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光秀、下天の夢を見る  作者: 狸 寝起
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28 細川幽斎処刑

数日後、京より正三位権中納言、なかのいんみちかつが到着した。すでに本陣に通され居並ぶ諸将の上座に座している。諸将の列の末席には細川忠興夫婦も並んでいる。


「日向守殿、凄まじい大軍でおじゃるな。」


「はい、畿内の諸将が心を一つに致してくだされた結果、五万の軍勢が揃いましてござります。中納言様。」


「なんと五万とな。あな恐ろしや…ところで日向守殿。麿の友垣の姿が見えぬのじゃが?」


「はて?中納言様の知遇に叶いますが如き、やんごとなきお方がこの田舎、ましてやいくさわすはずもなく……おお、そういえば従四位下をかたる不届き者が居りました。したが前右府すらのがれ得ぬこの日向守の包囲でござる。華美な衣装をまといて御公家衆をかたり落ち延びようとは笑止千万。勿論、左様な不届き者など即座に成敗いたしましてござれば、ご心配召されますな。」


「……う…あぅ……」


口を金魚のようにパクパクさせて、なかのいんみちかつがおろおろしている。事の次第を知っている上級武将はニヤニヤ薄ら笑いをして、冷たい目線をみちかつに投げている。

ようやく心の整理がついたのか、流れる冷や汗を拭きつつみちかつが言葉を絞り出す。


「…そ、それはちょうじょう。ほ、ほほほ…」


白けきった場になかのいんみちかつの空笑いが響き渡る。まだ20代半ばであるが、煮ても焼いても食えぬ公家だけの事はある。盟友が切り捨てられていると知ってもすぐに立ち直るしたたかさは流石と言えよう。


「さ、さて日向守殿。此度は何処まで攻められるのでおじゃる?いや、武家の戦に興味など麿まろは無いのじゃが騒ぎがあまりに大きゅうなるのをお上は好まれぬでおじゃるから…」


「は、細川兵部大輔の人倫にもとる此度の行いは天下万民が知るところなれば、二度とこの先このようなやからが生まれませぬよう斬首と致す所存にこざります。」


「な、なに、斬首であるとな。…いや、武家が武家を如何様に処分しようとも勿論かまわぬ。構わぬのじゃが……ちと困ったのう。」


「なにかお困りでござりましょうや、中納言様。」


「うむ。困ったでおじゃる。いやさ、細川兵部大輔は当代の二条流古今伝授伝承者でおじゃる。古今伝授が途絶えるのは日ノ本にとって大きな損失に思えるのじゃ……。」


いいながらチラチラとねちっこい流し目で見てくる。嫌われる訳だ。


「なるほど、それは成りませぬな、中納言様。」


「おお、日向守殿もそう思われるか、ならば、いの…」


「命は助けられませぬが二条流古今伝授は助けられますぞ、中納言様。なに、簡単なこと。今日一日包囲したまま総攻めを控えますれば、中納言様がただちに城に行かれて秘説相承されれば宜しい。そもそもが、古今伝授のような大切な伝承を武家が持っているのが間違い。中納言様であれば格式も申し分なし。切紙伝授など1日もあれば余裕でできましょう。幽斎も喜んで中納言様に託しましょうぞ。」


切紙伝授とは口頭でのでんでなく、紙に記した目録を弟子に授ける形式で、いわば免状のような体裁だ。

史実での関ヶ原の戦いの折に古今伝授を口実に朝廷が幽斎助命に動いているので予想通りという訳だ。

予想外だったのはなかのいんみちかつの方である。まさか中納言という高い位階を逆用されるとは思っていなかっただろう。中納言こそ古今伝授伝承者にふさしいと云われれば、公家としてそれを否定することは自らの権威を否定することになってしまう。受けるしか無い立場なのだ。


「い、いや、しかし、その…」


「さあ、急がれませ。幽斎が短気を起こして腹でも召すと厄介でござる。これ、光春、吉長、そち達が護衛して城へ案内して差し上げろ。めったに見れぬ秘説相承だ。護衛を兼ねてしかと見届けて参るが良い。」


借りてきた猫のような塩梅で猛将2人に両脇を固められなかのいんみちかつが田辺城本丸に消える。本丸に入ったのを見届けるや本陣では大笑いの渦だ。


「ひ、日向守、さ…ま。あまり笑わさないでくだされ。我慢するのもきつうござるぞ。」


「いやあ、痛快痛快。あのなまぐさ公家の慌てっぷりよ。一時は結局助命するのかと、我々も思わされましたぞ。」


諸将にはなかなか好評だったようだ。その中にあって細川忠興のみはじっとなにか考え込んでいる。どうやらやっと実父の裏の顔の全容が透けて見えてきたか。後世の歴史では細川忠興はガチガチの武将で猛将だ。忠興自身とは相容れない立ち位置の実父を直視できるようになってきているかもしれぬ。


「古今伝授の秘説相承が終わるまで暇だな。利三、兵達も交代で休息させてやれ。酒はだめだが飯は許す。」


利三が使番を各隊に走らせる。本陣でも炊飯が始まる。


「随分と細かな気遣いですな、日向守様。」


「細かすぎると思われるかな、官兵衛殿。だがどうにも性分でな。本当に空腹なら誰かが進言してくるから気にせずとも良いのだが。」


「いやいや、空腹を感じる前に手配される事が多ければ、兵は良く懐きましょう。色々な陣で陣借りが多い雑賀衆や伊賀者なら特に。我が主、秀吉も殊のほか細かく指示しておりますぞ。まあ、それも先の敗戦で元の木阿弥でござるが。」


「うむ、さもあろう。だが秀吉殿の信は落ちようとも秀長殿がわす。羽柴は安泰でござるよ。」


「左様ですな。天下に打って出ることは叶わずとも、播磨に割拠する事は出来ますな。」


秀吉の事は心配無用と念押ししてきたわけか。なにかと腹の中を探られがちな官兵衛だが、それなりに主思いという事らしい。まあ、それも演技の部分も有るので話半分ではある。


「ほう、猪肉入の汁とは贅沢な。明智勢ではいつもこうなのですかな。」


「いつもという訳でもないが、可能な場合は僅かずつでも獣肉を食わすようにしている。獣肉にはなにかと有用なものが詰まっているのでな。獣肉を食わすようになって以降、明智勢はかっつ知らずじゃ。」


「ほう、左様な効果が。儂の足も動くようになりますかな。」


「可能性は低いが、なくもないぞ。」


皆が食い終わる頃合いには山葡萄が配られる。今は秋なので山野に果実が実っており、容易に手に入る。冬場は干し柿などにする予定だ。


「食後には果物でござるか。いたれりくせりですな。」


「果実や生野菜にも重要なものが含まれていてな。少量でも食しておかぬと体調を損ねてしまうのだ。」


「ふうむ。徳川殿が医術に堪能であるのは有名でござるが、日向守様はそれ以上ですな。やたらに明智の兵が強かったのも道理か…。」


「ゆくゆくは日ノ本全ての人々も同じような食生活をさせたいと考えておる。まあ、公家と坊主は無理だが。」


公家や僧侶は肉食が禁じられている。自分たちで決めた決め事だ。守ってもらうしかない。


秘説相承が終わるまで奇妙な停戦状態が続いている。ここでなんとか策を練り直して幽斎は生き延びたいところだろうが、それを許さないように光春と吉長を付けている。吉長だけではうまく丸め込めようが光春が居てはそれも成るまい。粛々と儀式を執り行うまでだ。


「終わったようですな、日向守様。幽斎はもっと見苦しく粘るかと思いましたが、意外ですな。」


いっときちょっとで幽斎を含む一行が城から出てきた。幽斎と光秀、お互いの思惑は異なれど長年の付き合いだ。光秀が一度決意した以上、最早助命は叶わぬと観念したか。


「秘説相承、確かに見届けてまいりました、日向守様。」


光春が全て終わった事を復命する。これでもう幽斎を斬首する障害は無い。


「兵部(幽斎)殿。如何なさる?再び城に戻って徹底抗戦されるなら送り届けよう。それとも降伏して斬首に甘んじられるかな。」


斬首の理由は説明しない。幽斎も聞こうとしない。無駄に聞けば幽斎の裏の顔を満天下にさらす事になり、家名を残すことすら出来なくなる。


「忠興もるか。」


細川忠興が諸将の列に座を得ているのを確認した幽斎の顔がわずかになごむ。


「日向守。降伏も抗戦も致さぬ。最早万策尽きておる。儂も早く気付くべきであった。まさか公家をまつりごとから完全に排除する事が後の世に必要だったとはな。生まれながらに官位を約束されていたが為に見誤ったわ。儂の見ていた世はくもせまかったのだな。われの身は好きにするが良い。…忠興、うぬは正真正銘の武人なれば儂の事は忘れよ。今よりは細川家当主として日向守にまことを尽くすが良い。日向守が描く世は、儂が生き延びて導く世より良くなろう。」


薄々は感じていただろうが、公家をまつりごとから完全に排除すると聞いて、なかのいんみちかつの顔が青い。公家の排除を心配しているのか、はたまた現場に居てなにも手を施せなかった責任追及を恐れているのかは解らないが…たぶん後者…だろうな。


「兵部大輔…さ…ま…。」


幽斎に声を掛けられた細川忠興がつぶやく。たまはすでに手を合わせて目をつむり、一心にブツブツなにか言っている。のちの歴史での熊本藩主細川家墓所である泰勝寺の寺号を受け継いでいる京都の泰勝寺が臨済宗妙心寺派であるので、恐らくこの時点ではたまも禅宗だったのだろう。南無釈迦牟尼仏…などととなえているのだろうか。


「すでに聞き及んでいるだろうが、細川兵部大輔は斬首に処す。忠興殿はこの戦いで疲弊した丹後を仮に引き継ぎ当座の復興に努めよ。忠興殿の処分はそのまつりごとの結果を見て言い渡す事とする。」


「ふ。甘いな、日向守。だが戦勝におごりて前右府のてつは踏んでおらぬようだ。まずは安心した。では先に地獄で待つとしようか。」


無言で光春が進み出て太刀を構える。それに合わせて幽斎が首を前に伸ばす。俺が光春に目で合図を送り…


…ザシュッ……………


一刀の元に幽斎の首が切り落とされる。初めて凄惨な現場を見たなかのいんみちかつのみが、うずくまってゲロを吐いている。


「長年謀られてきたが、それでも苦楽を共にした時期もあった。最早遺恨は消えた。忠興殿、たま。あとは任せるゆえ、丁重に葬って差し上げよ。」


「……は………」


忠興が小さな声で応える。玉がいち早く進み出て自らのうちかけで手早く首をつつみ隠す。戦国の武家のおなとは、こういうものか。そういえば、首実検の化粧や死装束をととのえるのもおなの役目と聞いたことが有る。


「中納言様には刺激が強すぎましたかな。したが、まつりごとに加わるとはこういう事でござりますれば、重々お心に留め置きくだされ。これ、誰か中納言様の帰京のお手伝いをして差し上げよ。」


まだゲロを吐いてのたうっているなかのいんみちかつだ。できるだけ早く此の場を離れるのが良いだろう。近習に手配させて無理やり馬に乗せ数人の護衛を小浜まで同行させる。此処にいつまでも居座られても面倒でもあるしな。いつのまにか忠興夫婦の姿も見えない。むくろを埋葬に去ったのだろう。


「日向守様、或る意味、最大の懸案の一つが片付きましたな…」


「ああ。そうだな、利三。惜しい男であった。だが武士そのものを謀っていたとなれば、致し方なし。で、官兵衛はどうした?」


「官兵衛殿はなんでも忠興殿を見極めると申されて、たま様とともに行かれましたぞ。」


なるほど、見極める…か。見た目は知的な猛将だが、うちに燃える炎は強すぎて自分も焦がしてしまいかねない性格の忠興だ。敵味方いずれに転んでも極端に動くだろう。ここは官兵衛の初仕事に期待させてもらおう。


「丹後はこれで一応の決着を見た。丹後街道を小浜に向う。部隊を小浜で一旦縮小する。但馬勢の半数を一旦但馬へ帰らせる。残り半数の但馬勢と近江勢はそのまま北近江へ向かう。但馬勢、雑賀勢、大和勢も同行させよ。その他は一旦帰郷させて英気を養い来春の柴田勝家との決戦に備える。」


おっと若狭にも敵がいたな。行きがけの駄賃で踏み潰してもよいが、恐らくは……まあよい、行けば判ろう。



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