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光秀、下天の夢を見る  作者: 狸 寝起
13/72

12 大和へ

老ノ坂を越え山城に入る。山城は公家や寺社領が複雑に入り込んでいて地侍の規模も小さく戦力化にあまり適していない土地だ。手間ばかりかかって実入りが少ないので治安維持の高札などを立てる程度にとどめ、自発的に参集してくる地侍のみを吸収しつつ桂へ向かう。桂で先行していた光春達と合流する予定だ。


「京へ向かうみちは同じでも本能寺へ行く前と違い、此度は実に気が晴れやかでございますな。」


「利三もそう感じておったか。それだけ織田前さきのの重石が大きかったということよな。思えば丹波攻めの最中にもかかわらず、あちこちと手伝い戦に狩り出されたものよ。」


「全く。その上長宗我部への酷いてのひら返し、あれでは誰もついて行けはしませぬな。」


当初信長は四国切り取り次第の条件で長宗我部とゆるく同盟していた。その取次が光秀だ。ところが長年信長と敵対していた十河存保が信長に下るや先の約束を反故にして長宗我部には土佐一国のみと通達したため、織田家と長宗我部家は手切れとなり、光秀の面目は潰されたのだ。だがそれでも光秀は長宗我部家安泰のため両家の間で奔走し、その労を知る長宗我部と光秀の関係は切れていない。

そしてこの斎藤利三は長曾我部元親と縁戚関係にあり義理の弟の立場である。利三自身も当然、長宗我部家に寄り添う心情が強い。

斯様に明智家と長宗我部家は昵懇じっこんの間柄なのである。


「日向守様、明智秀満(左馬助光春)様の部隊がこの先で待機されております。」


重臣達と話し込んでいるうちに、早くも桂の手前まで到着したようだ。ここで先行していた光春達と合流し、今後の方針を出さねばならない。


「殿、秀吉の逃げ足が早く残念ながら首は取れませなんだ。」


「うむ、良い。筑前は強運の持ち主、尋常なことでは首は取れぬ。だが前野長康を討ち取ったのは大手柄よ。歴戦の指揮官の層が薄い羽柴勢だ。当分立ち直れまい。それにまだ近江勢が幾重にも待ち受けている。羽柴勢で播磨まで帰れるのは2割程度だろうて。」


諸将も頷いている。それを確認して納得したのか、光春も席に付き軍議が始まる。


「まずは吉長!」


「はっ、可児吉長ここに。」


「追撃大義であった。笹首は兜首ばかりで二十に迫る数よ。よって主に預けた騎馬三百を五百に増員、そのまま配下となせ。只今より吉長は侍大将じゃ。重臣末席に加わるが良い。ただし知行は後日の論功行賞の折、他の諸将とともに下げ渡す。よって当分は本陣付のままだ。」


「あ、ありがたく。」


他の将も微笑して見守っている。これから八方に手配りせねばならぬ。将帥の数はいくらあっても足りないので機会あるごとに若手を抜擢する必要があるのだ。


「近江勢がいまだ追撃中ではあるが、今後の方針を決めねばならぬ。諸将にはそのため参集してもらった。明日には能勢道の哨戒を終えた庄兵衛も追いついてこよう。皆遠慮なく思う所を申せ。」


諸将の前に大きな畿内周辺の図を広げ意見を求める。昨夜俺が書き上げておいたものだ。腹案は決まっているが共に考えてもらうことで戦略的視点を共有しておきたい。


挿絵(By みてみん)


地図を前に皆驚いた顔をしている。こういった戦略図はあまりこの時代使わなかったのだろうか。それとも上意下達が当たり前なので、こういった形での軍議が珍しいのか…まあいい。羽柴勢撃退以降、人が変わったこととしておけば問題なかろう。


「それぞれの国はこんな形をしておるのか…」


「あの巨椋池がこんなに小さく…」


この時代にも地図はあったが希少で高級品だから、目にすることは少なかっただろう、地図そのものに驚いているのが大半だな。

それでも衝撃から立ち直った者が意見を出し始める。


「されば、羽柴撃退後の主敵はおそらく、柴田勝家でございましょう。北近江に予め砦を築き迎撃準備を致すべきかと。」


手堅い意見を述べたのは明智光忠か。正論ではあるが心配性だな。柴田は上杉と泥沼の取っ組み合いをやっていて、来年まではとても越中から離れられぬ。慌てて防備を固める必要はまだ無い。


「近江勢が摂津国境付近まで出張っております。されば近江勢に後ろ巻して摂津になだれ込み、中川や高山、あるいは池田も糾合されては如何でしょうか。」


わりと常識的な意見は松田政近だ。近江勢と合体して事に当たれば各個撃破される恐れもなく、その後の異変にも対応がしやすい。配下に入って日が浅い近江勢を手元に置くのも安心感がある。


「摂津の領国化を進めるのは当然ながら、ここは急ぎ和泉まで進出し堺をおさえられては如何でしょうか。堺の物流を抑えるのみならず、四国の長宗我部との連携が可能になります。双方で五千か七千の援軍を融通し合えば戦の幅が飛躍的に広がりましょうぞ。」


斎藤利三はやはり四国に目が届いたか。何れはそのつもりだが、間には摂津・河内・和泉と三国ある。万余の軍勢を率いて行けば堺まで行く事はできる。が、常時堺に主力を貼り付ける訳にはいかぬ。魅力的な案だが時期尚早だな。


「ここ桂から御所は目と鼻の先。主上にお目通りされ、織田家討滅の勅を戴く事はできませぬか?」


毛色の変わった盲点を突いたのは藤田伝五行政だ。この意見には諸将も唸っている者が多い。光秀は従五位下・日向守であり、交渉次第で主上に目通りが叶うのだ。


「うむ。なかなかに鋭い視点だ。だが知っての通り公家共が主上との間に割り込み特定の武将に深く肩入れさせぬ。勿論きつく敵対も致させぬがな。主上御自身も民の事は気にかけられて()られようが、武将同士のいさかいには距離を置かれよう。勅を引き出すのは無理だろうな。」


「無理でしょうな…やはり。」


「そう気を落とすな。なかなか鋭い視点であった。我が明智が大きくなり四方に抗える大名が居なく成れば、頼みもせぬのに勅を受けてくれと、公家共から言い寄って来よう。朝廷とはそういうものよ。 さて、だいたい出尽くしたか。では儂の案を述べる。」


一息入れて諸将を見渡す。皆しっかり集中できているな。


「摂津はとりあえず後回しにして、まず大和を恫喝する。大和国境まで戦闘隊形を維持して進軍、交渉にでてくる筒井順慶から島左近清興と兵をもぎとる。」


「!」


諸将が息を飲んでいる。まあそうだろう。つい先日までは筒井順慶は明智組下の大名で、事実上部下であったのだ。山崎の合戦前に日和見したとは言え、積極的に敵対もしていない。(まあ、裏で秀吉に通じていたのは俺だけが知っている未来知識だからな。)恫喝すれば下手をすると積極的に敵対する恐れもある。寝る子をわざわざ起こさずに他から手をつけるのが一般的ではあるのだろう。


「もし、敵対してきた場合は?」


利三ですら言いずらそうだな。ここで正面から聞き返せるのは、やはり光春か。


「郡山城を踏み潰すだけのことよ。筒井は滅亡する。だがそうはなるまい。あの順慶、そこまで腹は据わっておらぬ。敵対の決断が出来るぐらいであれば、秀吉の陣に5千やそこら参加させておるわ。そして此度我らに帰順したところでイザとなればまた日和見よ。斯様な者を味方に取り込んでも益はない。よって筒井の戦力そのものを切り取るのだ。」


「…島清興を事実上独立させて、我が与力に組み込む…という事でござるか。」


「うむ。島清興の率いる軍勢以上の軍役は課さぬと言えば、算盤はじいて許諾するだろう。要は自らは戦場に立ちたくないのだ、順慶という男はな。」


「…情けない話でござるが、云われてみればその通りやもしれませぬな。」


諸将も理解出来たようで、皆納得顔になっている。可児吉長などは苦虫を噛み潰したような顔だが、実は順慶のような御仁は案外多いのだ。


「なるほど。大和を押さえる。そして秀長が人質で我らに逆らえない播磨。その間に挟まれた摂津は孤立という事か…。早晩自らすり寄って来るでしょうな…。」


いち早く気がついたのは光春か。はっきりとした認識は無くとも自然と戦略的思考ができているようだ。


「…となれば、摂津と大和に北と東西3方を固められた河内・和泉もいずれ…」


利三は四国の件もあってより大きな視点で物が見えている。いずれ気がつくとは思ったが早かったな。

見回すと諸将が驚愕の目で見ている。そのとおり、大和を抑えることは一気に五畿内を制圧する事になるのだ。


「皆儂の狙いが見えたようだな。五畿内を抑えた後はおいおいと周辺の伊賀、紀伊、若狭、丹後、因幡などを片手間で片付けて行けよう。」


「そして美濃、尾張、伊勢へ!」


可児吉長の威勢が良い。…いや、これはわざと景気付けに言い放ったのだな。末席の将としての仕事を理解しているのだ。


「ああ。だがその間に北陸の柴田勝家との戦が入ってくる。その戦況次第で越前を先に取ることになるやもしれぬが、その場合でも加賀は手を出さぬつもりだ。」


「北陸の雪に埋もれる勝家の二の舞は嫌ですからな…」


諸将から笑いが漏れる。雪もだが、加賀はかなり難治の地なのだ。一揆持ちの国だった期間も長く武士階級への反発も強い。その上大規模な寺社が私兵を抱え込んでいて領国化に時間がかかる。現状でも勝家が越前、前田利家が能登、佐々成政が越中の分担であって加賀はその他の諸将が細切れになっている小さな領地に配分されている状況だ。


「大和へはどの経路を用いましょうや?」


松田政近が目の前の現実に話を戻す。優勢であっても浮かれることがない堅実な性格のようだ。


「うむ。それよな。ここ桂からまっすぐ南下して巨椋池の東を通り北から大和へはいる道が一番平坦ではあるが、これでは近江勢と完全に分断されてしまう。」


挿絵(By みてみん)


奈良街道は数本あるがそのうちの一つだ。古都奈良と京都を結ぶ幹線で古くから整備されており起伏も小さい。だが摂津の際まで進出している近江勢とは生駒山で分断されてしまうのだ。


「よってこの道はつかわぬ。生駒山の西を南下する。」


摂津河内付近は平坦な地が多く西国街道はもちろん、いくつもの脇道がある。とくに京都から高野山へむかう高野街道が多数はしっており、一番東寄りの東高野街道は生駒山のすぐ西を南北に通っている。


「東高野街道を石切まで南下、暗峠くらがりとうげは難所だが、暗越で大和を望もうと思っている。この経路であれば、郡山城の真西付近に出ることになる。近江勢ともギリギリまで連携が保てる。」


暗越は日本書紀にある神武天皇一行が長髄彦に撃退されたコースだ(たぶん)。現代でもこの経路は難所で物好きしか通らない。(ほとんどの車は北側にできているバイパスを通る。)この時代ならさらに難所だろうが、距離そのものは短い。


「暗越で大和に入り平坦地に出た所で軍を展開、陣を張り恫喝する。」


諸将が頷いている。とくに異論はないようだ。


「近江勢はいかがなされまする?」


松田政近が確認してくる。これも解っていてわざと皆にも聞かせるために確認しているようだ。目立たぬが得難い忠臣と言えよう。


「うむ。近江勢には摂津国境からじわじわ摂津に入りつつ、摂津衆を取り込んでもらう。近江勢にも手柄の機会が必要だしな。」


追撃での戦果だけでなく、ここで近江勢に土地を得る機会を見せる工夫も重要だ。明智方としてしっかり参戦し論功行賞で土地を得れば、最早譜代と言っても良くなる。丹波勢同様に頼れる軍勢となれるだろう。











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