01 軍議
ここは?
《 お主が求めたのであろうが。 》
求めた?なにを?で、誰だ、この爺さん。
《 散々小馬鹿にしおって、忘れとるのか? 》
何のことだ?
《 ワシの管理してきた歴史を小馬鹿にしておったじゃろうが。 》
歴史を管理する者?だと?歴史の神?誰だ?
《 神?か。まあその認識でだいたい良い。うむ。そう言えばミューズとかクリオと呼ぶ者もおったの。 》
嘘。ミューズって女神ちゃうのん?こんなむさ苦しい爺って…
仝々〆!! 痛っつ!!
《 この罰当たりめが。大口叩いた貴様には試練を与える。疾くと行け!! 》
途端に周囲が光り始める。
ちょっま、まだなにも聞いてない。お約束の新規会員サービスとか特典は?初期ポイントは?ボーナス装備にスキルは?
《 そんなもの有るわけなかろう。ワシの管理してきた歴史に挑戦したいのじゃろうが。捻じ曲げられるものなら曲げてみせよ。その小賢しい知恵一本でな。 》
…
…
混濁していた意識が落ち着いてくる。
少し冷える。早朝のようだ。周囲が濡れている。雨上がりのようだ。
ガチャッ
なんだ?動きにくい。鎧?鎧具足を着けているのか…座っているが、これは確か、床机とか云う椅子だよな。
「殿!!」「日向守様!!」
俺の事?…のようだな。日向守?
「おお、気が付かれましたか。軍議の最中に意識を飛ばされるなど、流石の殿も人の子でしたか。」
との?俺は殿なのか…
「う、うむ。気を飛ばしていたか。」
「ここ数日、働き詰めでしたからな。いかに殿でもお疲れも出ようて。のう利三殿。」
利三殿と呼ばれた男が頷いている。
としみつ?俺が日向守で頷いている真面目そうな男が利三…すると明智光秀に憑依したのか?俺は。
「して、筑前方の動きは?貞征殿。」
利三殿がまた別の男に声をかける。
さだまさ…明智繋がりで、さだまさ…ああ、阿閉貞征か。
「山崎の集落付近に中川や高山などの摂津衆が出張っております。警戒が厳しく、後方は不明。」
貞征が緊張した面持ちで答える。
場所が山崎で敵方として中川と高山?中川清兵衛清秀とキリシタンの高山右近か。おいおい、山崎の戦い直前の軍議だと!!あの糞神、やってくれたな。此のタイミングで飛ばして内政チートを封じてきたか。開戦直前では長期戦略も実行できない。戦術と作戦だけでとりあえず山崎の戦い?を乗り切らねばならない。さらにだ…すでに50代半ばじゃないか!。現代男子共通の夢、側室侍らせてうはは…もかなり望み薄だぞ。あの糞神は神じゃない。悪魔だ。
「秀吉本軍は西国街道沿いだろうが、問題は軍師の黒田孝高よな。」
「黒田も気になるが、一番 煩いのは秀長ですぞ。貞興殿。」
さだおき。伊勢貞興か。たしか室町幕府の伝手で家臣に引き抜いた男だ。後世ではそれなりに高い評価だったはず。
「いかにも。庄兵衛殿の申される通りじゃ。羽柴の屋台骨は秀長でござろう。」
利三も秀長を重視しているようだ。
しょうべえ。光秀腹心の一人、溝尾茂朝だな。羽柴家の要が秀長と多くの家臣が認識しているとは。良い家臣を集めているじゃないか。光秀さん。
史実でも羽柴秀長存命中こそうまく回っていた羽柴家臣団だが、秀長没後は諸将のエゴが剥き出しになり坂を転がるように統一を欠くありさまに落ちぶれていった。羽柴家は秀長で保っていたようなものだからな。
「羽柴子飼いもさることながら、宇喜多が厄介ですな。直家無くとも宇喜多勢は精強を維持しており、粘り強い戦いをするので侮れませぬ。」
宇喜多勢の心配をしている別の幕僚がいる。
たしか宇喜多直家はこの数ヶ月前に亡くなっていたんだったか。ま、どうせ此の戦いに宇喜多勢は参戦してないんだけどね。
「…宇喜多は来ておらぬ。」
「殿?」
「羽柴とは違う。まだ軍編成が地方軍閥のままだ。強い軍だが短時日で長距離を移動できる軍ではない。」
秀吉の大返しは秀吉が集めた石田三成や増田長盛といった後方参謀が居たからこそなんとか実現できた。補給や移動の段取りを手配できる内務官僚の居ない、戦国時代の編成のままの地方軍では無理な話だ。
「確かに。されば祐忠殿の心配は杞憂ですか。」
溝尾茂朝に祐忠殿と呼ばれた男。
すけただ。小川祐忠 か。こいつは関ヶ原での裏切り4人組(脇坂安治、赤座直保、朽木元綱とこの小川祐忠)の一人だな。猛将だったようだが重要な局面で用いるのは危険か。
「それに毛利の抑えも必要だ。備前が領国の宇喜多しか、適任はおらぬ。」
「殿の申される通りですな。宇喜多無しならやれますかな。」
「いや、易家殿。摂津衆が加わっており、信孝様を旗頭に触れてござれば、大阪の織田勢も参戦が見込まれますぞ。」
この時期、四国遠征軍が組織され織田信孝を名目上の大将に、丹羽長秀を補佐につけて四国渡海の直前だった。本来はこの軍勢だけでも万余の軍勢なのだが…
「政近殿の申される通り、大坂の織田勢も加わっておりましょうな。しかし、物見が散り散りになっていく織田勢を確認しておりますので加わるのはせいぜい三千から多くて五千でしょう。」
並河易家に松田政近。この二人は丹波平定で苦楽をともにしていたはずだ。まずまず信頼できる。
「されば、秀吉本軍が二万。摂津の先方衆が四千五百。大阪の残兵を糾合して五千、占めて三万ほどでしょうか。」
利三が話を纏めにかかる。
摂津衆の兵数が500単位まで計上されているのは近場で情報が正確だからだろう。
だが、これは訂正が必要だな。
「いや。摂津兵庫城の池田恒興も居る。恒興は秀吉が小物時代からの贔屓だ。上下関係が微妙だが参陣せぬはずがない。池田勢をくわえて三万二千~三万五千といったところと見る。」
35000の数字は覚えている。俺の知る山崎の戦いでは池田勢の迂回攻撃が戦局を動かし明智方が不利になっていった。池田勢は同時代人に過小評価されていたのだろうか。
「…なるほど、池田勢ですか…」
やはり空気が微妙だ。関ヶ原で池田輝政が父と兄の敵である家康率いる東軍についたが織田・豊臣政権での過小評価も遠因なのか。
「お味方は全て子飼いの精兵ですが、16000。倍の敵なれば如何致しますか。山崎の隘路で半包囲できればよかったのですが。…出遅れましたな。」
さすが利三。
うまく言うものだな。外様に尽く袖にされた結果、明智側は本軍のみなのだ。物は言いようだ。
だがどうする?俺ならば戦闘の経緯を知っているので史実よりはうまく立ち回れる事は確かだが…いや、だめだな。どうやり繰りしても倍の戦力差で野戦は自殺行為だ。おまけにこの山崎の地はホームではない。アウェイだ。住民は武士面丸出しで朝廷や室町幕府残党にも顔が利く光秀よりも人懐っこく軽薄だが景気の良い秀吉に味方するだろう。こちらの布陣をいくら凝らしても住民から筒抜けでは意味がない。
「転進する。」
「は?てんしん?ですか…」
ここは旧日本軍大本営の常套句を利用させてもらおう。転進…ふふ。大本営の官僚はよくぞ思いつたものだ。
「うむ。秀吉は予想以上の速さで戻ってきた。軍容もいささかも衰えておらぬ。摂津衆を半ば恫喝する意味でもここまで出てきたが、なかなかどうして、屈しなかった。叛服常無しの者共と思うて居たが、戦意も高いようだ。ここは摂津衆の心映えに敬意を表し三舎を避くも恥にはなるまい。のう、易家。」
「いかにもでござる!!」
「ん、貴殿はたしか…」
「可児吉長でござる。」
「うむ。槍の才蔵殿であったな。此度の戦いは容易ならざるものになろうが期待している。」
そうだ、有名な槍の才蔵がこの時期配下に居るのだった。まだ小物のはずだが軍議の場に入れていたのか。配下を見る目は確かだったんだな、光秀さん。
他の幕僚も微笑ましそうに見ている。武勇一筋の若者の特権だな。幹部候補生といった扱いか。
「して、何処に転進されましょうや?」
「利三、その前に今一度現状を説明しておきたい。皆にはいまさらと思うであろうが、あえて聞いてほしいのだ。まず秀吉軍からだ。秀吉軍本軍は約二万。現状で名将と言えるものは大将の羽柴秀吉、副将の羽柴秀長、軍師の黒田孝高に蜂須賀ぐらいであろう。」
「確かにそのとおりですな。人材だけを見れば、かなり見劣りしますな。」
「下民から成り上がった秀吉の係累には武将として仕える人材が乏しい。秀吉の最大の弱点だ。
秀吉もそれを痛感していて鋭意若手に経験を積ませようとしておるが、人材は一朝一夕では育たぬ。
どうしてもそれ相応の日時が必要だ。その結果、軍の過半が外様を丸め込んだ忠誠心の乏しい者たちだ。
池田や信孝などは目上時代が長かったので顎で指図するわけにもいかぬ。
軍行動も命令ではなく、要請という体裁にならざるをえぬ。
そして要請しても相手が我を張れば折れねばならぬのは秀吉なのだ。二つ目の大きな弱点だ。
そして、コレが此の戦いでの羽柴最大の弱点だが、秀吉軍はすでに攻勢限界点に達している。」
「と、殿。攻勢限界点とは、初めて耳にしまするが?」
「うむ。平たく言えば補給が限界に来ている。」
「そんなはずは…秀吉の領国の播磨は摂津の隣ですぞ。殿。」
「利三の目にもそう見えて居るのだな。実は俺も今の今までそう思っていた。だがよくよく考えてみよ。
備中高松城を囲んでいたのだぞ。
ソレを解いてすぐさま反転、考えられぬ速さで播磨まで戻り席を温めること無く摂津を超え山城の入り口に差し掛かっておる。
直線にこの行程を引き伸ばしてみよ、ありえない距離をありえない短時日で機動しているのだ。」
「…確かにとてつもない距離をとてつもない速さで移動していますな。しかも、それまでも毛利と睨み合いの負担も有る。」
「そうだ。皆も解ったであろう。秀吉軍はすでに補給の限界に来ているのだ。
抜擢した算術に達者な若い者たちが必死に支えてやっとここに軍を持ってきた…もう動けない…が実態であろうよ。さらにだ…」
「まだあるのですか?殿。」
「摂津の先方衆よ。かれらはこの摂津と山城の境目あたりまでは領地から補給ができようが、長期の機動の蓄えなどありはせぬ。此の地を離れれば離れるほど、その軍はやせ細り士気も落ちてゆく。」
「然り。」
「つまり秀吉軍は今、此の地でどうしても決戦せねばならぬのだ。」
皆を見回すと納得しているようだ。劣勢で伏せがちだった諸将の目に光が戻っている。
「翻って我が軍の本貫は近江と丹波だ。まだ領国化も出来ていない摂津や山城で決戦せねばならぬ義理はない。」
「し、しかし殿、禁裏の事がありますれば…山城を騒がすのは…」
「禁裏か。」
一息おいて皆を見回す。一様に苦い顔をしている。
やはりな。本能寺の一件、禁裏の非公式な要請があったのは公然の秘密なのだろう。
非公式な要請とはいえ、事をなした後にあからさまに距離を取り中立のポジションを維持している禁裏には皆腹に据えかねているのだ。
「古代の大君親政の頃はいざしらず、日の本において禁裏とは君臨するのみで統治に手を染めぬ事は皆知っておろう。」
顔を上げた諸将がうなずいている。
「先日は遠回しな思し召しを忖度致したわけであるが、此度は気が付かぬ事にしておこうと思う。」
寂として声がない。皆驚愕の表情で目を見開いている。
そりゃそうだよな。
光秀はことに禁裏への忠義が厚かった。禁裏相手に駆け引きなど有りえぬ事と思うのも当然だ。
「…よろしいので?」
一同の気持ちを代表して利三が念押ししてきた。
光秀の忠義は解っていても鵺のような公家に振り回されることに忸怩たる思いをしていたのだ。
「うむ。主上への忠義に変わりはないが、公家に忠義を尽くす必要はなかろう。そういう事だ。」
「…よくぞ、…よくぞご決心なされましたな…」
「これ、泣くでない、庄兵衛。いままで皆に歯痒い思いをさせてきた儂だが、今此の時をもって、この日向守光秀、修羅になろうぞ。皆も今まで以上に儂を支えてくれ、此のとおりだ。」
地に手をつき頭を下げようとすると利三に阻まれた。
「殿。時がありませぬ。士気も天を突いておりますぞ。お下知を。」
「…うむ。そうであった。まだ話も半分じゃ。話の続きじゃ。」
改めて皆を見回す。参加しているすべての将から闘気が立ち上っているようだ。…よし、これなら俺のかねて練り込み済の作戦が実行できよう。