目覚めた場所は
自分は九十九任三郎。死人だ。
フル・ダイブ・プログレッシブというスーパーコンピューター上に形成された量子空間へと出向き、その世界で死んだ事により、二度と生を謳歌出来ない存在になった筈だ。
――そう、その筈なんだ。
だから、今自分がいる場所は、そうした量子空間における死者が辿り着く、天国のようなものなのだろうかと感じていた。
僅かに背中から感じる振動。自分がいつの間にかベッドの上に寝そべっていたのだと気付き、体を持ち上げる。
「……足はあるっすわぁ」
ベッドから足だけを下ろし、今立ち上がろうとするも、しかし力を入れる事が出来ずに倒れてしまう。
FDP内とも、現実世界における感覚とも僅かに違う浮遊感だが、コレがあの世における感覚なのだろうか、と邪推してしまう。
「、九十九さん!」
声が聞こえた。
女性の声だ。自分に駆け寄ってくる女性はそう多くないが、目を覚ますまで、死ぬ前に一緒にいたエリ氏やカーラ氏等とも違う声。
聞きなれた、というわけではないが、聞いたことのある声に、自分は思わず顔を上げた。
「……富山氏?」
グレイズ・コーポレーション代表取締役社長、岩田岩治の秘書を務める女性、富山裕子。
彼女はFDP内にも、ましてや死亡してもいない筈だ。何故FDP内で死んだ筈の自分と同じ世界にいるのか、それが分からずに声をあげる事も出来ずにいると、もう一人の声が聞こえた。
「……やぁ、九十九さん。目が覚めたかい?」
随分とげっそりとした様子の、古い友人が顔を見せた。
「……雄一」
「ああ……こんな状況でなければ、手放しで再開を喜んだんだけどね」
海藤雄一。彼は自分に手を伸ばし、倒れた体を引っ張って起こしてくれる。それだけで、感覚が通常よりも戻ってきた感じはするけれど、分からない事が多すぎる。
「何が、自分はFDP内で、死んだ筈じゃ」
「ああ、奇跡というより、ほとんど無理に近かったが、何とか君の肉体データを復元できた」
「復元できた?」
「君が死亡した時間、場所、状況から、君の肉体を形作っていた、拡散した量子データを一つずつ収集し、修築、再現、その後同様の肉体データが保存されているロックフォルダを見つけ出し、君の肉体データをコンバートする作業に入った。
……簡単に言ったけど、もう一度やれと言われても出来ないほどに膨大な作業量だった。数テラバイト分のデータ情報からキィボードに手打ちしたんだからね」
苦笑する彼の言葉に偽りがあるのか、自分がただ生きているという夢を見ているんじゃないか、様々な思考が入り混じっていくが、しかし次に雄一が放った言葉を受け、ここが現実なのだと受け入れる。
「君を助ける事が出来て良かった。……私に、しなければならない事があるだろう?」
そうだ。これが夢か幻か、死後に見る願望なのか、そんな事はどうでもいい。
左頬を差し出す海藤雄一の、腹部にワンパン。みぞおち近い場所に打ち込んだから、結構痛いと思いますわぁ。
「ちょ……、頬を差し出したのに腹パン!?」
「うるさいっ! 正直内臓出るまでぶん殴りたい所を我慢してるんだぞ!?」
「ま……そうだろうけどね」
お腹を押さえつつ、近くにあった椅子へ腰かけた海藤雄一に続き、自分もあまり長時間立っている事が難しいと判断し、ベッドに腰を下ろす。
「……自分は生きている。それで、例えば同じ方法で皆を救出する事は」
「勘弁してくれ、さっきも言っただろう? 現在はログイン者の体が全部ロックフォルダに収納されてしまっていて、これを復元するためにはロックされていないフォルダ階層に、同一の内容を作り出さないといけない。数テラバイトファイルのコピペすら許されないから手打ちしたんだ。二か月で終わらせたけれど」
「二か月……!? じゃあ、今はゲームが開始されて」
「六か月経過。その上現在はプレイヤーの死亡も目算に入れて行動しなければならないから、攻略難度はさらに跳ね上がるだろう。
……一応、リッカと彩斗が最強クラスのアイコンを手に入れ、問題なく使用できている事を確認しているが、もうFDP内で私がログデータを追える面々がいなくてね。まさかリリナちゃんまで情交システムを使うとは思っていなかった」
「全員に見捨てられた気分だ」と苦笑する雄一に「当たり前だ」とバッサリ切り捨てた後、近くに置いてあったコクーンへと手を伸ばす。
「待って欲しい」
「もう一度FDPに入る」
「九十九さん待ってください! 貴方は紛いなりにもこうして生き残っているんです! なのにまた、死にに行くような真似をするって言うんですか?」
コクーンを手首に巻き付け、今一度FDPにログインしようとする九十九を、雄一と裕子が止める。
「リッカ達はまだ戦ってる。大人である自分が、子供たちを守るために戦わず、誰が戦うと言うんだ」
「その戦いは、残っている彩斗やミサトさん、カーラさんやエリさんに任せる事は出来ないか?」
一台のタブレットと、分厚い紙の資料を取り出した雄一が、それを九十九へと差し出し、見る様に顎で示す。
彼に従うのは癪だったが、しかしそれが何か気になった為、紙の資料を何枚かめくって、内容を確認。
「君は、大人である自分が子供たちを守るために戦わず、誰が戦うのかと問うたね。
――ああ、私も同意見だ。だから、君には『この現実で戦って欲しい』と思ってる」
経済産業省、総務省、外務省、そしてグレイズ・コーポレーション役員、さらにはそこから関連企業の重鎮等々……
普段はアニメやゲームのコラム記事をメインに活動する記者である九十九ですら、名や活動内容が分かるほどの有名人達が顔写真付きで資料に乗せられており、雄一へと視線を向ける。
「……コレが、FDPのテストプレイを強行させたと思わしき人物か?」
「分からないから調べて欲しい。……困ったことに、まだ肉体データの回収が出来る可能性があるのに、FDPのデータを削除しろと宣う輩も何人かいてね」
「まだゲームが開始されて六か月しか経過していない現段階で!?」
「既にFDPによる救出作業報道など出していないよ。進展があれば報道するというレベルに留まっている。そこまで世論が落ち着いたから、政治家や官僚辺りから岩田が突っつかれてるんだ。今は何とか富山君の交渉で留めているが」
「しかし何故外務省まで絡んでくる?」
「このFDPのゲームデータが削除された後、マザーコクーンやトモシビの運営権利がグレイズ・コーポレーションから別の会社へ売り出される可能性があるからだろうね。
――そして、何だかんだ一番金を出しそうな所が外資企業、それも中国かロシアの国営になりそうだから、かな」
「外務省はそれを危惧していると?」
「いや、むしろ危惧しているのは経産省だ。なるべく日本企業で対処できないか、出来なかったとしてもアメリカ辺りの企業に買い取ってもらいたいと考えているだろうね」
なるほど確かに大人な話となってきた。
そして海藤雄一が現状、最も信用できるジャーナリストは、世界中のどこを探したとしても、目の前にいる九十九任三郎という男しかいない。
「色々と思惑が絡んできていて、仮にプレイヤーのログアウトが出来るようになったとしても、すぐにデータが削除される可能性も十二分に考えられる。それを今から阻止できるように動かなければ、FDPに住まうNPC達に未来は無い」
だから頼む。
そう言って頭を下げた海藤雄一の言葉を受けて。
九十九任三郎は、コクーンを置いてあった場所に、置き直した。