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光秀、下天の夢を見る  作者: 狸 寝起
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23 和製ジーベック建造

ここ数日島津について思案したが、やっと考えが纏まったので手紙を書く。


島津義久殿

先年の相良殿追討祝着至極に候。我、日向守光秀、島津殿と手を携えたくここに一筆認め候。島津殿には薩摩、大隅、日向に加え、肥後の四国をお任せ致したく思い候。ご不満に思われしが肥前、豊後を加えし場合は島津殿に無用のついえを掛けさせ候。戦にあらず。肥前、豊後はすでに蛮夷の跋扈する難治の地に候故也。尚、四国にて約定成し時は薩摩、大隅を倍の豊かな地に為す算段有り候。そのあかしに甘藷をここに示し候。甘藷は南方、ルソンのさらに南、モルッカ諸島付近に有り。甘藷は甘芋也。シラス地にて大いに育ち候。芋肌は紫にて候。中は黄色也。希に中も紫有。熱き地なれば水有れば良し。肥は不要。乞う、直ちに舟を出し入手されん事。


これでよいか。元々島津氏は日新斎忠良の頃から薩摩・大隅・日向の三州支配が悲願だったはず。これに大国肥後を加えれば十分に家中を納得させられよう。そこにサツマイモが有れば食うに困らぬ。無理に戦う意味は無くなるのだ。


「左、おるや。」


「左、これに。」


「この文を薩摩の島津義久殿へ届けてもらいたい。人選は任す。薩摩は潜入が難しかろう故、明智の正使と申し堂々と届けよ。正使としての印はこれを見せよ。道中は長宗我部殿を頼るが良い。」


-この者は我が明智日向守が臣也 (花押)-


と書かれた書付と路銀を別に渡す。

左が無言で手紙と書付、永楽通宝の束を受け取り消える。貨幣経済のまだ未発達な地域では銭で流通可能なものは永楽通宝しか無かったのだ。

左に手紙を託して再編成が成った軍列へと向う。いよいよ高槻での対決だ。そしてその後は丹後宮津城を攻める事になる。


「壮観だな。」


待っていた利三に声を掛ける。


「丹波・坂本勢二万、近江勢八千、大和勢二千、摂津衆九千、和泉の蜂屋殿二千、紀州から太田殿が纏め上げた1千。雑賀衆と根来衆は遅れて投石機と共に直接丹後へ最短距離で向うとの事です。」


兵数だけではない。各隊ともに明智本軍に匹敵する比率で鉄砲装備が完了している上、大和勢は二千全てが鉄砲騎馬隊だ。


「うむ。よくぞここまで仕立て上げた。流石利三よ。」


「さらに丹後攻めへは姫路で羽柴勢から二千と宇喜多勢の二千も合流しますぞ。勿論但馬を通る時に伊勢貞興殿、並河易家殿それぞれ二千も。まあ、宇喜多勢は半ば遠征への調練でしょうが。」


「調練という意味では他も似たようなものだがな。旧織田家の兵以外は皆兵站が弱い。まあ、それだけ前右府にはこき使われていたという事だが。」


「なにやら高槻では怪しい動きもあるようですが、これでは何も出来ますまい。」


「遠距離からの狙撃も或る。油断は出来ぬぞ、利三。我の守りが固く困難であれば、その方を狙うやもしれぬ。」


「なるほど。羽柴殿を狙撃して離間を図られても面倒ですな。」


「そういうことだ。猫は引っ掻く、犬は噛み付く、どんなときでもそれなりのやり方はあるものよ。では、ゆるゆると行くとしよう。」


堺から高槻へは難所も無く左右の河や湿地帯を見ながらゆったりと行軍する。真夏に始まった山崎の戦いだが、すでに秋に成っていた。


「小西殿を呼んでくれるか。」


行軍しながら小西隆佐を呼ぶ。


「ご子息、行長殿はもう明智の軍に慣れましたかな。」


「ありがとうござります。新参者にいきなり五百騎をお預けくださり当人も感激しておりまする。」


「なに、行長殿であれば問題ない。部隊長の仕事は戦場よりも部隊の維持補給が重要だ。殊に我が明智は重装備であるからなおさらにな。商才もある行長殿ならば、補給を怠るはずもなく。一昔前のただの猛将では、もう戦について行けぬのよ。」


「いかにも。当人も明智の常の装備を目の当たりにして驚いておりました。」


「うむ。で本題だ。隆佐殿、これを見てくれ。」


ここ数日かけて描いた絵図面を小西隆佐に渡す。私掠船に多用されたジーベック船を思い出して描いた図だ。


「これは、船の図面ですな。まさか、これは南蛮船の?」


「全く同じでは無いがな。南蛮船と同じ、竜骨を持つ船で遠洋航海ができる。要点を教えるのでよく聞いてくれ。」


「…は、ははー」


「よいか、まずはこの図のように中心に竜骨と呼ぶ芯になる骨がある。ここが弱いと話にならぬので注意せよ。そして船底だ。」


「?船底。おお、丸くなっておりますな。」


「うむ。底を丸く作らぬと波を切り裂いて進む障害になる。当然、砂地でも接岸出来ぬので専用の船着き場を作り荷下ろしせねばならぬ。」


「なるほど、外洋の大波に乗るのではなく、波を切り裂いて航海するのですな…」


「そして船の長さと太さの釣り合いに注意せよ。長さに比して細いほど船足が早くなるのだ。」


「なんと、そうなのですか。」


「うむ。だがある程度太くないと逆風での帆走がしにくいので、要は長い船が良いわけだ。」


「え?逆風で帆走できるのでござるか?」


「できる。この図のような三角の帆をうまく用いれば順風だろうが逆風だろうが風さえあれば走る。」


「言われてみれば…三角の帆ですな。ほう、無風でも走れるように両舷に櫂も…この多数の舷側の穴は大筒用ですか…」


「さらに船の上面だ。船倉を密閉できる構造になっており、しっかりした蓋になっている。こうすることで、大波をかぶっても船内に海水が入らぬようにしてあるので沈まぬのだ。」


「ほう…時化でも航海できねばならぬので、こんな造りに…恐ろしく頑丈になりますな。」


「良いこともあるぞ。中心の骨から骨に繋いでゆけば良いので小さい板を重ねて作れる。和船のような贅沢な大板は要らぬ。」


「確かに。和船は底板の大きさで船の大きさが決まってしまいますからな。これならいくらでも大きな船が作れまするな。」


「問題もある。いかに緻密に板を張り合わせても隙間がら水が入り込むであろう。それは和船でも同様だが長い航海をする船であればこれが大問題になる。」


「そのとおりで、それゆえ和船は数日ごとに寄港して整備せねばならぬのです。」


「遠路を航海するためには、板の隙間を詰めて水がはいらぬようにせねばならぬが、そのための工夫がこれだ。」


描いておいたもう一枚の紙を出す。


「これは?」


「タールと云うてな。ドロドロの粘い液体だが、固まる性質がある。これを板の継ぎ目に塗り込んでおけば水の侵入を防げるのだ。」


「なんと…ほう、木を熱して水気を飛ばすのでござるか。炭の作り方によく似ていますな。」


「船全体にタールを塗り込めば少々波をかぶっても大丈夫だ。まあ、船が真っ黒になるのでおどろおどろしくなるがな。ははは。タールの事は南蛮人にも隠しておけ。」


「勿論でございます。しかし、日向守様の知恵は底が有りませぬな。いままでは隠して居られたのですな。」


「越前の朝倉から出奔してざっと十五年か。」


「鳴かず飛ばずは3年で宜しかったでしょうに。」


「わざとでは無かったのだがな。」


「前右府も馬鹿なことを致しましたな。」


「人は皆、晩年に成れば子や孫が可愛くなり過ぎて目が曇るのだ。だがそれでは日ノ本は立ち行かぬ。程々であれば目を瞑ったのだがな。」


小西隆佐が頷く。


「では船は頼んだぞ。明智水軍の勇姿を心待ちにしておる。淡輪、雑賀、長宗我部にも1隻与えられるように多めに作るが良い。船造りの事は淡輪や雑賀に話して船員の手配なども協力して貰うが良かろう。」


「わかりました。船に積む大筒や大鉄砲、焙烙も要りますれば、雑賀衆には大いに働いてもらいます。」


「おっと、いい忘れて居った。船首にあるこれだ。これはと云うものだ。見ての通り喫水線に出た角で鉄で装甲してある。これで敵の船に体当たりして船底や船の側面を貫く装備だ。ちんたら打ち合うよりも手っ取り早く殲滅できる。いずれ大筒の威力が上がるまでの装備だが、現状では効果的だ。」


ラムアタックは現代でこそ廃れているがつい最近までは有力な戦術だった。とくに大型艦が小型艦を相手にする場合に有効だ。太平洋戦争でも後のアメリカ大統領ジョン・F・ケネディの魚雷艇が日本軍駆逐艦「天霧」に轢き潰され漂流、数日死線を彷徨うハメに追い込まれている。日清戦争の清国北洋艦隊の戦艦「定遠」もラム装備艦だ。


「…恐ろしい装備でございますな。こんな頑丈な大船に突っ込まれては一溜まりも有りませぬぞ。」


「打ち合うと思い込んでいる相手にいきなり突っ込むのだ。初戦なれば一撃で壊滅だろうな。」


本当なら内燃機関やスクリューも造りたいが、糞神がそういった手段を講じる時間を奪っているので長期を要する技術革新は不可能だ。あの野郎必ず吠え面かかせてやる。

小西隆佐と別れ利三の横まで戻る。

いつの間にか逆側にもう一騎居る。


「左か。」


「デウスの信徒は一部のみが臨戦態勢。狙撃の気配無し。民衆扇動での暴動の企図也やと。制圧の手配は完了。」


「ご苦労。」


すぐに「左」が消える。


「消えましたな。日向守様。」


「うむ。利三、これからの戦は情報と技、それに知恵よ。」


「まことに。伊賀衆が敵に付いたならば、大変になるところでしたな。」


史実でも小牧長久手の戦いで秀吉側の三河中入り戦術が露見し家康勢主力に後方から奇襲されて秀吉方が大敗しているが、その原因は情報格差だ。伊賀衆を家康から剥がしている今であれば、中入りが逆に成功して秀吉側が大勝していてもおかしくない。

だが現実には大きな維持費がかかる忍び衆を常雇いする大名は過去にほとんど居ない。北条の風魔衆にしても完全な常雇いとまでは言えない状態なのだ。


-だが、伊賀衆に粉をかけた家康だ。自陣営の欠陥に気がついた可能性は高い。甲斐に侵攻後は武田信玄の遺臣

を多く雇用するので、その流れで信玄の造った諜報網を得ようとするだろうな。だが、甲斐まではまだ手が出ぬ。どうしたものか。-


「左!」


「左、これに。」


「急ぎ故口頭で申し伝える。北信濃の真田昌幸殿へ伝令を出す。真田殿は独自の忍びを少数だが抱えておる故、伊賀者である事がわかれば話だけで通されよう。全てありのまま申せば良い。」


「は。で、口上は?」


「信玄の歩き巫女を可能な限り抑えられたし。敵は家康也…だ。真田殿なれば、これだけで全て通じよう。かさばるが手土産も届けてもらう。」


甲州碁石金袋二個と火薬樽の荷車一台、路銀の永楽通宝を用意させる。


「金と火薬だけでよろしいので?」


「良い。ある程度の鉄砲はすでに持たれておるし、真田殿であれば火薬だけでも縦横に活用しよう。追加が必要であればいつでも届けると申せ。」


「真田殿とはまだなんら約定出来ておりませぬが…」


「真田殿に約定など不要だ。世の流れが明智と組むべきなれば、なにもいわずとも黙って組める。逆に、組むべきでなければ約定など何の意味もない。儂が真田殿を高く評価している限り、真田殿はそれに応える。」


左が消える。切れる男だ。伊賀に生まれなければどこまで成り上がっていただろうか。いや、伊賀で生まれたからこそ揉まれて鍛え上げられたのか。

とにかく、家康にはとことん嫌がらせしておかねばならぬ。徳川の世を阻止する事は糞神の歴史の否定に直結するのだ。

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