16 河内
筒井順慶との会談を終え、部隊を大和南部へ進発させる。大和盆地中央部は街道も整備されており平坦で楽な行軍だ。
盆地半ばを過ぎるまでに興福寺から武装解除に応じるとの知らせが届く。興福寺は史実でも羽柴秀長の武装解除通告を許諾しており、予想の範囲だ。すでに戦は数万がぶつかる規模になっており三千や五千の僧兵を抱えたところで、将来の目障りになると考える戦国大名からすればまっさきに潰しておくべき目標にすぎぬ。時代は群雄割拠から群雄淘汰に移っており、一寺院が独立勢力を謳歌できる状況ではないのだ。
「南部の越智、十市、柳生などが帰順すれば、大和も片付きますな。日向守様。」
「まあ、傍を通るだけで帰順してくるだろう。いつもすまぬが利三、彼らの無理にならない程度に兵を供出させ本隊に編入してくれ。このまま竹内街道に入り近江勢と合流する。」
「委細承知。河内に入ればそのまま岸和田へ向かいまするか?それとも堺を先に押さえましょうや?」
「堺は近江勢がすでに手を付けて居るので急ぐ必要はないが、全軍で岸和田に向かえば蜂屋頼隆が臍を曲げるやもしれぬ。無駄に部隊を疲労させることもないので一旦堺に向かい、一部の軍勢のみを率いて岸和田にむかうのが良かろう。」
「此度は筒井殿とは逆の扱いですな。」
「蜂屋頼隆は歴戦の将だ。二万の兵を前にしても怯みはするまい。」
利三が頷く。大兵を擁して脅されて帰順した…となれば武名の名折れゆえ一戦せざるを得なくなるのだ。これが数千の兵であれば五分の交渉となるので堂々と帰順できる。
「しかし日向守様。大和は予想以上に民が疲弊しておりましたな。」
大和は応仁の乱以降、終始戦場になった。それも圧倒的な戦力を誰も持っていないため延々と消耗戦をやっている。疲弊せざるを得ないのだ。
「うむ。それは三好が無駄に関わった河内も同様だろう。長慶没後は特にな。」
河内国は一旦信長の支配下にあったので城の整理はそこそこ済んでいる。有名無名問わず、大方の城が廃城処理済で、北部の若江城と南部の烏帽子形城ぐらいしか、城として維持管理なされていない。信長の廃城令のときに結構な数の土豪達が帰農して武士を捨てており、戦に飽いているのがわかる。それだけに、治安維持さえ回復すれば太閤検地の24万石の実力を回復するのも容易いと言える。
「河内には大規模な国人領主も居らず、ここもただ通過するだけになりましょうや?」
「そうだな。無理に徴兵したところで戦意は沸かぬ。自発的に参入してくる者だけを軍に編入して、治安維持の高札を立てるだけで良かろう。」
竹内街道を通り大和から河内南部に出る。竹内街道は生駒山系南端を迂回しているため、暗越のような難路ではない。古代に官道があった事もあり道自体も広く状態も良い。
「いずれは我が領内の道全てをこのように整備したいものだな。」
「誠に。このような道が四方に走っておれば荷車も通れますな。」
「荷の運搬だけではないぞ。人が楽に行き来できてこそ、地域に一体感が出る。いまのように小さな国ごとに大きく地域性が異なっている状況では日ノ本としての一体感はなかなか生まれぬ。すでに南蛮人がきているが海の向こうでは大規模な侵略戦争も始まっておるのだ。」
「南蛮人が攻め寄せてくると?日向守様。」
「すでに天竺の一部は占領されておる。」
「なんと!」
「まあ日ノ本は幸か不幸か長い戦国で皆戦に長けておる。遠路やってくる南蛮人の数は少ない。まともに日ノ本への侵略戦争をしてくる事はない。今はな。だが300年か400年後は危ない。」
「…」
「ふ。400年といえどすぐだぞ。鎌倉幕府は150年。足利の幕府は一応230年だ。つまりこの戦国時代をまとめ上げた次の日ノ本の政権はその南蛮人の侵略に対峙できる者でなければならぬのだ。」
「なるほど。戦国をただ纏め上げるだけでは足らぬのですな。より強く強大な日ノ本の国を作れる者でなければならぬと。」
「そうだ。明国のように、ただ内に籠もって鎖国し嫌なものを見ないで過ごすような事はあってはならぬ。」
「明国はいずれ南蛮人に食われると?」
「食われるな。それが明国であるか次の政権になっているかは微妙だが。」
野営を重ねつつ漠然と現在のグローバルな状況も利三など側近には知らせておく。これから南蛮人をかなり取り締まる必要があるため、その背景を知っておいてもらいたいからだ。とくに、宣教師が侵略の尖兵もになっているなどこの時代の人には予想の埒外の事だ。
「すでに日ノ本でも被害もでておる。」
「?」
「聞き及んでは居るまいが、南蛮人は日ノ本からも人攫いをして奴隷にしておる。」
「!」
「しかもその奴隷は唐天竺や日ノ本にかつて居たような奴隷ではない。人として扱われておらぬのだ。」
「…それは?」
「南蛮人には根強い選民思想があってな。自分たちの民族以外は劣等な民と思っておる者がほとんどだ。そういう者共が自分達と肌の色が異なる人間を見ればどうなるか、わかるか?」
「!!、そう言えば弥助殿はたしか…」
「思い出したか。弥助は宣教師に奴隷としてつれてこられた。人としてではなく、珍しい生き物としての。だが信長公は彼を人として扱った。だからこそのあの忠義よ。儂は日ノ本の民を一人たりとも南蛮人の奴隷にはさせぬつもりよ。」
「南蛮人と戦になりまするか。」
「我らが生きている時代には戦にはならぬ。日ノ本で戦う限り、我らの勝利は動かぬのでな。南蛮人も負けると分かりきっている戦をするほど愚かではない。そこで宣教師の出番よ。」
「あっ!」
「解ったか。デウスに心服させて心を縛れば戦わずして侵略が成るのだ。デウス教の総本山には教皇と呼ばれる者が居て、彼はデウスの代理人の立場になるらしい。このままデウスの教えが広まってゆけば、その教皇の一声で信者が一斉に立ち上がり日ノ本をデウスに差し出す事になろう。」
「それでは一向宗の二の舞ではござらぬか。」
「南蛮へ日ノ本そのものを供え物として差し出すのだ、一向宗などまだ可愛げが有るわ。」
「南蛮坊主がそれほど危険なものであったとは…」
「まあな。だが南蛮そのものを毛嫌いするのも行き過ぎよ。南蛮の国の後押しで侵略してくる者共とは一戦も辞さぬがそうでない南蛮人もわずかだが居るのだ。純粋に交易目的で来ている者たちがな。」
「そうなのですか。」
「うむ。だが彼らであっても奴隷は商品の一つに過ぎぬ。だから、日ノ本では奴隷は売り買いともに有ってはならぬ事である、それが日ノ本の法度であると理解させればよいのだ。」
「確かに…」
「奴隷の件では多くの日ノ本のデウスに帰依している大名や領主も一枚噛んでおる。」
「なんですと!」
「まことに嘆かわしい事よ。何れ罪を鳴らして成敗せねばならぬ。皆もこの件、心に留め置いてくれ。」
ちなみに、キリシタンで有名な明智光秀の三女の『珠』のちのガラシャだが、まだキリシタン化してはいない。細川忠興に嫁いでいるが今は宮津の細川領で謹慎中だ。だが『珠』や畿内にキリシタン大名が生まれる大きな原因である高山右近が高槻に居る。
「蜂屋との交渉を終えた後は北上することになるので高槻でデウスの信奉者を集めて法度を徹底させねばならぬな。」
「高山父子でござるな。」
「うむ。他の土豪とは異なり高山右近は捨て置けぬ。右近には儂自身が一般民衆のデウス信徒も立ち会いの上、公開で論陣を張り対決する所存だ。」
「殿ご自身が武力でなく、法論で決着なさると!」
「デウス教は武力でなく口舌でもって侵略してきておる。これに対するには口舌で打ち負かさねばならぬのだ。」
「…信徒の心そのものを折る事など出来ましょうや?ほとんど狂信者と見受けますぞ。」
「まあ、手立てはある。だが論戦が不利になれば、南蛮坊主共が逆上して武に訴える恐れもわずかながらにあるゆえ、その場合の警戒は頼んでおきたい。」
「しかと心得まする。したが、日向守様はいったい何時から南蛮坊主の正体に気がついておられたので?」
「儂だけではない。織田前右府も知ってはいたようだ。だが利用価値が大きかったので泳がせていただけだな。しかし、もう見過ごせる状況ではない。畿内平定後は早急に九州のキリシタン大名、大友や有馬晴信を問いたださねばならぬ。」
「いかにも。されど、九州までわが明智の力が及ぶまでだいぶ先になりますぞ。」
「いずれは明智の力も九州に及ぼすが、それまで何年も見過ごせぬ。よってこの件では主上にお願い致す。」
「おお、その手がありましたか。当代様はいつも民草を見守られておられるとか。必ずや勅命をいただけましょうぞ。」
「うむ。公家共も自らの職分を侵すデウスの教えには苛ついておる。味方にこそなれ敵対はせぬ。そうよな、高槻にだれか公家も呼んでおくが良かろう。予め文を書いておくゆえ、繋を付けておいてくれ。」
「…は…」
公家との付き合いは皆嫌がる。だが今の明智の威勢であれば、たとえ小物を送り込もうが無下には出来ぬ。そう沈んだ顔をせずとも良いのだが、まあ今までが今までだ。致し方ないか。