11 追撃
但馬に別働隊を分けたとは言え明智勢は万余の大軍である。秀吉の大返しの如き無謀な強行軍では無駄に兵を消耗させるだけだ。疎開させた丹波の住民にも戦勝を知らせつつ隊伍を組んで粛々と京へ向けて進発する。すでに陽はかなり傾いているが、丹波から山城へ向かう篠山街道も山陰道も幾度も通った道だ。兵達も気が立っているのでこのまま夜になっても進撃を続けるとしよう。
「可児吉長殿より、伝令!。敵の首は打ち捨てにしてあるので笹の回収を乞う…ですが?」
ふっ、やっているようだな。光春も舌を巻いておろう…
「口に笹が突っ込んであれば吉長が打ち捨てにした首だ。そのつもりで回収してくれ。」
隊伍を組んでの行軍とは言え本隊は戦闘していない。羽柴勢の後尾と戦闘しつつ追撃中の光春達よりは速く進む。開いていた距離が少しずつ縮んできている。
「討ち取った羽柴勢の首が続々もたらされつつ有り!」
「うむ。首は奉行に任せる。逐一報告は無用だ。名のある武将の場合だけ報告してくれ。」
その後も次々と戦果報告が入ってくる。中でも目を引いたのが前野長康の首だ。金ケ崎でも撤退戦の殿をやっているので今回も任されていたのか。蜂須賀は行方不明、秀長は捕虜、長康討ち死にでは羽柴勢はもうガタガタだな…
日が暮れた後もそれなりの時間を追撃して籾井城下まで進みここで野営する。籾井城は古い山城で丹波が光秀時代に入ってからは重視されなくなっている。街道が交錯する要衝の地だが街道それぞれに小城を構えたので籾井城の価値が下がったのだ。だが交通の要衝であることに変わりはない。
ココから先は峠越えの険しい山道になるので夜間行軍は避けたほうが良かろう。
「今夜は此処までだな。野営の準備にかかれ。明日からは本格的に進撃するぞ。」
兵達が三々五々、火を起こし食事の用意を始める。斎藤利三や明智光忠など重臣も追々集まってくる。
「見事な勝利でしたな、日向守様。」
「疲弊した敵だ、自陣に引き込んで落ち着いて当たれば負けようもあるまい。だが利三こそ流石の進退であったな。犠牲を抑えて上手く戦ってくれたので次の手も打てるというものよ。」
「明日はどこまで追いますかな?」
「そうよな。可能な限りは削っておきたいが、ここ籾井城からは間道がいくつか枝分かれしておる。北への間道は無視してよかろうが、南へ能勢を通り池田から尼崎方面にぬける険しい間道がある。これは抑えねばならぬ。」
集まった諸将も頷いている。
「だがあまりにも険阻な山道であるのでまともな軍勢が通るような場所ではない。『脚木摺峠』まで確認して敵が見当たらねばそれで良かろう。」
「脚木摺峠…ふむ。あそこまでであれば能勢の手前。その程度であれば、山城へ向かう本隊にも程なく追いつけますな。」
「庄兵衛が行ってくれるか。いつも損な役回りですまぬな。」
「なにをいまさら。この程度であれば千も連れていけば十分でしょう。残りの千は殿におまかせ致します。」
「うむ。腹いっぱい食わせて待機させておくとしよう。」
諸将の顔が綻ぶ。おや、これはたまたま元の光秀のキャラに合致していたようだ。部下に慕われていたのは事実だったんだな。福知山に御霊神社もあり光秀が祀られているほどだ。領民にも好かれる良い大名だったのだろう。
利三達が一応念のため、寝ずの番を手配してくれる。羽柴勢はとても夜襲できるような余力も人材も無いだろうが、ありがたく寝かせてもらう。なにせすでに五十半ばの光秀だ。無理は出来ない。
しかし不思議なものだ。光秀に憑依しているためか、適当に考えて口走った言葉も普通にこの時代の言葉で出て来ているようだし、耳に入ってくる言葉も俺が理解できる状態に自動変換されている。乗ったことがない馬にも普通に乗れているし食事の所作や立ち居振る舞いも体が覚えているようで、自然な動きができている。違っているのは空の星か。恐ろしいまでに星の数が多い。これが本来の夜空なのだな…
「日向守様、朝餉ができております。」
熟睡していたようだ。近習が気を利かせて起こしに来てくれている。
「うむ、すまぬ。戦場で熟睡してしまったようだ。」
簡素な一汁一菜の朝餉だ。兵達なら飯と汁だけであろうか。十分に贅沢やもしれん。
早朝から陣列を整え粛々と進発する。ここからは天引峠を越えて亀岡だ。亀岡を過ぎて老ノ坂峠を超えれば桂に至る。
道脇に落ち武者狩りに会ったのだろう、羽柴勢の躯が散見される。
「…」
明日は我が身とでも思うのか、皆一瞥をくれるだけで黙々と進軍してゆく。早くもこの時代に慣らされてしまったのか、はたまた光秀の経験が反映しているのか、自分自身でも驚くほどに落ち着いている。
「日向守様、亀岡が見えてきました。」
現在の亀岡からでは光秀が造った丹波亀山城の当時の姿はわからない。築造期間がごくわずかなので、おそらくは最低限の拠点としての機能しかなかっただろう。しかし、光秀が丹波攻略の足がかりとしただけの立地であり、丹波の入り口を扼し保津川水運と山陰道の双方を抑える絶妙な場所だ。この地からは保津川下りで京に出る方法も有るが、万余の軍勢を一気に運べるものではないので断念する。
この先、老ノ坂峠を超えれば山城国だ。兵の疲労を考慮し小休止を挟みつつ進む。掃討が徹底しているのか全く羽柴勢の気配はない。
「さすが光春。徹底しているな。」
「日向守様の軍配なればこそ。ほぼ無傷での一方的な追撃なれば、蟻一匹取りこぼしは致さぬでしょう。」
なるほど、そういうものか。大返しが如何に異常な作戦であった事か、この一事でも明白だな。