リッカ-09
夜も更け、後数時間もしない内に日付が変わろうという時間に、雨宮律は自宅のマンションに辿り着いた。
悪酔いした絵里をカーラに任せ、九十九の運転する車で近くまで送ってもらった後、別れた形だ。
十五階建てのマンションは6LDKの広々とした空間を売りにしたものだ。
かなり高価な買い物ではあったが、しかし共に暮らすと駄々をこねたマリアも、彼女に負けじと主張したリリナも金を出したことから、一人頭で負担した金額は少なく済んだ。
リッカは元々持っていた旧ゲーマー時代の遺産を、マリアは当時の稼ぎを、リリナは親が管理していたネットアイドル時代の印税収入を投じ、問題無く購入できたというわけである。
オートロック式の鍵にカードキィをかざし、開錠。ドアを開けると、香ばしいカレーの匂いが漂ってくる。
「おかえり、リッカ君。ご飯あるけど、食べれる?」
首を傾げながら、柔らかな笑みを浮かべて問う女性――リリナの言葉に「うん」とだけ返して、席に腰かける。
「今日は九十九さん達と飲みだったんだよね? お酒飲んだ?」
「いや、これからゲームするだろう? だからノンアルコールで済ませたよ」
「あ、そうなんだ。気にしなくていいのに」
「殆ど日課だし、別に酒好きってわけでもないし」
「いやそうじゃなくて――多分マリアさん」
「たっらいまーっ」
乱雑にバンと音を鳴らして、今玄関のドアが開け放たれた。
顔を真っ赤にしてニコニコと笑顔を浮かべる女性――マリアは、惚けた表情と呂律の回っていない口調、更には足元もふらつかせながら、今リリナの胸元に飛び込んだ。
「りりなーっ、たらいまー、あれ、今日カレー? ちょっとだけ、ちょっとだけアタシもちょーだい?」
「はいはい、マリアさんはお酒弱いんだから、あんまり飲み過ぎはダメですよぉ?」
「んひー、ショーリノビシュってやつぅ? 大会で勝った後のお酒はおいしいのだぁ」
チュッ、チュッ、とリリナにキスをするマリアに「はいはい」とだけ返し、彼女を席へと座らせると、小皿にカレーを用意して、律と自分の分も用意したリリナが揃った所で、三者は手を合わせた。
「リリナのごはん美味しいし、リッカとアタシの稼ぎもある、トーキョーは美味しいごはん食べれる所もいっぱいあるしぃ、アタシニッポン来てよかったなぁー」
「マリアさん、日本語も上手になりましたもんね。……あ、口元汚れますよ? ちゃんとスプーンを口に入れて、食べてる間はお喋りしないでください」
「リリナ、なんかママみたいだねぇ」
「マリアさんが何時までも成長しないからですっ!」
もう、とため息をつくリリナだが、しかし口調とは裏腹に表情は笑顔で、彼女の口を拭う時はニヘラと口元が砕けている。
お腹を空けていたので、律もカレーを頂きながら、彼女達の事を見続ける。
「マリア、お前この酔いどれでFDP行けるのか?」
「モチロンっ、アタシがゲームで手を抜くわけないじゃん?」
「まぁ酔ったりしてもFDP内ではアルコール値が反映されてないだけなんですけどね」
カレーを食べ終わり、洗い物は律が行う。そうしている間にリリナとマリアがコクーンを準備するので、律は今日、九十九達と話したことを軽く彼女達へ聞かせた。
「そろそろさ、オレも答えを出そうとしてるんだよ」
言葉の意味は、リリナもマリアも理解しているだろう。
一瞬だけ、二者の動きが止まると共に、表情も引き締まった気がしたけれど、それはそうだろう。
こうして今や慣れてしまった、三人での生活が、もしかしたら終わってしまうかもしれない。
そう考えるだけで――リリナやマリアだけでなく、律でさえも、不安になる。
「でもさ、九十九が言ってたんだよ。
オレは一人で、そうした倫理観と戦う必要なんか無いって」
共に過ごす、愛した二人と共にいる内に、律は恐らく一人で、そうした日常といつか別れなければならないと、背負い込んでいたのかもしれない。
でも、それは三年前――閉じ込められたフル・ダイブ・プログレッシブという世界での彼と一緒だ。
彼は、一人で抱え込んでしまった。
それ故に自分自身を傷つけてしまった。
――けれど、そうした彼を救ったのもまた、マリアやリリナという少女達だった。
「なぁ、マリアとリリナはさ、オレとじゃなくて、二人と一緒にいたいか?」
「あったり前じゃん。何いまさら言ってんだか」
「そうだよ。リッカ君、もう二年以上もこんな生活続けてたのに、いきなりそんな事を言うなんて」
リリナとマリアは手を繋ぎ、キッチンで洗い物をする律へと見せつける様に、それぞれの身体を抱きしめ合った。
それは――互いに同じ人を好きになってしまった者同士ではあるけれど、だからこそ認め合ったから出来る抱擁であり、そこに律という人間が居なくても、愛情は変わらないとする意思表明でもあった。
「私はもう、マリアさんがいない生活なんか考えられないよ。リッカ君の事が好きなマリアさんと私、そしてリッカ君がいる今が、本当に大切なんだもん」
「アタシだってそうだよ。リッカの事は好きだけど、アタシはリリナの事も大好き。もしリッカが勝手に答え出してどっちか捨てようとしたらリコンだからねっ! その場合アタシはリリナを連れて出てくからっ」
酔っているから、という理由もあろうが、マリアは恥ずかし気も無くリリナの胸に抱きつきながら「リリナが大好きだもんねぇ」と顔をくしゃっと崩し、リリナもそんなマリアを可愛らしく思っているのか、力づよく抱きしめているようにも思える。
「……ま、だからアンタ一人で抱え込むなってのは、アタシらも同感って事。
アンタはほんとに、ガキの頃から色々抱えこむ癖があるんだから」
「うん。もし、誰かに後ろ指刺されたって、気にせず歩いていこう。
誰かに迷惑をかけたり、人を貶めたりする事じゃ無ければ、私たちは、私たちの生活や、日常を貫いていいと思うから」
必ず、答えは自分が出さねばならないと思っていた。
自分が傷ついても、誰かを傷つけてでも、どっちか一人を愛するためには、必要な事なんだと勝手に決めつけて。
――でも、そうじゃなかった。
そう選ばないという選択だってあるんだと、律は気付けたのだ。
そうして、律の事を誰よりも理解している二人は、だからこそ――そうして互いに認め合い、互いを好きになれたのだろう。
「さ! 変な事言ってないで、ログインするよ! 仕事でもFDP、プライベートでもFDP、なんか変な感じするけどね」
「同感だな。特にオレなんかは今日の仕事もFDPだったしな」
「えへへ、私はゆっくりプレイ勢だから、二人ほどやり込んでないけれど、でもやっぱり誰かと一緒は楽しいね」
コクーンをそれぞれ装着した三人が、横並びになってリビングに立つ。
そして、左手首に装着したコクーンを胸元で構え――声を発する。
『プログレッシブ・イン!』
瞬間、彼ら三人の身体が量子へと変換され、変換された量子は無線通信網を通ってマザーコクーンへと送信される。
マザーコクーンに形作られる量子世界【フル・ダイブ・プログレッシブ】――その世界に、今三人が辿り着いた。
セーブポイント、ミュージアム正門口。
そこには三人の女性が立っていた。
「やぁリッカ」
「マリアさんもリリナさんも、ご無沙汰しています」
「リッカさん、マリアさん、リリナさんっ! こんにちわっ!」
三星彩斗。
三星三郷。
三星紗耶香。
三人の女性は、それぞれの装備を身にまといながら、相対する三人へ挨拶をした。
プレイヤーネーム・リッカ。
プレイヤーネーム・マリア。
プレイヤーネーム・リリナ。
三人のプレイヤーは顔を合わせた後、自分たちの装備を確認しつつ、声を発する。
「よう彩斗。紗耶香は夕方ぶりだな」
「む。紗耶香とリッカは夕方にも会っていたのか? 彩斗ママはリッカと紗耶香の交際は認めないからな」
「もー、彩斗ママはずっとこうなんだから。アタシはただ、リッカさんとラヴラヴになれればそれで良いって言うのに」
「リッカ、アタシとリリナに唾つけて、ホントは紗耶香を手籠めにしようっての? それこそマジで離婚してアタシとリリナで結婚する事を検討するレベルなんだけど?」
「何だかこじれそうですが、問題はないでしょう。紗耶香のアプローチをリッカさんは常に躱し続けていますから。……というか、手を出したら私と彩斗が本気で許しませんから」
「なら安心ですね。私もリッカ君がこれ以上女の子を手籠めにしようとしてたら、流石に認める事はできなさそうだし……」
「さっきからお前らオレに対して当たり強くね!?」
製品版FDPには、NPCも救世主として活動できるシステムが編み出された。
これは、NPCにも自我が芽生えた事により、海藤雄一が気を利かせて作り出した規約の様なもので……正確に言えば『NPC達の個々に割り当てられた役割を解除し、個々が自由に道を選択できる』というものだ。
そうした結果、本来はNPCとして街の娘にしかなり得なかった紗耶香も――救世主として戦う事が出来る。
紗耶香は、その右手の中指に、一つのリングを装着している。
それ以外の装備は、防具としての性質をもつ【ブレイブコート】のみで、武器は何ひとつ装備していない。
――つまり、リッカと同じく、リングを主体とした戦闘方式である。
「今日こそ、リッカさんに勝つ!」
「ああ、勝ってみろ紗耶香。勝ったら何でもしてやるぞ」
「結婚」
「結婚とか付き合うとか以外で!!」
クスクスと笑う、付き添いの四人。
彩斗と三郷は変わらず、ツインソードとスティックを装備して。
マリアとリリナも変わらず、ウェポンガンとスティックを装備している。
「君達との戦いも、これでかなりの回数になったね」
「そーね。そろそろ彩斗とマジでやり合って、アタシが倒したい!」
「リリナさんはどうでしょう。最近まったりプレイを続けているとの事ですが、強くなりましたか?」
「自信はありますけど、お二人に勝てる自信はあんまり――でも、私たちスティック使いは、そうした個々の強さよりも、状況を見る目の方が重要ですから」
彼女達もそれぞれ、彩斗が破壊した筈のリングを装備し、そして準備を終わらせた。
「メイド!」
『はいはーい! そろそろメイド業以外にも何か手を出せないかなぁ、なんて事を考えているワンド・メイドでーすっ!
それでは皆の衆――同意とみなしてよろしいですね!?』
リッカの声に合わせて突如出現したメイドの放つ声に、皆が頷いた瞬間、六人の足元へ展開される魔法陣のような紋様。
紋様は地面に広がっていき、その周囲から関係のないNPCやプレイヤー達を退かしていく。
そして、誰も彼ら、彼女達の戦いを邪魔する者がいなくなったその時。
一斉に、声を上げるのである。
「変身ッ!」
「プログレッシブ・オン!」
「大変身!」
「プログレッシブ――オンッ!」
「変身」
「変身――っ!」
リッカは光のアイコンをリングへ読み込ませ、プログレッシブ・セイヴァーに。
紗耶香は剣のアイコンをリングへ読み込ませ、プログレッシブ・ソルジャーに。
彩斗は闇のアイコンをリングへ読み込ませ、プログレッシブ・デーモンに。
マリアは弾丸のアイコンをリングへ読み込ませ、プログレッシブ・シューティングに。
三郷は反響のアイコンをリングへ読み込ませ、プログレッシブ・ミラーに。
リリナは共鳴のアイコンをリングに読み込ませ、プログレッシブ・レゾナンスに。
それぞれ変身した姿のまま。
彼女達は笑みを浮かべながら、ただ戦いを開始する。
――そうした日々がずっと続きますように。
――そしてFDPに暮らす人々が、現実に遊びに来れる。
――そんな世界が、いつかきっと、訪れますように。
そこにいる誰もが同じ願いを抱き――六人の戦いに、熱狂した。
了