13 伊賀衆
近江勢へ摂津の国衆取り込みを指示する伝令を発し、東高野街道を南下する。昨夜のうちに溝尾庄兵衛茂朝も追いついてきて本体と合流した。やはり能勢道はだれも逃げておらず一塊で西国街道を逃走しているようだ。まあ、こういう場合複雑な行動をすればするほど深みに嵌るからな。単純にひたすら逃げるのは正しい判断ではある。
「庄兵衛、すねこすり峠はきつかっただろう。いつもすまぬな。」
「なんの、あれしきの峠の2つや3つ。まだまだ余裕ですぞ。」
「余裕のところ、気の毒だが次は暗峠だ。大回りして竹内街道というわけにも行かぬのでな。」
「それでは深入りしすぎますしな。で、本当に筒井は交渉にでてきますかな。絶望していきなり籠城とかはござらぬでしょうや。」
「自己保身だけは鼻が利く御仁だ。援軍のない籠城などはせぬよ。かといって劣勢で迎撃する度胸もない。」
「残るは交渉で活路を見出すのみ…なるほど、その通りですなあ。」
「実際、順慶自体はどうでもよい。毒にも薬にもならぬ。が左近は別だ。前線指揮官として完成しておるからな。ま、己の武勇に頼みすぎる傾向があるが、そこは儂が手綱を引き締めておけばよかろう。正面突破力は当代一流だからな。使わぬ手はない。」
島清興は後の関が原合戦で石田勢先鋒として、幾度も突撃をくりかえし、大いに東軍を凹ませた実績がある。より鉄砲戦術が普及した関ヶ原合戦で真正面から突撃して敵陣を切り裂いている事実は尋常ではない。ただ、北側の山地を密かに迂回した黒田長政の鉄砲隊に撃たれて重症を負い戦場に立てなくなったと云われている。視野はそれほど大きくないのだ。そこを主君がカバーしてやれば、さらに豪腕を発揮できるだろう。
「成程、成程。殿はますます大きくなられますのでな。いやでも増えて行く兵を束ねるために武将はいくら居ても足りませぬ。もしや、殿は他にも目星をつけておられるのでは?」
「わかるか。堺の小西隆佐の倅が今秀吉の元に居る。これをなんとか引き抜きたい。」
「ほう、商人の倅ですか。」
「うむ。亡き宇喜多直家にも目をつけられすでに武士になっておる。まだ秀吉にはさほどの恩も義理もないので今なら間に合う。そして雑賀衆と伊賀衆だな。」
「鉄砲上手の雑賀衆は分かり申す。国衆まるごとが鉄砲衆ですからな。しかし伊賀?ですか。」
「ふふ。庄兵衛でも伊賀衆の価値に気付かぬか。伊賀衆は戦場での働きはさておき、情報収集に長けておる。三河の徳川に縁ができかけているが、今ならこれも間に合う。」
「確かに此度も山の民の繋が無ければ、追撃の手配りは難しうござった。平時に八方の知らせを受け取れるなら速い手配りも可能でござるな。」
「その通りだ。いまだに伊賀衆を悪党風情などと蔑む武士が多いが、儂はそうは思わぬ。並の武士では入れぬ敵の奥地まで侵入して情報を得てくるのだ。生半な技ではない。かつては鉄砲撃ちも卑怯者と蔑まれたが、いまでは誰もそうは言わぬ。いずれ近い将来に忍び衆も立派な武士と認識される日が来る。」
「殿は忍び衆を武士としてお抱えになるおつもりでしょうや?」
「よくぞ見て取った。さすが庄兵衛よ。他の大名がまだそこに気が付かぬ今のうちに服部・百地・藤林の3家を全て抑えたい。」
「3家全てとなると流石に難しいのでは…」
「普通に合力を頼むなら難しいであろうな。だが忍び働きをなす主だった者全てを武士として召し抱える…と言えばどうじゃ?流石に皆に知行は無理でも決まった禄を出すということだ。今までのようにその場その場の請負でなく、常時配下として働いてもらう。さすれば伊賀衆全体の暮らしも安定し豊かになるであろう。」
「殿は伊賀の上忍だけでなく、主だった者全てを武士として扱う…と言われるのですか!」
「うむ。彼らにはそれだけの価値があるということだ。そうなれば3家のうち一つだけでは他家と格差が生じよう。格差が生まれればいずれ伊賀衆が割れるきっかけにもなる。それは彼らとて望むまい。」
「たしかに、一部だけが豊かになっては他の上忍は立場がありませぬな…」
「当初はいままでの付き合いのある他の大名の依頼も無碍にはできまい。明智に仇なす依頼でなければ他大名の依頼を受けるも見逃しても良い。」
「それは…あまりにも優遇が過ぎませぬか?」
「なに、いずれ彼ら自身が断るようになる。考えても見よ、わが明智はかれらを対等の武士として扱い正当な報酬も出し、平時にも禄で抱えるのだ。家中の士として大切に扱う。だが他大名はどうだ?その場限りの使い捨てだ。過酷な任務に比して報酬は少なかろう。しかも平時に収入は無い。いつまでも依頼を受ける意味はなかろう。」
「ふうむ…よくよく考えてみれば、3家まるごとでなければ逆に問題が残りそうなのですな…」
「どうだ?ここまで細かく説明した意味はわかるな。」
「やれやれ、殿にはいつも泣かされますな。儂など戦場で槍を振るうしか能がないのに、何故か難しい交渉事をさせようとなさる。」
「それが良いのだ。裏表がない庄兵衛であればこそ、こちらの真意が素直に相手に届く。仮に決裂したとしても遺恨が残らぬ。今も明智と長宗我部が昵懇であるのは誠をつくしたからこそであろう。」
「殿らしいわい。」
「郡山城がかたづけば、そのまま伊賀へ立つが良い。随行の人選は任せる。」
「わかり申した。なに、戦に行くわけでなし、数名で十分でござれば。」
「頼んだぞ。手付に金100枚ずつ、300枚を持ってゆくが良い。我らの本気を目に見える形で示すのだ。」
「…300枚…纏められねば切腹ものですな…」
「なに、禁裏に撒いた500枚に比べれば安いものよ。」
光秀は本能寺の変のあと近江制圧後に朝廷に金500枚を寄進したと云われている。全く無駄なことを。流石にこの件は擁護できない愚行だ。成金が湯水の如く散財する様は陰で笑われ軽んじられるだけだろう。本能寺の変をやり遂げ精神に一時的な空白が生まれていたのか。