第一章4 アナザーワールド「セルの記憶-バベルの塔-」
薄暗い洞窟の中、目の前で対立している何人もの騎士達――ぼやけた視界がはっきりと映し出されると同時に、周囲の音、乾いた口の中、呼吸から皮膚の感覚までが一気に襲いかかって
くる。息苦しさに深く呼吸をしようとして途端に感覚が無くなり、自身では息を止めているの
に単調に繰り返される呼吸に、絵吏は自分の身体を制御することができないことを悟った。
「大人しくしろ!」
天井知らずの洞穴は左右の横幅も十人の騎士が横に並んでも余裕がある。その中央で黒い鎧を纏った巨躯な騎士が異様な威圧感を放っていた。
「これは一体どういうつもりかしら」
左隣のブロンドのショートヘアの少女の声は、セルのイアリングから発せられていた声音と同じものだった。自身の腰元くらいの位置に目線を据えるその少女の、正方体のイアリングの内側で黄色い光が点灯している。その小さな背丈と周囲の光景に絵吏は更に違和感を覚える。
「マレニミルイジョウチタイ――選ベ――コノバショヲ我ワレオウコクニサシダスカ――死――カ」
黒の鎧を纏った巨躯な騎士のノイズ交じりの言葉に少女が身を乗り出すようにして反応する。
「差し出すも何も、あなたたちが魔石獣の討伐をへましたせいで、わたくしとセル様がこの場所に落とされたんですのよ! それを選べとは、更には死を? セル様を前に何たる愚劣、そちらの方こそ
死ぬ覚悟は出来ているのかしら!」
「貴様コールサック様に向かってなめた口を」
「なめた口を利いてるのはお前たちであろうが! セル様を前に発言を許した覚えはないッ!」
少女の怒号が他の騎士達を萎縮させる。少女のイアリングが燦燦と光を帯びた。その光はセル記憶共有した時と同じヴァイオレットの閃光。
「レナード」
今にも飛び出しそうな少女を諫めたのはセルの声だった。絵吏はその声の主が自らの発せられていることから、自分では何一つ制御できないこの身体がセルのものだと完全に理解した。
「ギルド記憶の星団ダンチョウ、セル――ソシテ副ダンチョウデモアリ、星導大十字』ノショウゴウヲモツ、レナード――コノフタリヲマエニ、セントウヲ好ムモノハイナイ――ワレワレトシテハ、貴公ラノテッタイヲノゾム」
コールサックと呼ばれた巨躯な騎士が、真っ黒な杖にも似た巨大な棍棒を背中から引き抜き抜いて、身体の正面で地面に突き刺した。その振動が辺り一帯にまで広がっていく。
「この特殊地帯は出入り口が塔の動きに合わせて常流している。それに加えて瞬時に閉口するため外からこの場所に入るのは不可能に近い。そちらの援軍が望めない以上、ここで俺たちと戦うか、貴様の星の力を使い入り口をこじ開けて脱出するか選べ」
セルの力強い言葉を前に、コールサックを含めた騎士たちが押し黙る。両者の間で沈黙が流れる中、視界の端でレナードと騎士たちの間で横たわっていた黒装束の者が、ゆっくりと起き上がった。フードに覆われた顔は見ることができない。
「王国も随分と焼きが回ったようですわね。未開拓階層に星騎士以外の、ましてや王国騎士団に属していない者を帯同させるのですから……見たところアルタイルの管轄する教会の連盟兵かしら――当然わかっていますわよね。
王国のバベル進行階層規約における、『未開拓層における進行の際、開拓者の記憶を有した生体及び記石等の記憶を内在した物体が階層に包括され記憶が取り込まれる可能性がある場合、記憶の守護を最優先にこれを防ぎ直ちに撤退すべし。なお責務はその記憶の所属及び所有者に帰属する。記憶の所在が不明な場合及び所在者が不在の場合は、当事者が代わりに尽力せよ。』
この規約に基づいてあなた達が最優先に行うべきは、直ちに負傷した兵達をこの場所から連れ帰ることではないかしら」
レナードの言葉に反論できない騎士達の中央で、依然変わらず威風堂々としたコールサックから無言の圧がこちらに向けられる。
「キヤクナド捨テオケバイイ――コノバノハン断ハスベテ我ニケンゲンガアル」
「あなた! バベル未到達階層の、さらに異常地帯とも呼べるこの大穴を前に! 王国とギルドの争いをなおも続けるというのかしら!」
「――ダカラオマエタチガ撤タイヲスレバイイトイッテイル」
「まだ息のある者を放ったまま、あなたたちはこの場所の探索を続けるつもりなのかしら? 塔の動きが活発になれば、意識を失った者が階層に取り込まれる可能性は低くないのよ――そうなった後で、人の記憶を取り込んだ強力な魔獣が生まれることがどれほど危険なことか、星騎士のあなたならよくわかっているでしょう!」
必死で訴えるレナードの言葉とは裏腹に、コールサックだけではなく他の騎士達も同様に反応を示さない。その違和感にレナードの顔から血の気が引いていく。
「まさか、あなたたち最初から」
「ヒトノキオクヲユウシタキョウリョクナ魔獣ガウマレルというコトハ――キョウリョクナ魔石ガテニハイルというコトダ」
「光石ノ完全正方体」
瞬間レナードの正方体のイアリングが閃光を放ち、騎士たちを覆い尽くすほど巨大な光の正方体が、突き出されたレナードの掌に合わせて高速で前進した。
「我ニ星ノ光ヲ――コールサック」
コールサックの巨大な棍棒が地面に向けて光を放つと、大地の怒号が響いた地面が隆起し、レナードの光石ノ完全正方体と同じ大きさの巨大な岩壁の塊が衝突した。
セルは騎士たちの足場を境目に広範囲に隆起し地割れした自らの足場から飛び退り、空中に散乱する断裂した地面を蹴って重力と垂直に移動する。
人の動きとは到底思えない速さで空中を移動するセルの視界の先――直径五十メートルはあろうかという大穴を背に、黒装束を身に纏った四人の教徒が宙を舞っている。
落下する教徒たちを受け止めるようにして光の正方体が形成されるも、その光が弱まり再び教徒達は大穴へと落下する。そこへ雷光と共に現れたセルが教徒の一人を大穴から投げ出し、レナードの光石ノ完全正方体を足場に続けて二人を救出する。
「セルさまッ! 光石ノ完全正方体の領域に制限がかかります! その大穴やはり特殊区域!」
コールサックの隆起した地面が巨大な津波のように大穴へ襲い掛かる。それを手前でレナードが光石ノ完全正方体を形成し岩壁を粉砕するも、分裂した岩が大穴へを飛散していく。
「雷獣石ノ軌跡」
教徒と岩壁の間に向けられたセルの右手――黒いグローブに覆われた右手の掌から雷光が一閃、迸った雷光が岩壁を薙ぐようにして粉砕した。
「妖精のご加護よ 水の思し召しとなりて その名を欲せんと」
倒れていた教徒が首飾りを掲げて詠唱をする。
四つの水柱が現れると大穴の上で落下を始めるセルに襲い掛かった。レナードの光石ノ完全正方体が水柱を囲い閉じ込めると、セルの放った雷光がコールサックめがけて光石ノ完全正方体を移動させた。再び隆起した岩壁と衝突する手前で光石ノ完全正方体が消え、乱れ打つ水柱がコールサックの元へと襲いかかった。
「セル様!」
セルが足場に形成された光石ノ完全正方体が消え、真下の大穴から慟哭にも似た大地の蠢く音が発せられた。
火山の噴火のような、何かの前兆にその場の空気が一気に緊迫する。
「光石ノ完全正方体――三十層!」
セルの足元で三十層の光石ノ完全正方体が新たに形成、それを足場に跳躍したセルが大穴から地面へと身を乗り上げる直前――大穴から地面を遮るようにして現れた黒い風の天幕が、セルの身体を大穴へと弾き返す。
レナード新たに光石ノ完全正方体を形成、セルも右手を翳し雷獣石ノ軌跡の雷光を放つが、セルの手元から放たれた雷光は細く小さな電流となり消え、レナードの放った光石ノ完全正方体も二人を遮る大穴の風壁に触れた部分から崩壊していく。
「セル様――っ⁉ 何故、力が発動しない⁉」
足場を失ったセルが重力に従って落下していく。それはまるで真下の大穴からセルの両足に纏わり憑いた深い闇がセルの身体を引きずり込んでいくように。
「セル様あああっ!」
「レナード! ここは任せる。包囲を最優先、王国に渡すな」
三重の光石ノ完全正方体で風壁を破り、大穴に身を乗り出したレナード。レナードが涙を浮かべて手を差し伸べるも、その先で形成された光の破片はあっという間に崩れていく。
「ギルドを――頼んだ」
「セルさまあああああああああああああっ!」
レナードの姿と声が遠く、小さくなっていく。闇に包まれた空間の中で、セルの胸元のブローチの蒼い石が鮮明に光を放った。
「――――――――――――――――――――――――」
最後にセルの発した言葉が遠ざかるのを耳に、暗闇と青白い光の筋を見上げながら、記憶は暗闇に閉ざされ、セルと絵吏の意識はそこで途切れた。