02 秘策
「さて、残りの半分の話だ。」
一呼吸おいて皆を見回す。
「我が明智勢の優れている点は利三の申す通り、精鋭のみで構成されており、外様が居ない。そして、優秀な指揮官を多く揃えている。さらに、鉄砲装備が充実している点だ。」
諸将がいまさらと言わんばかりに頷いている。大将の明智光秀自身が鉄砲の名手でもあり、鉄砲重視の織田勢の中でも一際明智勢の鉄砲隊は精強なのだ。
「そして、我が本貫地は丹波であり、先に平定した近江だ。」
丹波は長年かかって苦闘の末、ほぼ明智勢独力で平定した。近江は本能寺以後の神速の働きで平定している。なので本来の本貫地は丹波と光秀が最初に造った城の有る近江坂本だが、近江勢もとりこんでいるため、あえて近江も本貫と言っておく。近江も鉄砲の普及が早く、国人領主にもそれなりに鉄砲が普及している。
「そこで、我が明智勢は大きく部隊を二つに分ける。言うまでもなく丹波勢と近江勢だ。さらに一時的に遊撃隊をいくつか編成する。」
「…大きく二つに…」
利三が怪訝な顔でつぶやく。ただでさえ人数で劣っているのを分割することに納得できないのだろう。
「懸念はわかっている。だが案ずるな。小勢をまともに当てて無駄死になどさせぬ。遊撃隊は全軍から騎乗できて鉄砲または弓を射れる者のみを選りすぐる。残余の者は一纏めに桂まで引き、坂本で療養している左馬助と合流する。坂本城を空にしてな。坂本の兵と丹波勢は丹波八上城まで引く。近江勢は一旦近江まで戻る。」
左馬助、明智秀満だ。光秀の娘婿で本能寺攻めでの先鋒を努めている。本能寺で負傷して山崎の戦いには参加していなかった。左馬助光春の不在は痛手であり決戦は彼の回復後まで引き伸ばしたいのが本音だ。
「さ、坂本を放棄するのですか!!」
阿閉貞征から思わず声があがる。近江勢にとっては自領の盾である坂本放棄は避けたいだろう。
「うむ。わざとな。空にして羽柴の物資で倉を満たしてもらおう。」
「ふ…ははは、それは痛快ですな。戦勝後のお楽しみがふえますな。」
気を利かせて庄兵衛が反論を封じてくれる。持つべきものはこういう腹心だよな。
「うむ。実際、羽柴に丹波への足がかりはない。無傷の坂本城があれば使わぬはずがない。ただでさえ心細い物資だ、安全な坂本城に一纏めに保管するしかあるまい。」
羽柴勢を丹波に引きつける事を匂わしたので、近江勢も落ち着いて聞いている。まあ、此の戦いを乗り切れれば近江勢も譜代になりきれるだろう。
「だが、羽柴勢を楽に丹波まで寄せさせてやる義理はない。騎乗士だけで編成した遊撃小隊で一撃離脱を繰り返して坂本へ繰り引きする。」
「なるほど、それで騎乗出来る者を選抜すると…」
「うむ。本隊は騎馬隊が羽柴勢に嫌がらせしている間にゆるゆると引けば良い。途中の郷村にも触れをだし、羽柴の略奪に合わぬように持てるだけの物資を抱えて避難するように知らせておく。」
山城の民は応仁の乱以降、こういう事態に慣れているからな。離脱は早い。触れ回るだけで焦土戦術が成り立つ地域だ。羽柴贔屓が多少居たところで大方の者は念の為に疎開してしまうだろう。
「本隊は丹波一国全体を戦場と見做し、補給の尽きた羽柴勢を迎撃撃破する。」
「丹波一国全体を戦場…ですか。」
利三が難しい顔をしている。深く引き込むので戦後が気になるのだろう。丹波が荒れるのを避けたい気持ちは俺も同じだが、今回はしょうがない。
「うむ。そのためには亀山城や八木城では浅い。篠山川流域まで誘い込み、八上城のあたりで篠山川を前に見て北から迫る羽柴勢を迎え撃つ事にする。ここまで誘い込んでおけば退路を断つのも容易い。」
丹波は中央を山陰道が南東から北西へ斜めに走っているのだが、開けているのは山陰道から枝分かれした篠山街道添いだ。(丹波西部で篠山街道は再び山陰道に合流する。)
「退路を断つのは、山城側に潜ませる近江勢と云う事になりますな。」
庄兵衛が指摘してくる。
「うむ。山城側は近江勢で担ってもらう。羽柴勢を丹波に引き込んで追い落とすまでは近江で英気を養っておいてくれ。近江勢は頃合いを見て山城と丹波の国境あたりに進出し、補給が切れて撤退する羽柴勢を待ち構える事になるだろう。丹波の本軍と近江勢へのつなぎは山の民につけてもらう。」
光秀は領民に非常に慕われており、山岳民の山窩にも分け隔てなく接してきたので山の民との関係は良好だ。対価は必要だが丹波と近江の連携に問題はない。また、丹波での迎撃に近江勢をとりこむと不安が残る。秀吉ならば、必ず近江勢を調略してくるだろう。
「なるほど。確かに必勝の策ですな。ですが、丹波は荒らされますな…。」
貞興が残念そうだ。長年室町幕府の根無し草で苦労してきたのでことさら一所懸命になるのだろう。
「いや。さほど荒らされはすまい。すでに羽柴勢は伸び切っておる。それをさらに山城を超えて丹波まで引きずるのだ。一週間と持つまい。そして一旦追い落とせば山城摂津を超え、遠路播磨まで逃げねばならぬ。」
「…壊滅…いや、下手をすると全滅ですか。」
小川祐忠が見通しを語る。要注意人物だが自軍が必勝と納得させておけば、裏切ることはないだろう。それは祐忠に限らない。皆、負ける方には与したくないのは当たり前なのだ。
「桂で別れて以降は近江勢に細かな指示が出せない。今から云う点に注意しておいてくれ。羽柴の退路を断つ時期はつなぎを入れるが、それにかかわらず、騎馬の遊撃隊を交代でやすませながら、常に羽柴の補給を襲うように。細い補給だろうが、わずかずつでも必ず手当してくるはずだ。秀長も居るのでな。だが補給隊を殲滅する必要はない。適当に嫌がらせすれば危険と解っていても丹波まで追いすがってくるしかないのが今の羽柴勢の置かれた状況よ。」
近江勢が頷いている。余裕を持って戦えと言われているのだ。楽な仕事なので有難いだろう。
「さらに、退路を断つときも、完全に塞がないように。完全に塞ぐと近江勢にも被害が出る。近江勢はこれからまだまだ働いてもらう。無駄な被害はだしたくない。」
近江勢を大切に思っている事を強調しておく。やることは同じでも受け取り方が違ってくるからな。
「街道が走り抜けられる程度に緩めておくのだ。勿論、その側面からしこたま矢玉を見舞ってやるのだが。」
諸将の顔がほころぶ。戦場で戦果が一番大きくなるのが追撃戦だ。追撃戦が楽しくない武将など居ない。
「追撃は山城国内で留める。摂津までは追わぬようにせよ。」
山城だけでも相当な距離がある。妥当な指示なので誰も異論は挟まない。それに、摂津の諸将は戦勝後に調略して味方に引き込まねばならない。味方の兵で摂津を荒らすのは不味い。
「丹波勢はこの日向守が直率するので細かな指示は折々に出す。以上だ。では転進いたそうか。」
”おう” という声とともに諸将が散っていく。
「では我々も遊撃隊を指揮して出ますれば、後日八上城にて。」
「うむ。本番は丹波だ。一人も欠けることなく息災でな。」
光秀腹心の利三や庄兵衛とも一旦別れることになる。
どうだ歴史の糞神。光秀が山崎の地で決戦せざるを得なかったのは、山城に敵兵を入れさせないという大前提があったからだ。公家や朝廷になにか釘でも刺されていたのだろうが、残念ながら俺は光秀じゃないからな。俺が憑依した光秀パートⅡはオリジナルの光秀ほど義理堅くないぞ。