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光秀、下天の夢を見る  作者: 狸 寝起
16/72

15 大和仕置

石切付近で近江衆と別れ、本隊は暗越奈良街道を大和へと左折する。

古代の大和国は現在の大和盆地中央に大きな池があった。平地はわずかで神武天皇が”まさきくに”(せまい国)と語ったのもさもありなん。

その後、大和川がせっせと池の水を大坂方面に排出して池が小さくなるに従い、居住地も盆地中央に広がる事になる。盆地周辺部からドーナツ状にだんだん中心へ居住地が増えたわけで、古代の官道や遺跡、古い寺院は盆地の周縁部に多く残っているのもそういう歴史があるためだ。

盆地中心部が元池のだだっ広い平地なので、当然要害の地など無くて拠点となるような城もだいたいは盆地周辺部の丘陵や山を利用している。

で筒井氏の本拠であった筒井城だが、比較的盆地中央に有るためか度々落城の憂き目をみており、最近まで松永久秀に奪われ筒井氏は北の郡山城に移り抵抗するといった状況だったのだ。その後なんとか取り返して一進一退していた矢先に織田信長の力が大和に及ぶ。当初は臣従を許さなかった(松永が臣従していたので)信長だが松永の謀叛と明智光秀の仲介があり信長に臣従が成る。やっと先祖伝来の地も安定したわけだ。


「日向の守様、筒井は中身の兵力だけ奪うのは良いとして、他は如何なされましょうや?」


「うむ。」


暫し大和の状況を思い浮かべる…


挿絵(By みてみん)


利三が尋ねてくるのも当然で、大和国は太閤検地では44万8000石であるが、なにせ歴史の古い土地のため、権利が錯綜している。のちに大和大納言羽柴秀長が大鉈をふるって整理するまでは、土着の豪族化した筒井、越智、十市などが入り乱れさらに松永など河内方面の豪族も度々侵入、その上寺社領、とくに興福寺は鎌倉時代から僧兵を蓄え執権の北条氏とも衝突したりと影響が大きく並大抵では44万8000石の実力を出せる地ではないのだ。


「そうよな。寺社から土豪に横領された土地の返還要求がすぐにも来よう。奉行に命じてそれらは丁寧に聴いてやるがよい。だがあくまで聞き置くだけだ。理非を吟味して寺社側の言い分に理がある場合のみ聞き届けてやっても良いが、それでも5割の返還とし、残りの5割のうちの半分を横領している土豪に譲らせよ。残り2割5分は当家の蔵入地とする。なお、寺社領への返還にあたっては僧兵や武装神人の放逐を厳命せよ。治安維持は今後われら明智勢が請け負うのであるから僧兵や武装神人は無用と突きつけるのだ。」


「従わぬ場合は”比叡山”を忘れたか?で宜しいですかな。」


「うむ。前右府は焼き討ちにしたが、この光秀、焼き討ちはせぬ。せぬが、歯向かう寺社は全員追い出しさら地にする所存と伝えよ。跡形もなく、きれいに整地して全て農地にする…とな。」


「ぶぁはっは。更地でござるか。焼き討ちなら再建できようが、農地にされてしまっては二度と伽藍は作れませぬな。」


「そうだ。この光秀の領国内では、寺社に限らず南蛮寺も一切の現世のまつりごとへの介入は許さぬつもりだ。坊主は仏の事を、神官は神事をせよということよ。」


「まこと、その通りでござる。」


政教分離が成って初めて44万8000石の土地になる、それが大和なのである。そしていずれは朝廷にもたがめ山城も22万5000石の数字に見合った地にせねばならないが、朝廷はより面倒なので後回しだ。光秀の寿命との相談になるだろう。


「南部に散在する、中小土豪は逐一取り込みまするか?」


大和盆地南部には、越智、十市、柳生、沢など少勢力が点在している。いずれもその時その時で主を変えて生き残ってきた者達だ。


「彼らに確固とした将来への展望などありはせぬ。筒井と興福寺などの仕置を終えて我が明智勢が大和南部へ行軍するだけで帰順してこよう。利三には手間をかけるが、これらも随時本軍に吸収するなり、島清興に与力させるなりして戦力化してくれ。」


「そうですな。それが宜しいでしょう。五条以南の吉野は放置でよろしいですな。」


「うむ。」


大和国の面積の過半を占める吉野郡は山また山の紀伊山地であり、わざわざ制圧に出向く価値はない。また軍勢が入るべき場所でもないので放置は合理的判断だ。大和盆地南端を竹内街道に入り近江勢と合流して岸和田へ向かう必要もある。岸和田城には蜂屋頼隆が居る。秀吉の大返しに頼隆は参陣しておらず去就が不明だ。歴戦の武将であるので、可能であれば取り込みたい。


「やれやれ、やっと暗峠も越えましたな。日向守様。」


利三と話し込んでいるうちに、いつのまにか峠もこえて大和側にもう一つある岡も越え奈良盆地にでたようだ。遠くに唐招提寺と薬師寺が見える。


「うむ。ここらで良かろう。兵を展開して横陣を敷いてくれ。ここで弁当でも食べて待つとしようか。」


山を背に横陣を敷けば誰の目にも戦闘隊形である。如何に横着な筒井順慶であれ、流石に慌てよう。ある程度の予備役招集をしていたとしても、城に詰めている兵力はせいぜい三千といったところだ。二万を越えまだ増え続けている明智本軍にあらがえるはずもない。


「さて、今日中に来ますかな、日向守様。」


「自己保身には敏感な御仁だし、家老は優秀だからな。今頃右近あたりに尻を叩かれておろう。」


右近とは松倉重信のことだ。後に島左近と並べて右近左近と称されるようになる。筒井家の古くからの重臣だが、島清興はこの時点ではまだ家老ではなかったらしい。


「日向守様、郡山城より先触れあり。筒井順慶殿とご重臣方が面会に来られるので、暫し待たれたし…とのこと。」


伝令に頷いて返し、床机に座る。すでに陣幕も張られ面会の準備は出来ている。


「本当に来ましたな。多少は抵抗の素振りなどをするかと思いましたが。」


「それなら有無を言わさず踏み潰して、郡山城ごと召し上げたのだがな。それが解っているので嫌々でも出てくる。ではこちらも重臣を呼び揃えておこう。可児吉長も呼んでくれ。これも経験だ。」


「では秀満殿、光忠殿、拙者と可児吉長でよろしいかと。一応横陣展開しておりますれば、他の諸将は持ち場も有れば。」


利三に頷き返し手配を頼む。役者が揃うまで暫しの間、穏やかな昼下がりといいたいところだが、残念ながら今は真夏。流石に暑い。それだけに峠越えしてきた将兵にはよい休息になるだろう。


「これからはこういう茶番がふえますかな、日向守様。」


光春はすでにこの会見の行方が見えているようだ。光春の後ろから付いてきた可児吉長は場違いな会見場に呼出されて小さくなっている。ついで利三と明智光忠も到着し左右にわかれて座がさだまる。瞑目すること暫し、順慶一党も到着したようで、陣がざわめいている。

陣幕に入ってきた順慶達に向かいの床机を左手で示し座を与える。


「………」


双方なにも言葉を発しない。しばしの沈黙のあと、耐えかねたかおずおずと順慶右の男が口を開く。


「筒井家家老、松倉重信でござります。日向守様には此度の大勝御目出度うござります。」


黙って頷き、続けさせる。


「されど、戦闘陣形での大和入りとは、如何な思し召しでござりましょう。」


「山崎では我が藤田伝五が世話になった。」


山崎で羽柴勢と睨み合う前、藤田行政は筒井に参陣要請のため郡山城に出向いていた。だが言を左右にして煮えきらぬ順慶に見切りをつけ帰陣せざるを得なくなっていた。


「あの折は、我らも諸方よりなにかと掣肘されており、動けなかったのです。くみおやの日向の守様に合力できず、申し訳なく…」


「ほう?すると重信殿は筒井勢は伊賀方面が怖くて動けなかったと申されるか?伊賀守護など形だけ、事実上貧しい国人領主が居るだけの伊賀だが?」


「伊賀の向こうにはいまだ織田家が…」


「ふあっはっは…なんと、筒井勢は織田家を警戒されて居たとな。あの、あの織田信雄ひるあんどん殿をのう。」


第一次天正伊賀の乱で伊賀の在地土豪に大敗した織田信雄はこの当時伊賀の東隣、伊勢に居た。伊賀の向こうの織田と言えば信雄しか居ないが無能者として名を轟かせており誰一人信雄を恐れたりはしない。

しどろもどろになった松倉重信が脂汗を流している。重信以外の順慶を含む3名は苦虫を噛み潰している。


「お怒りはご尤もなれど、なにとぞ更地にして農地にするなどお許し戴きたく…左様なことに成れば日ノ本の記録から筒井家そのものが消されてしまいまする。」


順慶が意外そうな顔をしている。松倉重信は理解しているのだな。農地になれば地権者、耕す者が発生する。その地を再び召し上げれば領内全ての農民が次は我が身と離反することになる。1兵も徴兵できぬ大名など無力で二度と筒井の名の付く城は作れず歴史から筒井は消えるのだ。

しかし、どういう事だ?更地の話は利三にしか話していないが?利三を見ると含み笑いをしている。…そういう事か。光春達を呼びに行くついでに陣内の将兵に噂を流しておいたのだな。それを聞きつけて重信が事の重大さに震えている…と。光春が茶番と言ったのはこの事だったか。


「だがのう、郡山城も筒井城も大和盆地の中程に位置しておる。農地になれば民百姓は喜ぶと思うが。」


ここは暫し利三のいたずらに乗ってみる。ある程度ふっかけておいたほうが左近を引き抜きやすくなる。


「なにとぞ、ご寛容の程を。これからは我ら家老も日向守様に従う所存であれば、此度は我らに免じて…」


「ふむ。順慶殿だけでなく、その方達、筒井家家老一同も誓詞を出すと?」


「左様にござります。」


利三がニヤニヤしている。俺も出そうに成る笑いを噛み殺して云う。


「よかろう、順慶殿は今ひとつ信が置けぬが松倉殿や森好之殿といった家老衆に悪い話は聞かぬ。此度に限り家老衆の忠義に免じて手打ちと致そう。」


「有難とうござりまする。」


「ついては手打ちに当たり、筒井殿には一隊を出し織田勢との戦に合力してもらう。率いる将は島清興殿、兵は二千だ。」


「…?合力の件はしかと。ですが、なにゆえ清興を名指しで…」


この時期、まだ家老就任前の清興はさほど世間に名が通っていない。現に当の島清興本人らしき男が目の前で驚いている。


「うむ。まだ知らぬ者が多かろうが儂は島清興殿の武勇と統率力を密かに注視していたのだ。だが最早大和国内ではその武勇を用いる場所はない。わが明智に陣借りして思う存分暴れるがよかろう。とりあえずは我が本陣の前衛を予定している。戦の決め所に儂の下知で飛び出し敵勢に止めを刺す重要な配置だ。不満か?」


直接に島清興本人らしき男に目を向ける。驚愕の目に見る見る闘志が宿ってゆく。


「有難き幸せ。されば殿、筒井の武名を轟かせるべく日向守様に陣借りいたしたく思いまする。」


順慶が迷っている。二千の主力を手放すのが惜しいのだろう。だが両脇の松倉や森好之に睨まれてようやく島清興に向き直る。


「わかった。我が筒井の武名はお主に託す。右近、可能な限り、補給や装備で支援せよ。」


松倉重信が当然だという顔で頷く。


「よし、これで筒井と明智の手打ちと致す。島清興殿には筒井殿からの補給はあろうが、我が明智からも手配致す。それから順慶殿。」


まだ何かあるのか、いい加減にしてくれ…と言いたそうな順慶を無視して続ける。


「これから明智本隊は南大和を通り和泉方面へ向かうが藤田伝五行政…は順慶殿と相性が悪かったな…。溝尾庄兵衛茂朝を伊賀へ送り出す。その道案内と伊賀衆への先触れを頼みたい。」


「承りました。されど伊賀?でござるか…」


抜け殻のような順慶に代わって松倉右近が話を引き取る。右近ですらこの程度の反応か。やはりこの時代情報軽視が甚だしいか。いや、筒井は大和の勢力維持に汲々としていたため金のかかる諜報活動までは無理だったのかもしれぬ。


「うむ。この機会に伊賀衆を当家で召し抱えようと思っておる。よって大和は東西、北の3方を明智勢が守護するので安泰という訳だ。」


順慶が酢を飲んだような顔になる。三方を囲まれ南部もこれから明智勢が巡り安堵して回るため、筒井の勢力伸長の場所もなくなる。これだけ脅しつけておけば寝返る事も無いだろう。


「名残惜しいが順慶殿。我ら明智は先を急ぐのでな。これより大和南部の鎮撫に向かわせて頂く。島清興殿は軍勢が整い次第、合流されたい。」


島清興が黙って頭を下げる。順慶は松倉達に両側から抱え込まれ引きずられるように退去してゆく。ふと見ると島清興が頭を下げたままで待機している。


「如何なされた、島殿。」


「主君順慶の手前黙しておりましたが、誠に本陣付でよろしいので?斯様な場合は先方衆として矢弾避け代わりに使い潰されるのが必定と覚悟しており申したが。」


「その事か。従前はいざ知らず、今後我が明智の戦では矢弾避けで先方衆を磨り潰すような無駄なことはせぬ。新参の者も譜代の者も、その適性に合った持ち場を与える。ただ、新参の衆はどうしても装備が明智譜代の衆に劣る。特に鉄砲がな。よって随時鉄砲も支給して戦力の底上げも図ってゆく予定だ。島殿の大和衆には堺で鉄砲と弾薬を支給する事になるだろう。調練に当てられる時間は短いだろうが、寸暇を惜しんで兵を鍛え上げてもらいたい。」


「…わかり申した。かくなる上は全力で御恩に報いるのみ。精兵をりすぐり急ぎ追いつきますれば、御免。」


吹っ切れた様子の島清興が郡山城へ去ってゆく。これでよし。左近は譜代同様の働きをするであろう。


「さすが、殿の見込んだ島清興。順慶殿では猫に小判でございますな。」


「利三もよく機転を効かせてくれた。おかげで楽に左近を得る事ができたわ。」


「いささか、あざと過ぎましたかな。」


「なんの。順慶殿には程よい策であろうて。庄兵衛も伊賀へ向かったようだ。我らも先を急ぐとしよう。」



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