第一章6 アナザーワールド「記憶追憶」
絵吏の家の前の瓦屋根の付いた門を通り過ぎた二人は山道を下り、段丘の下に降りていく。
川沿いの街はまばらな街灯と山林の静けさにひっそりと灯る家の明かりが、夜の帳に小さく点在していた。月明りが雲に遮られなければ歩くには充分な明るさが備わっている。暗いことには変わりはないが、その分星空がよく見えた。
「星汰はそこで何をしている」
「何も、って言ったらなんか違うかな。景色を眺めて、何か考えてるんじゃないかな」
視線を落とした絵吏の返答にセルは反応することもなく歩を進めていく。
「きっと私の考えつかないような、大切なこと。川の水面を眺めながら、ときどき月を見上げたりして、真っ直ぐ何かを見つめてる。」
儚くも真っすぐに前を見据える絵吏の横顔を視界にセルは静かに両目を閉じる。
絵吏の思い浮かべるような星汰の顔から、記憶共有した時に流れ込んできた記憶の一つがセルの脳内に呼び起こされていた――――――――――――――――――――――「星汰どうしたの?」
髪の黒い少年が縁側に座っていた。物静かな性格だということが一目でわかる。暖かい日差しが辺りを照らしている。話しかけたのは絵吏自身だ。
「いや、ちょっと不思議な夢を見たんだ。そのことを考えてた」
星汰の声は優しく、穏やかな声音だった。左側に座った絵吏が星汰の顔を覗き込むと、星汰は少し俯いたまま口を閉ざした。
「不思議な夢?」
「うん」とだけ口にして黙り込んだ星汰との間に長い沈黙が流れる。その間絵吏は足を緩くバタつかせたり空を仰いだりして、どこか落ち着かない様子で星汰の方を何度も見ている。視界に星汰の横顔が何度も映りこむ。
「もし、夢から出られなかったらさ、絵吏ちゃんならどうする?」
「えっ?」
絵吏の視界の先で星汰の黒い瞳と目が合った。星汰は一瞥だけすると足先と地面の方へと視線を戻した。絵吏は瞬きをしながら星汰と同じところに視線を向けて顔を上げた。
「夢の中でもハッピーエンドにする! かなっ」
拳を握って笑う絵吏に星汰が目を見開いて視線を向けた。その顔は自然にほほ笑んでいた。
「どうせ出られないなら、ハッピーエンドにして生きていくしかないじゃん!」
立ち上がった絵吏を見上げて星汰は破顔して笑うと、縁側に後ろ手を着いて上を向いた。
「うん。そうだね。その通りだ――本当に。変なこと聞いちゃったね」
そう言ってどこか申し訳なさそうな笑顔を浮かべた星汰の顔を最後に――――――――――――――――――――――記憶は途切れた。
二人は丘を下り終えると、川沿いの堤防へと上った。河川には樹木群は無く、水位の低い中流の河川敷には大小様々な丸みを帯びた石が所々突出していた。広い川の水面が月明りを満遍なく反射させ、揺れ動く月が大きく輝いていた。
セルを追い越して先行した絵吏が駆け足になり指を差す。河川敷に降りる階段が設けられており、両脇は雑草に覆われていたが、三人分の幅の階段が下の川まで続いていた。
「ほらあそこ。いつもならここに座って、居るはず……なんだけど」
腕を降ろした絵吏の声音が弱弱しく消えた。表情一つ変えないセルが絵吏の右側に立ち、水面に移るぼやけた円い月明りを見定め、右耳のイアリングに触れる。
「記憶干渉能力を使う。記憶干渉能力の名は――記憶追憶――記憶接続」
エメラルドグリーンの帯がセルの右腕を伝って絵吏の左手首でブレスレットを形成する。
「記憶追跡」
セルのイアリングの中央から黄褐色の結晶が光を反射させた黄金色の光が煌めいた。イアリングが火を灯し、それを打ち消して現れたシェリー酒色の細い光線が真っすぐ絵吏の左頬の隣を通り過ぎて光の道筋を伸ばしていく。
その光線を見たセルの目が細くなり、その表情から辺りの空気が僅かに張りつめる。その機微を感じた絵吏もまた口をじっと塞いでセルの言葉を待った。
「記憶追跡は記憶追憶の初期段階だ。対象の記憶・所有物からその者の居場所を光の軌跡で辿ることができる。絵吏、お前の記憶から星汰の記憶の軌跡を辿る。
ここまで僅かだが星汰が辿った記憶の軌跡がこの先の上流へと続いている。記憶干渉能力を接続している記憶接続のこれもそうだが、記憶追跡の光線は使用者にしか見えない」
セルが右手手首で旋回するヴァイオレットの筒を絵吏に示した。
「記憶追跡はその色で対象者の状態を知ることができる――対象が近くに居る場合から、濃い黄色を帯び、遠くになるにつれ薄くなり青色に変わる。それに赤色が混ざると、対象者が負傷している場合や危険信号を示唆したものとなる。その色合いが濃くなればなるほどその色合いは増し、線は乱れていく。そして、線が消えた場合対象者の生存は――」
「それ以上は言わないでっ!」
唇を噛み締めた絵吏がセルの袖を掴んで顔を伏せる。
「今でも信じられない――記憶を共有して、あなたの言葉は理解できる。知らない記憶が私の中でそれを教えてくれるの――それが、セルの居た世界で本当の事だったしても、星汰がどこに居るか、ちゃんとこの目で確かめるまでは信じたくない……今はまだ、何も信じたくない」
セルが躊躇うことなく言葉を発しようとした口を閉じた瞬間――記憶追跡の深紅の混じった光線が細く真っすぐにピンッと張って、川沿いの上流を指し示した。
無言のまま歩き出そうとしたセルの袖を絵吏が掴んだ。構うことなく歩き出したセルの後を袖を掴んだままの絵吏が涙を拭う。
袖を掴まれたまま歩き始めたセルが、記憶追跡の光を暗がりに沈む道を切り裂くように追って行った。