聞いておく事はないか?」


羽柴秀長の手が挙がる。


「秀長殿、何でござるかな。」


「杞憂とは思いまするが。若狭を大きく迂回しようとする敵部隊をくじく程度の兵力をお願いしたい。」


「それは当然だ。若狭には増援としてすでに秀長殿の顔見知りである但馬勢と新しく加わる丹後勢を送る予定だ。兵の質、量、将帥の力量いずれも十分と思うが、如何かな?」


「有り難く…」


秀長も納得してくれたようだ。実際、若狭の裏を取られると面倒なことに成る。増援は当然だ。


「決戦に勝った場合、何処まで追撃されるおつもりでしょうや?」


末席付近に居た可児吉長だ。よい傾向だ。これで他の若輩者も発言しやすく成ったであろう。


「北之庄までの追撃は確定している。勝家の首を欲しては居らぬが本人が腹を切るだろう。勝家の与力の処遇は各々の状況次第だな。」


もう一人、今度は小西隆佐の手が上がる。


「おお、隆佐殿。なんなりと。」


頷いて隆佐が訥々と語りだす。


「建造中の改良南蛮船ですが、1~2隻でも建造を急がせて日本海に回航いたしますか?」


諸将が驚きの目で見てくる。もう完成間近だったとは予想していなかったのだろう。


「改良ジーベックは此度は使わぬので、落ち着いてしっかり建造してくれ。ジーベック用の新装備も雑賀衆に試作してもらっているので、中途半端な状態で戦場にだしたくないのでな。」


黙って頷き小西隆佐が座に座る。ああ、そうか。わざとジーベックの名前を出させて諸将に印象づけて情報共有した気分にさせようという配慮か。堺の商人だけの事はある。気の使いようが細かいな。


「あらかた出尽くしたようだな。これだけの諸将が一同に会することはめったに無い。ささやかだが酒宴の支度をさせてある。今からは宴ぞ。」


どっと場が砕けたものになる。秀吉を真似たつもりだが、まだまだだな。あれは天性の為せる技で模倣は無理だ。


「左よ、その方達も交代で楽しめ…と云うても無理よな。これで皆に息抜きの場を設けてやるが良い。」


甲州碁石金の袋を渡す。これからは東国での活動が多くなるのを見込んでの碁石金だ。


「…かたじけなし…」


ぎりぎり聞こえる程度の声を残して碁石金の袋が消えている。全く、信長も伊賀者を毛嫌いせねば俺に討たれる事も無かっただろうに。

明日からは久方ぶりの近江だ。しっかり野戦築城せねばな。美濃方面は少数で大軍を抑えられる施設が必要となると…あれにするか…





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