選択の時-06
マリアはリッカの部屋に入り、寝息を立てながら横になっているリッカに近づいて、彼の少しだけ癖のある髪の毛をサラリと流すように触れる。
寝顔は少しだけ穏やかに見えたけれど、しかし一筋、涙の痕がわかって、彼がどれだけ傷ついているか、それを再確認させられたような気分になる。
頬に触れる。
撫でるように、そっと彼の唇に、人差し指を乗せる。
おかしなものだ。
口とは話すための発声器官であるはずなのに、なぜか自分は、彼の唇と自分の唇を重ねたいと感じている。
だが、今少し気まぐれで、彼の唇と自分の唇を重ねようとしても、鼻一個分ほどの距離で何か、認識することのできない壁にも似た、力の様な物が働いて、彼と唇を重ね合わせることが、できない。
そうしている内に、人の気配に気づいたからか、リッカが目を覚ました。
「……マリア? 何してんだ」
「リリナに、謝ってこいって、言われて」
事実ではあるが、しかし正確ではない。だがそれにリッカは頷いて、今彼の眠る布団から少しだけ距離を取ったマリアに僅かだがため息をつきつつも、率先して彼が先に頭を下げた。
「今日は、オレも頭に血が昇った。悪かったと思ってる」
彼が先に謝ると思っていなかったマリアは、僅かに混乱しつつも、しかし彼に続けて、渋々といった様子ではあるが、頭を下げる。
「アタシも、ゴメン。アンタがアタシらとか、皆の為にやろうとしてんのは、わかってる。
でもね、アンタは一人で頑張り過ぎなのよ。だからアタシは心配なんだ。アンタが死なないか、アンタが死に急いでんじゃないか、そうして戦うことを、ツクモに対しての」
「やめてくれ」
マリアの言葉を遮り。
リッカは頭を下して、項垂れる。
「ツクモの事を、言わないでくれ」
「リッカ」
「ツクモは、オレが殺したようなもんだ。母さんが、FDPが殺したようなもんだ」
「違う、そうじゃない。ツクモは、アンタのせいで死んだんじゃ」
「ああ、オレはマリアの言う通り、ツクモに対しての贖罪でしか、戦ってないのかもしれない。
でも、それの何が悪い? ツクモが死んだ理由が、大なり小なりオレにあるってんなら、その罪を償う方法は、アイツの代わりに、このゲームをクリアすることに他ならない。
アイツの代わりに、オレが、全部やらなきゃいけないんだ、オレがッ!」
「そうして心を殺してまで、ツクモはアンタを戦わせたいと思う? アイツなら、絶対にリッカが苦しんでまで戦うことを望まない。
アイツ、そういう奴だったじゃん。変な言葉遣いだわ、下ネタ言うわ、なんか事あるごとに全裸になろうとするような奴だったけど、人が本当に嫌がることはしない、優しい奴だった。
海藤雄一が、他の誰が、アンタの事を裏切ったとしても、ツクモだけは、ツクモだけは、絶対にアンタの事を裏切るような奴じゃないッ!」
勢いあまって、リッカの胸倉を掴んでしまう。
けれど、彼にはそれを咎める元気すらなく、ただマリアの言葉を、浴びる様に聞き続ける。
「アタシだって、リリナだって、カーラやエリだって、アンタの事を裏切らないって言いきれる自信はあるけど、ツクモだったらもっと言えるよ!
アンタがもし間違えてたら、アイツは幻滅してアンタを裏切るんじゃなくて、アンタをぶん殴ってでも止めるような、そんな奴だった!
だから、アイツの為にって、心を殺してまで戦うことなんかやめてよッ。
アタシは、アタシはアンタが――!」
一度、言葉を止める。
この言葉を言ってしまったら、もう後戻りができないと。
頭の中で、そんな止める文句が出てきたけれど――しかしそれを振り払って、リッカを布団に押し倒し、近付けるギリギリまで顔と顔を近づけて、叫ぶ。
「アタシはアンタが好き! だから、アンタが傷つく所なんて見たくない! アンタがこれ以上、無理して戦うところだって見たくない!」
「好き……? マリアが、オレを……?」
「大好きよッ! アンタがゲーマー引退するって決めた時、アタシがどんだけ、心にパックリと穴が開いたと思ってんの!?
リリナが引退発表した時以上の虚無感が胸の中グルグルーって渦巻いて、一週間食事だってまともに取れなくて二キロも痩せた位、アンタが好きッ!」
力いっぱい、今のマリアが出せる全力を以て、彼の身体を抱きしめる。
互いに細い体だから、少しだけ骨と骨が当たるような感覚がするけれど、しかしマリアにとってはそんな感覚だって嬉しかった。
今、自分は思いの丈を本当に全部ぶつけて、リッカとこうして抱き合えているんだと分かって、それがとても嬉しかった。
「……リッカ、お願い。アンタは、これ以上戦う必要なんてない。もう、休んでいいの」
「休むって……そんな事、出来るわけ」
「アタシがアンタの分まで頑張る。アンタがいなくったって、こんなクソゲーさっさとクリアできるように頑張る。だから、アンタは自分を大切にして、少しでも、アタシの傍に、居て欲しい。
大好き……大好きだもん……っ」
マリアの告白を受けて、リッカはただ、困惑することしかできなかった。
今まで、自分に好意を寄せてくれていたなんて。
それが、友人としての感情ではなくて、ただ一人の男として、自分を愛してくれていたなんて、思ってもいなかったから。
「今すぐ返事なんかしなくていい。――でも、一つだけ、お願いがあるの」
「……なんだ?」
「バスラ農村ってさ、余ってる土地いっぱいあるんだって。だから、もうここに家建ててさ、ここに暮らしていてほしい。
アタシは、アンタが待ってるこの場所に戻ってくることを目標に、死なないように頑張れる。アンタはこれ以上頑張る必要なんかない。それでスッゲー幸せじゃん」
「でも……でもっ」
リッカの右手に取り付けられた、コクーンに軽く触れたマリア。
その表示されたメニュー画面を三回スワイプする事で表示される情交システムを起動し、自分のコクーンでも同様の操作をする事で、互いに肉体接触を行えるようにする。
驚き、何かを口にしようとするリッカの言葉を封じる様に、唇と唇を重ね、何度も何度も交わすキス。
ずっとこうしていたいと、ずっと彼の唇と、自分の唇を、重ね合わせて、愛し合っていたいと、そう感じるほどに。
「……アタシと、結婚して。リッカ」
トロンとした表情を浮かべて、そう願うマリアの言葉に。
リッカは、頷いてはいけないと、頭で理解していた。
彼女の言葉に頷くことは、もう戦いを辞める事に同意するという事だ。
それは出来ないと、オレは戦うと、そう言いたかったけど。
――再び重ねられた唇同士の体温を受けて。
彼は、頷いてしまった。