19 雑賀
「日向守様、やはり戦は勝たねばお話になりませぬな。実に上手く事が回ってゆきまする。」
「全くだ。我ら自体は戦の前後でなにも変わってはおらぬのだがな。周囲のほうが変わってしまう。」
本当はこの光秀の中身がかわっているのだけど。
「ところで利三、雑賀だが土橋重治殿はもう土佐から戻られておろうか。」
雑賀の土橋氏は反織田派であり、親織田派の鈴木氏とは犬猿の仲だ。信長の後ろ盾が有るうちは鈴木孫一が優勢だったが信長亡き後は長宗我部と根来の支援のある土橋氏が優勢になっていくのが、憑依前の歴史である。
「はっ。すでに雑賀荘に帰られており、それと入れ替えで孫一は逐電しておるようです。」
「そうか、それなら話が早い。我らが長宗我部と緊密な同盟を結ぶと成ると、鈴木氏が雑賀の盟主では困っていたところだ。雑賀の主が土橋氏であれば、長宗我部、雑賀、根来、明智の大同盟がすぐにでも成るのでな。」
「上手く行けば、数千の鉄砲と優秀な撃ち手を加えられますな。」
雑賀根来の鉄砲衆は通常の軍勢の鉄砲隊とは性格が異なる。通常の軍の鉄砲足軽はあくまで大量の鉄砲による制圧射撃であり、弾幕射撃だ。狙いは適当で数で勝負の性格が強い。しかし、雑賀根来の鉄砲衆は基本的に一撃必殺のスナイパーで高い技量を持っている。信長が危うく暗殺されかけた事件の犯人で後に鋸挽きの刑に処された杉谷善住坊も根来衆だったという説もある。
「彼らの技量は神域に達しておるのでな。是非とも味方に欲しいものよ。」
真夏の考子峠を漸く登りきり、眼下に紀の川が見えてくる。
「夏だからというだけでなく、南国紀伊は暑うござるな。」
「ふふ。利三がよく知っておる土佐はさらに暑かろうに。」
「いかにも。土佐は暑いではなく、焦げる…でござれば。」
「焦げる…か。長宗我部衆、早く会ってみたいものよ。」
「装備は充実とは言えませぬが、兵は剽悍にして結束固く、頼りになりますぞ。」
「噂に聞く、一領具足よな。明智が装備を支援すれば鬼に金棒か。」
「武士の矜持も高ければ、取引の体裁が肝要かと。」
「さもあろう。四国は意外に畿内との交流が多い。古は貴族の流刑地の半ばは四国であったしな。前右府のやりようでは収まるものも収まらぬ。」
斎藤利三が我が意を得たりと頷いている。
「日向守様、お迎え?にしては早ようござるが?」
遠くから涼やかな身なりの男が一騎、近づいてくる。イメージしていた雑賀衆とはかけ離れている。まあそうだよな。なにも組織の幹部まで荒くれ者である必然性はない。
「お初にお目にかかり申す。太田定久でござる。それにおわすは明智日向守様でござろうや?」
なに?太田定久だと?雑賀でも山の手寄りの紀伊の国人。太田党の当主のはずだ。先触れも無いのに此処で待っていたとは、侮れぬ情報収集力だ。たしか史実では最期まで秀吉に屈せず、一度は攻め寄せた秀吉配下の堀勢などを撃退している。最期は秀吉が直々に指揮して居城を水攻めされた結果、ついに開城したが世に隠れた剛の者だ。
「なんと、大田党の太田定久殿でござるか。いずれはお伺いせねばと考えていた矢先でござる。」
斎藤利三が怪訝な顔をしている。実は忘れていたが折角の機会だ、逃す手はない。
「なんと、某をご存知とは。些か驚きでござる。」
「実は紀伊について、太田殿や堀内殿は密かに注視しておりますれば。」
「おお、南紀の堀内殿までも…日向守様は紀州にお詳しいですな。」
堀内氏善は南紀新宮に本拠を据える熊野水軍の主だ。根来寺、雑賀、粉河寺、太田、堀内を押さえれば紀伊の平定が成ったも同然になる。
「我らは土橋殿と面談のため雑賀荘への道中でござれば、太田殿も同道しませぬか?」
「願ってもないこと。元よりお願い致す所存にて。」
太田定久を加えて雑賀荘へ向う。雑賀と言えば雑賀孫一が有名だが雑賀全体が統一されていたわけではなく、有力な五つの地域が連合体をつくる、ちょっとした惣国支配のような状況で伊賀国と似ている。
その土橋氏だが、本能寺前は信長に組した鈴木孫一に追われ土橋重治は一時期、土佐の長宗我部家を頼り落ち延びていた。だが本能寺の変ですぐさま雑賀に戻り、信長の後立をなくして劣勢になった鈴木孫一を追い落とし、逆に雑賀荘に返り咲いたばかりである。
「これは、よく来られました、日向守様。」
「土佐より戻られて間がない所に申し訳ない。重治殿。」
「なんの、戻ってこれたのも日向守様に前右府を討ち取って戴けたゆえ。長宗我部元親様もお喜びでしたぞ。」
「それは良かった。元親殿にも痛くご心配をお掛け致し申し訳なく思っており申した。」
土橋重治や太田定久が頷く。此処に居る者は皆多かれ少なかれ信長に圧迫されてきたので反信長では心情が一致しているのだ。
「さて、この時期に日向守様に定久殿までご参集とあれば、お話は一つですな。」
「いかにも。信長こそ打ち取り申したが、まだ織田家は滅んでおりませぬ。北陸には柴田勝家が数万の兵を擁して健在。濃尾の織田家も以前のままでござる。早晩巻き返しに出てくるは必定にて。」
「日向守様を盟主に戴き一同団結して当たるという事ですな。当然の事でござればなんら障りはありませぬ。」
「ご理解戴き感謝致す。此度は長宗我部家とも連携し、相互に兵も融通したく考えて居りまする。」
「それは良きご思案。元親殿も異論はありますまい。」
「さらに、土橋殿にはかねてご昵懇の根来衆も誘っていただきたく。」
「根来衆でござるか。…ふうむ…」
「無理であろうか?」
「いや、いかにも申される通り、わが土橋と根来衆は深い縁でござるが数千の僧兵を擁すとは言え、その行動範囲はせいぜい紀伊と和泉、頑張って摂津までですぞ。戦場が近江やその向こうではいささか…」
「でしょうな。そこで、遠征の補給などを含め、行人(僧兵)の精鋭二千程度を根来寺所属のままで良いので無期限で我が明智に貸し出すという事はできませぬか。」
「無期限で貸し出す…なるほど。元々傭兵として各地の手伝い戦に出ておりますれば無理でもない話。無期限というのも遠隔地への遠征なれば、当然の事ではある。根来寺にしても戦も無く行人を抱えているだけでは費えが嵩むだけでござれば…出来るかもしれませぬな。」
「有難い、是非にお願い致す。」
土橋重治が頷く。これで少なくとも根来が敵に回る事は無い。将来家康に裏をかき回される心配は無くなる。
「さらに重治殿に一つ相談がござる。これを見てくだされ。」
座敷に予め描いておいた投石機の絵図面を広げて見せる。
「これは?」
「これは唐土で古に使われた投石機でござる。」
「!! これが…」
「唐土の戦は日ノ本とかなり異なっていましてな。一つの都市を数ヶ月大軍で囲んで落としてゆくのが常道。投石機も城…唐土では都市そのものが城で御座るが…を包囲してから現場で作る。ですが日ノ本では大抵速戦即決ゆえ、予め作っておいて現場に持ち込めるようにしたいのです。」
「ふむ…」
「この通り、長い腕で大石を飛ばす仕組みでござるが、これを作るには良き木材と引き綱や籠になる強い革が要りまする。この地雑賀にはそれらが全て揃って居り申す。この投石機の弱点は此処、この腕と支柱の繋ぎでござる。木材では数発で壊れてしまい申す。したが、ここ雑賀であればこの部分を鉄で作ることができるはず。鉄砲の複雑な仕組みが作れる鉄砲鍛冶であれば…。」
「…たしかに。木材、革、鍛冶、揃っていますな。されど大石を飛ばすだけでは大仰なわりに野戦での実際の効果は…城攻めにのみ使われるので?」
「左様。重治殿のご懸念の通り、間延びして飛んでくる大石では躱されておしまいでござるが、焙烙を飛ばせば…」
「!! 日向守様は大石ほども大きさの有る焙烙を投げようと !!」
「いかにも。火薬は持ち込みますゆえ、巨大焙烙もお願いしたい。」
「…恐ろしいことをお考えになられましたな。確かに火薬さえ有れば巨大焙烙も作れましょう。」
絵図を囲んでいる皆が唸っている。火器に精通している者達なので、投石機から投擲される巨大焙烙がどれだけ広範囲を殺傷するかが想像できてしまうのだろう。
「いやはや、戦の度にこのような工夫をされておるのでは相手は堪りませぬな。あの羽柴殿に完勝されるのも当然。ではこの定久は南紀の堀内氏善殿をお味方に誘いましょう。あと、御坊と田辺を抑える湯河直春殿もお誘い致すが良いと思いまする。」
大田定久が残余の紀伊の国人領主の調略を申し出る。当初は南紀までは手が回らないだろうと考えていなかったが定久を得たことで一気に紀州全域の制圧目処がたった。紀伊国はほとんどが山地のため大きな勢力が生まれなかった。比較的平地の多い紀の川の氾濫原に並ぶように粉河寺、根来寺、雑賀庄があるぐらいでほかは小ぶりの土豪達だ。街道も発達しておらず、海岸沿いの道と紀の川沿い以外は熊野参りの修行を兼ねた参拝道であり、とても軍勢が通るような道ではなく軍をだして制圧するには効率が悪い。
「よしなにお願い申す、定久殿。我らは摂津から播磨へ巡り、羽柴を膝詰めで味方に引き込みまする。」
「!! 羽柴殿を…」
おおきく頷いて皆に請け負う。
「その後に、丹後を征伐し、来春出てくる柴田勢を北近江で迎撃する準備にはいる所存。投石機はこの北近江の戦で二台間に合えば良いかと。」
土橋重治が目で了解の合図を返してくるが、
「…いま丹後は征伐と申されましたな?」
聞き逃さず確認してくる。
「いかにも。征伐でござる。あの御仁にこれからの日ノ本を掻き回されては百害有って一利なしでござれば。」
「重治殿、幽斎殿とは長い付き合いの日向守様ゆえ、我らの存じ上げぬ裏をご考慮されたのでありましょうぞ。」
大田定久が助け船を出してくれる。
「なるほど、筒井殿ですらお許しの日向守様が征伐なさるのであれば、さもありなん。室町殿の側近上がりと決めてかかっており申したが、幕臣の体裁が仮りそめの衣で有ったとなれば、あとは…」
「重治殿、それ以上はお胸の内に止め置きくだされ。無用の火の粉はこの光秀が引き受けますれば。」
一同が苦虫を噛み潰して言いたいことを飲み込む。朝廷や公家絡みとなれば紀州の国人では手に余る。今はちゃんとした理由があって討ち果たすという事を知ってもらえれば良い。
「されば春には紀州衆打ち揃って北近江に駆けつけましょうぞ。久々の大戦、腕が鳴り申すのう、重治殿。」
「いかにも。前右府相手では孫一らの腰砕けのために不十分な戦しかできぬ有様だったが、此度は雑賀衆の本当の力をお見せ致しましょうぞ。」
雑賀孫一は当初本願寺勢の主力として信長と争っていたが本願寺の大坂退去後は信長方に寝返り、手のひらを反しで他の雑賀衆を攻め立てていたのだ。土橋重治が孫一を毛嫌いするのも当然である。
「重治殿、重治殿。孫一などもう顔を見る事も御座るまいて。それよりほれ、そろそろ頃合いでは?」
「うぬ。そうであったわ。まずは前祝いじゃ。」
「おっと待たれよ。まだ話は終わっておりませぬぞ重治殿、定久殿。いや、しかしこれは酒を飲みつつでも良いか。」
「ほう、まだなにか御座るか、してそれは?」
すでに酒肴が運ばれている。スズキのぶつ切りを頬張りながら土橋重治が先を促す。
「これを見ていただきたい。」
軍旅の合間に描いた鉄砲の図面と弾の図面だ。
「ほう、鉄砲の図面でござるな。なるほど、大きな台座を肩に当てて安定して撃つ工夫か。」
図面に描いてある銃床に真っ先に目が行く。現代人ではみなれた銃床も此の時代ではまだ未実装なのだ。
「いや、重治殿、台座はたしかに工夫でござるが、それよりここ、銃身に螺旋がありますぞ。」
「うむ。こんな溝があっては弾の力がぬけでてしまいそうだが…ああ、細かい隙間は油で埋めるのか。粘い油が必要だな。弾は椎の実のような形だ。わずかに膨らみがあるな。これを撃つと恐らく弾が…」
「回りますな、くるくると…」
「日向守様。弾を回転させる仕組みのようでござるが何故に?」
流石に専門家であり技術者達だ。狙いをすぐに理解している。
「よくぞ見られた。重治殿、定久殿。このような細長い弾を回転させて打ち出すことで射程が格段に伸び、命中率も上がるのだ。」
「ほう、そうなのでござるか。」
「だが見ての通り弾ひとつとっても造りが複雑だ。銃身に合わせてきっちりした大きさの弾でなければならぬ。いきなりの量産は困難だろうから、まずは試作品をつくってその威力を実際に知ってもらいたい。」
「試作でござるな。解り申した。なに、理由がわかれば作って作れないものではござらぬ。最初はいまの銃よりも情けない威力でも精度を上げていけば狙い通りになりましょう。たしかに、いまの丸弾は時々おかしな方向に曲がりまする。そうか、こうやって弾の動きも決めさせてしまえばまっ直ぐに飛びましょうな…尖った先なので鎧も貫通しやすい…」
「やってみてくれるか。有り難い。」
「なに、難しいものを造るのは職人冥利につきるというもの。のう定久殿。」
「いかにも。しかし日向守様も流石銃の名手でござるな。夜な夜な銃の事をお考えなのですな。」
やれやれ。俺も鉄砲マニアの仲間と勘違いされそうだが、まあ、それでやる気がでるなら良い。
かくて怪しい酒宴で夜は更けていくのだった。