25 丹後へ
近江勢八千をそのまま北上させ、数日でも帰郷の時間を与える。ひと息つかせてから山陰道を丹波経由で出石方面に出て本隊と合流の予定だ。丹波から宮津街道を北上して宮津城を直撃する方法も有るが分進合撃は通信手段が不自由なこの時代では各個撃破の危険があるので用いない事にする。
丹後の国は太閤検地でも11万石であり兵をかき集めても三千、地元での防衛戦なので農民兵を急募出来るがそれでも精々五千がやっとだ。大軍に複雑な作戦など必要なく、海沿いにある拠点を単純に端から制圧してゆけば良い。よって本隊は大軍の移動が容易な西国街道を姫路まで西進し姫路から後の生野銀山道を北上、出石付近で全軍合流とする。合流の後、出石街道を北上、丹後西端に侵入し手始めに久美浜城を制圧する。その後は丹後街道を海沿いに東進、宮津城、田辺城を落とせば終了である。
高槻から姫路のざっと120kmを三日かけて行軍、姫路で英気を養い羽柴勢四千を吸収し北上を開始する。
「羽柴勢の指揮は秀吉殿でなく黒田官兵衛殿と蜂須賀殿ですな。日向守様。」
「不満か、利三。」
「いえ、後方に秀吉殿を残留させたままでござれば、そこまで羽柴勢を信じて良いものかと。」
「念には念で警戒するのは良いことだ。だからこそ利三に安心して任せられるというものよ。だが羽柴秀吉殿には最早警戒は不要だ。逆に、黒田官兵衛殿は野心旺盛故それなりに注意しておくが良い。」
「…もしや、秀吉殿も同様のお考えで官兵衛殿を出された…そういう事でござりまするか。」
「まあ、そんな辺りであろうな。お、噂をすれば使番のようだぞ。」
「日向守様、黒田官兵衛様、蜂須賀正勝様がお見えで御座います。」
「うむ、こちらに馬を寄せるようにお伝えせよ。」
行軍中であるがゆっくり目の行軍であり馬を寄せれば余裕で話もできる。
「日向守様、蜂須賀正勝でござる。此度は軍旅に加えて戴くだけでなく兵糧までお世話に預かり申し訳なく。」
「いや、先の戦の痛手も冷めぬ間によくぞ四千も準備されましたな。流石、羽柴殿でござるよ。」
蔵が空の羽柴勢には兵糧弾薬を利三に命じて支給させている。それでも四千の人数をひねり出すのは容易ではなかったはずだ。ほぼ手持ちの全軍をわざと出す事で謀反の気がない事を示している。
「官兵衛殿も、騎乗は辛くござらぬか。此度の行軍はゆるゆるとしか進めぬ故、輿でもようござるが。」
黒田官兵衛は荒木村重謀反の折、村重に捕まり足が不自由だ。本人も相当堪えたようで、幽閉事件以降は無茶な行動をしなくなっている。
「お心遣い痛み入ります。なに、儂とてまだまだやれますぞ。日向守様。」
「左様でござったな。官兵衛殿は首から上だけあれば如何ようにも働けましょうな、はははっ。」
「ふぅ。日向守様には敵いませぬな。」
「この際じゃ、一つお尋ねしておこう。官兵衛殿、ご貴殿はこの世に生まれて何を成したいでござるかな?」
「はて、ううん、そうですなあ。生まれてきたからには、この智慧を日ノ本の史に刻みたくござるなあ。」
「やはりの。さもありなん。」
「かく云われる日向守様はどうでござる?」
「儂かあ。儂は史の神の鼻を明かしたい…そんなところかのう。」
「神の鼻を…でござるか。それはまた気宇壮大な。しかし、我々二人、案外似ていますな。」
「確かにのう。そうじゃ、なれば官兵衛殿、いっそこのまま儂の横で世の移り変わりを見届けてみぬか?」
「…面白そうでござるが、出来そうも無き事で、残念でござるが…」
「そうでも無いぞ。なに、儂と秀吉殿で話をつければ良いだけじゃ。秀吉殿なれば二つ返事で許諾されよう。これから羽柴家は立て直しの時期じゃ。内政に秀でた者なれば働き場もあろうが、それは官兵衛殿の役目ではあるまい。客将として自由に明智勢の中を検分するも面白いのではないか?当分は明智勢は戦に次ぐ戦じゃ。官兵衛殿の腕、いや、智慧の振るい場所はいくらでも有るぞ。」
目の届くところに置いておけばイタズラされる心配もなくなる。とっさの思いつきで出た誘いだが、官兵衛も乗り気のようだ。
「本当でござれば、是非に。」
隣で蜂須賀正勝が驚いているが、驚き方が官兵衛ではなく俺だ。どうやら秀吉の読み筋でもあったようだ。予め秀吉に聞かされていたのだろう。
「…あー、ゴホン。日向守様、官兵衛殿。姫路へ確認には及びませぬ。主秀吉から聞かされておりまする。日向守様が官兵衛殿を望まれた場合は良きに計らえとの事でござれば。」
官兵衛と顔を見合わせる。
「流石秀吉殿じゃ。官兵衛殿の無聊はお見通しだったようですな。」
「いやはや…この官兵衛、お釈迦様の手の上でござったか。」
「ふふ。なれば只今から官兵衛殿は我が明智勢の軍師でもある。遠慮は無用ですぞ。」
「なれば早速ながらお尋ね致す。日向守様は此度の丹後攻め、どこまで踏み込まれますかな。」
「丹後攻めでは全土を制圧いたす所存じゃ。」
「兵部大輔(細川藤孝)殿の処遇は?」
「切腹または斬首じゃな。」
「本気でござる…ようですな。しかし、そうなると京から邪魔が入りますぞ。」
「うむ。それが狙いよ。」
暫し官兵衛が黙考する。いままでの光秀と藤孝の関係、藤孝が実際に行った行動などを反芻しているようだ。
「日向守様は朝廷と距離を取られる…と。」
「左様。これを期に朝廷も宗教界同様、現世の政から手を引いて頂く。朝廷は有職故実の管理に専念していただくつもりだ。」
「確かに、鎌倉殿以降の世が今ひとつ纏まらぬのは節目節目での朝廷の影故でござるな。元弘の乱を経て足利殿の世に成ってからは表立った動きはされておらぬようですが。」
「もう、影で蠢かれるだけでも迷惑なのでな。先日の高槻の話も聞いていたであろう。最早日ノ本の内で縄張り争いしている場合ではないのだ。」
「それは重々わかっており申す。が、されば日向守様が日ノ本全てを支配されるのでござるか?」
「それは無理というものよ。仮にいっときは支配出来たとしても長続きせぬ。されば、日ノ本全体を憂える気持ちのある方々と合議して、襲い来る南蛮に対処するのが良い…儂はそう考えておる。すでにその手始めに薩摩の島津殿と連携を模索しておる。四国の長宗我部殿も否やはあるまい。」
「なんと、すでにそこまで。されば我が主羽柴秀吉もその一角に?」
「いや、まだ秀吉殿には話しておらぬ。が話さずとも理解してくれようぞ。秀吉殿には、話の前に儂が解決してやらねばならぬ事があるでの。」
「ふうむ。中国は毛利でござろうな。」
「うむ。毛利はすでに拡大を希望されておらぬので話はすぐに纏まるであろう。宇喜多殿も先代はいざ知らず、今は信ずるに値するであろう。」
「日向守様の構想、西国は大方成っていますな。」
「肥前、豊後の南蛮に丸めこまれておる大名は成敗せねばならぬがな。」
すでに大友はキリスト教に狂っているし有馬など土地まで割譲している連中がいる。
「織田家成敗が終われば大戦はなくなりますかな。日向守様。」
「いや、どす黒い野心を隠し持ち雌伏してきた狸がおる。」
「…家康…殿でござるか。」
「うむ。その家康よ。」
「…あれがのう…?兵も策も中途半端としか?」
「それは舐めすぎというものよ。まあ、官兵衛殿であればその気になって見ておれば判る。」
「ほう、日向守様がそこまで評価されるのであれば、しかと見極めましょうぞ。」
頷いて話を終える。信長存命中はひたすら雌伏していたので、官兵衛の意識から家康が外れているのだ。大望がなければ三方ヶ原以前に信長と手切れして武田信玄についたほうが、むしろ苦労は少なかっただろう。それを選ばなかったのも年齢差を考慮した上での長期計画があればこそ。このような長生きで勝負する戦略など過去に例が無いので盲点になっているのだ。だからなおさら、光秀存命中に家康の首も取っておかねばならない。
ゆるゆると数日の行軍を重ねて山陰道との合流点に近づいていく。道中で但馬を任せている伊勢貞興 と並河易家が守備兵を残して合流する。各々二千、合計四千だ。生野銀山の上がりもあって伊勢貞興はホクホク顔だ。減税も行い統治も問題ないので必要な分は銀山の上がりから抽出してよいと伝えている。
程なく但馬八鹿付近で丹波経由で進軍してきた近江勢八千も合流する。とうとう全軍で五万に到達した。
「いやはや、とんでもない大軍ですな、日向守様。前右府でもめったにこれだけの大軍は動かしておりませぬぞ。」
「畿内の商いが順調であるからこそだ、利三。我らだけではとてもこれだけの大軍は動かしきれぬ。補給を支えてくれている商家あればこそよ。だが彼らにも益は大きい。大軍が移動すれば必ず道も整備されるからの。獣道が細道にかわるだけで、物の流れは随分良くなる。商家の動きも活気がでる。」
「まことに。南蛮人が商家を賤業と蔑むなど、愚かの極みですなあ。」
「まあ日ノ本も似たようなものよ。武士の起こりは賤業であったからのう。」
「そうでしたな。源氏も平氏もそれもあって地方へ散らばっていった…」
「さて、そろそろ久美浜も近い。物見を出してみるが良い。行軍隊形は崩さずとも良い。」
行軍隊形を維持したのは、おそらく久美浜城はもぬけの殻だからだ。史実では後年の関ヶ原の折に細川藤孝は丹後各地の小城の兵を引き、田辺城に集中した。今回は関ヶ原と異なり丹後の兵が全く出兵していないため小城の田辺城では収まりきらない。よって、息子の忠興が座す宮津城と藤孝の田辺城の二つに集中するだろう。
「日向守様、物見が帰ってきましたが、やはり久美浜城は空との事。」
「やはりな。丹後にはさほど大規模な城はない。宮津と田辺に集中したと見て相違あるまい。」