第一章17 アルカディシア「妖精神姫」
星汰が暗がりに目を開けたのは、まだ霧が辺りを覆っているような時間だった。窓の外はまだ日は登っておらず、再び目を閉じた星汰の元に扉を激しく開けた兵士が入り込んでくる。
「起きろ、時間だ」
三人の兵士が外へ出るように促される。前後を兵士に挟まれて階段を降りていった。
塔の出入り口の扉の向こうで馬車が一台停まっているのが見えた。
「アルタイル様は」
「やはり起きない」
「アークトゥルス様は」
「馬車の中で寝ている」
星汰地上へ出ると鳥の鳴き声が空に響いて微かに冷たい風が吹いた。
兵士の一人が馬車の扉を開くと、中でアークトゥルスが横になって寝そべっていた。
しばらく馬車と塔の間で立ち往生する兵士達が言葉を交わしながら忙しなく行き交っていく。
「アルタイル様はどこにっ」
「塔のどこかで寝ているんだ、探せ!」
何かが上空から地面へと着地する音が聞こえた。
「起きてるよ。昨日レナードと遅くまで話し込んでいたからな。うっかり寝てしまった」
背後から発せられた声に星汰が振り返る。星汰よりも低い背丈の騎士が頭の後ろに手を当てて視線を向けていた。暗がりでよく顔は見えないが、開かれた獣のような瞳は、とても大きく鋭かった。兵士の持つランプの光が騎士の光沢のある鎧と緋色の髪を照らした。
「うっかりという時間でもありませが……」
「勘弁してくれ、俺の威厳がなくなる。それよりも俺は早朝警備という名の仮眠があるから馬車を出していいぞ。代わりにアークトゥルスが同行する」
塔の背面へを歩き出すアルタイル。
「ちょ、どこに、アルタイル様!」
「どうせすぐそこだ。アークトゥルスも居るし問題ない」
そう言って飛び去ったアルタイルと呼ばれた男が音も無く姿を消した。
「また寝に行くのか」
「ああ、朝日が昇るとその日差しで暖まれるから寝心地がいい。と、この間言っていたからな」
騎士に乗車を促された星汰が、いびきを掻いて熟睡するアークトゥルスの向かいに座った。
星汰を挟むようにして座った騎士が馬車の扉を閉めると、二頭の馬がゆっくりと駆けていく。
段差によっていびきが途中で止まったアークトゥルスが座席から落ちないように星汰にしがみつく。
「さむっ、ていうかなんで動いてうわあああああ!」
起き上がろうとしたアークトゥルスが顔を上げて叫び声を上げる。
「うるさいぞアークトゥルス」
「静かにしろ阿呆うが」
「びっくりしたー! ちょっと驚かさないでよ!」
「黙れ」
アークトゥルスが胸に手を当てて大きく息を吸っては吐いてを繰り返していく。
「いやいや、なんなの君たち、普通起こすでしょ。考えても見な? 起きたら暗闇の中で騎士が目の前に座ってるんだよ? しかも行儀よくさあ、てかなんでこんな暗いの明かりつけようよ。君たちのその鎧の顔が怖いよ。ていうかアルタイル様は? あ、水とかある?」
両隣に座る騎士たちが揃って舌打ちをする。立ち上がったアークトゥルスが馬車の天井に着いたランプに手を伸ばしたところで馬車が停止した。
騎士が扉を開いて、体制を崩して覆い被さっていたアークトゥルスを外へ投げ飛ばした。
「うげっ」
騎士に続いて降りた星汰の目に、朝日によって薄まった暗闇から空高く聳える城が見えた。目前にパンテオンのような神殿があった。こちらを待ち構えていた人影の方へ、騎士に促されて歩み寄る。
「貴様がセルだな」
星剣と思われる者は見当たらなかったが一目で称号付きとわかる白衣。リゲル・ダリウェルよりもさらに長身。銀色の長髪が胸元まで垂れさがっており、残りの髪は後ろで束ねられていた。中央にはブローチが取り付けられていて、右目だけ銀淵のモノクルが付いている。騎士というよりは、宰相のような風貌。或いは貫禄のある若き宮廷画家のような印象だ。
「これからまずは聖堂に来てもらう。その後、アズガイル公爵様との謁見」
銀髪の騎士が左手のバインダーと右手に羽の付いたペンをもって書類を捲る。
「アルタイルはどうした」
「アルタイル様は……、アークトゥルス様に信頼を寄せており……若き才能に期待しているため、任せた……と。詳しいことはアークトゥルス様に窺うのがよろしいかと」
集まった視線に瞬きを繰り返すアークトゥルスがいつの間にか手に持っていた木製のボトルを口に傾けて喉を潤した。ぷっはああ。と声を出した後で口を拭う。
「ペガ様すんませんっ! 起きたらアルタイル様居なくなってました!」
両手を合わせて目を瞑るアークトゥルスに冷たい視線を向けて一瞥したベガが、その身を翻して神殿の方へ歩いていく。
「セル、着いて来てください。星婆がお待ちです」
「終わったな」と騎士たちに両肩に手を置かれたアークトゥルスを置いて、星汰はベガの後を追う。
神殿の手前、横に広い階段をいくつか登りきると、巨大な柱を両端眺めて歩いていく。見張りの騎士達の代わりにアークトゥルスが遅れて歩いてきていた。神殿の中へ入っていくと、荘厳なステンドグラスのはめ込まれた大天蓋に星汰は言葉を失って見とれた。
「きおったわい」
先に続く暗い通路の手前でしゃがれた声の老婆がロッドを片手に立っていた。背丈はとても小さい。何重にも織り込まれた布を身に纏っている。盲目の瞳が星汰の視線を捉えた。
「アルタイルがおらんようだが」
「アークトゥルスが言い訳をしてくれるみたいですよ」
「え、あ……まあいいじゃないですか、俺だけで十分ですよ」
頭の後ろで手を組んだアークトゥルスがおどけて笑った。周囲に芳しくない空気が流れる。
「星騎士の名が廃れるわい」
「全くですね。ですが星婆、アークトゥルスはまだ候補生ですので星騎士ではありません」
通路へ向かう二人の後を追う。アークトゥルスがそれに抗議する形で歩み寄った。
「そこはもっと期待してもらわないと! 俺期待の星ですよ?」
「かかかか、たわけが、それにしても、あのセルを前に、星騎士が一人とは、何とも頼りない。のおベガ」
「おっしゃる通りでございます。」
「ちょっとどういうことですかー! 俺が居るでしょう! お、れ、が!」
「今回の件といい。お前はもう星騎士にはなれないだろう」
「いやいや、候補生の中で唯一確定ですよ。それに二つの称号の候補に同時にあがったのは史上初ですよ? それだけ俺が期待の星ってことじゃないですか」
胸に手をあって満足そうな顔をするアークトゥルス。
「それは、称号を与える人材が少ないからだ。それに、だからといって、二つの称号を貰えるのか?」
こちらの銀髪の指摘に戸惑うアークトゥルス。廊下は暗がりのまま続いている。
「いやー、多分……貰えませんね」
「そうだろう、選ばれたのは確かに史上初、貰えるかどうかは別の話だ。もし二つ称号を手にした時は、その栄光を星の輝きに称えよう」
アークトゥルスが目を見開く。その横でしたたかな笑みを浮かべるペガ。
「無理だがな、それで星婆様準備はできていますか?」
「ペガ様、確かに言いましたね! 星婆の記憶にも残りましたからね!」
騒ぎ立てるアークトゥルスを前に、星汰は通路を見上げるようにして確認していく。右側の壁の先で巨大な部屋の扉のようなものが見えた。
「クック、できておるよ。すぐにでもできるさ」
その老婆の声と目には底のない何かが潜んで居るようだった。ロッドに埋め込まれた不気味な紫色の水晶のようなものが蠢くように光を宿した。
星婆の立ち止まった青銅で造られたような扉に視線を向けていた星汰の身体が勢いよく投げ飛ばされた。
手首を縛る橙色の光の鎖がアークトゥルスの肩に担いでいるサーベルと繋がっている。
「間違っても星剣の力を絶やすな。神姫に喰われてはどうしようもない。意識が無くなったらすぐに引き上げよ」
「わかってまーす」
肩を押さえる星汰が呼吸を整える暇もなく、先を歩くアークトゥルスが星汰を壁へと投げ飛ばす。ぐったりと横たわる星汰は身動きが取れずに呼吸困難に陥っていた。
星婆がなにやら呪文を唱え始めると扉の中心が光り始めた。地上へのような模様が浮かび上がると、中央の窪みに星婆がロッドの先を向け、そこから無数に重なった魔法陣が現れた。
目を見開いた星婆の白い瞳が凝血するように黒くなると、無数の魔法陣が一つまた一つと消えていく。完全に取り払われた扉から鍵の開く音がすると、その場へ星婆が膝を着いた。
「星婆様」
体を支えたベガがゆっくりと星婆を起き上がらせる。
「よい、それよりも星剣を――気を付けるのじゃぞ、何より怒らしてはいくら封印があるとはいえ、どうなるかわからん」
立ち上がったベガが扉に近づいて手のひらを押し当てた。
「星の導きよ永遠に――ベガ」
人の背丈に見合う長方形の枠が光ると、それが押し込まれるようにして取り払われた。奥へと暗闇が続く道が現れた。
「これがあのセルねえ、なんていうか案外大したことないなー」
横たわる星汰の元へしゃがみこんだアークトゥルスが髪を鷲掴みにして無理矢理顔を覗き込む。口から血を零していた星汰が痛みに顔を歪ませた。
「アークトゥルス、余計なことはするな。セルを中に入れろ」
間延びしたした返事をしたアークトゥルスが口角を吊り上げて、星汰の髪を離すと同時に星剣を後ろへ思いっきり振り切った。同時に後ろへ放たれた鎖の余りが無くなり、星汰が引き飛ばされていく。柱に背中を打ちつけた星汰が血を吐くと、アークトゥルスが扉に向かってサーベルを引いた力によって、星汰が暗闇の中へ続く道の中へと放り込まれた。
宙に浮いていた星汰の身体が地面に引きずられて止まると、アークトゥルスの星剣が星汰の身体の周りを照らした。背後の通路の遥か先で入り口の光が小さく見えた。
星汰が血を吐きながら呼吸をしようと蹲ったまま身体を震わせる。
霞む視界の先で、星剣の光とも違う小さな流れ星のようなきらめきが宙を舞う。それが優雅に上空から地上へと駆け巡る様子から、周囲は吹き抜けのそれなりに広い空間であることが分かった。
「あらあら、かわいそう」
その声の響きは機械的でもあった。甲高い女性の声が室内の四方から重なり合って無数に反響するような、幻想的な声音だった。
横たわるセルの目の前で綺羅星が蝶のように宙を浮いていた。
「久しぶりセル――と言ってもいいのかしら」
背後から聞こえたその声に星汰が振り返ろうとする。だが、その視界が反転して宙に浮くと、星汰はその場に座り込んでいた。静かに息を吸って吐く自身の身体に手を当ててゆく。強く胸を叩いても平気な自身の身体から顔を上げた。
「これは――フフそう。あなた」
光がパッと消えると、星汰の左頬に人の掌が添えられた。幾重にも円を結ぶ光の輪が、碧眼の中で回転していた。その背後で広がった四枚の光の羽は星の閃光を放ち、真っ白な髪の毛はまるで掌に溶ける雪のように細やかだった。
「久しぶりだわ、あちらの世界の住人とお話しするのは。フフ――」
妖艶な笑い声が辺りに響き渡って反響した。綺麗な笑みを浮かべた口元は微動だにすることはなく、ただ笑い声がいつまでも響いていた。
「レナード――面白いことするわね――じゃあ――大事な記憶だけ残しといてあげるわ」
妖精の姿と包み込まれるかのような声音だけが、星汰の記憶の片隅に残った。




