立ち止まった場所ー01
死にたい。一番最初にそう思ったのは何時の事だったか。
多分だけれど、私が一番最初に「死にたい」と真剣に考えたのは、大学生の就活時だったと記憶している。
何十社、何百社と就職活動を行って、時には圧迫面接をされ、私の精神は疲れ切っていた。
その日も、一次面接を終えた後の事。
最悪としか言いようが無かった。
人付き合いも苦手で、人前に出る事を得意としない私は、挙動不審な所を見せてしまい面接官は訝しむように見ていたように思う。
オマケに同じ大学の、普段は抗議に参加せず毎日女と遊んでいるようなチャラ男がトーク力だけで好印象を受けているように見えた事も気分を落ち込ませたし、何より面接官の態度も気に食わなかった。
面接と言う就活生にとっては一大イベントを、机に肘を付きながら「早く終わらねぇかな」みたいな太々しい態度を隠そうとしていなかった。
「死にたい」
帰りの電車を待つ間、私は一分毎にそう呟いていた。
SNSで愚痴も済ませたし何時もならば精神的にも安定して良そうなものだが、この日は普段よりも鬱屈が強かった。
まもなく電車がやってくるというアナウンスが流れ、私はふと思ってしまう。
――ここで、線路へ身を投げたら、私は就活の苦しみから逃れる事が出来る。
首を振り、スマホゲームを起動し、無理矢理精神を安定させる事でその考えを振り払う。
可愛いキャラやカッコいいキャラと戯れ、現実の事を忘れてしまおう。
そして家に帰ったら、大切にしている数多のレトロゲーが待っているんだと。
**
次に死にたいと思ったのは、恐らくだけど就職してから。
とあるシステム管理の会社に入社し、私は毎日の夜勤と残業で心身共に疲弊していた。
毎日楽しみにしていたレトロゲーをする体力も無くなるほどに。
私は何のために生きているのか、給料はそれなりに貰っていても使う機会も無ければ、上司からは「もっと遊ばなければだめだ」とダメ出しされるわ、即売会に行きたいから有給取得を願い出ると却下されるわ、じゃあ休日はあるのかと言えば月に二日あればいい方だという。
「死にたい」
また、駅のホームで呟く。既に夜勤を終えて、更に出勤ラッシュの時間帯も超えているから座って電車内にいられる事だけが救いかもしれない、と思っていたらお年寄りの集団が一両をほぼ占領していて、私は疲れながらも隣の車両へ移動し、ようやく座れたことで、ふと思いつく。
「そうだ、転職しよう」
スマホを取り出して、転職サイトを開いて適当に登録し、現在持っている資格とかを鑑みて色々と吟味する。
頭の中でこの会社に入ったらどんなだろう、楽しいかな、今よりはいい状況にいられるかな、とか考えているだけでも、だいぶ気分が晴れるようで嬉しかった。
――転職先は結局決まらなかったけど。
**
次に死にたいと思ったのは、直属の上司へ辞める事を相談した時の事だった。
「お前は人生を舐めてるんじゃないのか? そんな簡単に会社を辞めれるなら苦労はないじゃんか。
ていうか今何月だ? そう、今二月で、そろそろ繁忙期に入るんだよ。お前が辞めても代わりは確かにいるけどな、代わりの人に迷惑だと思わねぇのかよ。
言っとくけど辞表も退職願も退職届も受け取らねぇから。
あーあ、女は良いよなぁ。適当に男でも捕まえて結婚すりゃいいんだからさ。男女平等がどうとか、男尊女卑がどうとかいうけどあんなの嘘だろ?
お前みたいな舐め腐った考えの女がいるから男女平等は進まないって自覚してるか?
してねぇよなぁ。してたら会社の迷惑とか考えずに辞めたいなんて言わないもんなぁ」
私が「仕事を辞めたいと思ってます」と言っただけで、目の前の男は矢継ぎ早にそうグチグチと言葉を連ねた。
タバコなんか吸わないのにわざわざ喫煙所までついていき、そこでようやく話を聞いてもらえると思ったのに満足に聞いてもらう事も出来ず、私は「失礼しました」とだけ言って、席に戻る。
仕事なんか手につく筈が無いと思っていたけど、経験だけで手は動くものだ。
上手く脳が働いていなくても、表面を取り繕う様に仕事をする事はこんなに簡単なのかと気付いてしまう程に。
流せる涙ももう存在しない。
ただ、私は何も考える事無く、仕事を続ける。
「死にたい」
呟いた言葉は、誰にも聞かれていない。
**
次に死にたいと思ったのは、確か上司と共に課長に呼び出された時の事だった。
「松本君、重度のうつ病診断で休職申請出したよね?」
「はい」
「戸川君、健康管理は大丈夫だったカンジ?」
「申し訳ありません。普段から部下の管理には気を遣っていたのですが、彼女は何分ため込みやすいタイプだったようで……」
「そうかぁ、まぁ仕方ないよねぇ。ウチは休職に関する規約で半年間の休職が出来るんだけど、もしその間傷病手当などの手続きで必要な事があれば人事部にお願いしてね」
「松本も半年休職出来ればいいよな? しっかり身体を休めてまた頑張ろうな!」
プツンと、何かが私の中で、切れた気がした。
「ざけんなよ」
ふと、頭で考えていたわけでもない言葉が飛び出て、上司も課長も、私の言葉にギョッと表情を変える。
「ざけんなよマジでふざけんなっつーんだよクソがお前。
私入社して二日目からやっても無い事でキレられるわ三日目で何もしてないのに怒鳴られるわ四日目からは言い分すら聞いて貰えなくなるわ五日目から出勤したら毎日残業だわ殆ど休みも無いわ有給申請も通して貰えないわで鬱にならねぇはずねェだろアホかよマジで」
「お、落ち着け松本」
「お前先月私が辞めたいって相談した事に対してなんて言ったよ。言ってみろよ」
「松本、落ち着くんだ。な?」
「言ってみろっつってんだよダボがぁ――っ!!」
課長の席にあったノートパソコンの配線事引っ張り、床に叩きつけた事で、周りにいた職員も含め、全員が呆然としていた。
だが、私の言葉は、行動は、私の意志に反して止まる事は無い。
「なんだっけか? 仕事舐めてるだっけか? 女は嫁げばいいだけだから楽だとか言ったっけか? 私みたいな奴がいるから男女平等は進まねぇとか散々私の事罵倒しやがったよな? タバコ吸わない私を喫煙所にまで連れ込んで! それ鬱にならないと思ってンなら正真正銘のドアホだよなぁお前よぉっ!!」
そこで、体力の限界が来た。
ぼうっとする頭で、立っている事が億劫になったから、ぺたりとお尻をついて休んでいると、何やら周りが騒がしかったけれど、もう気にして等いられなかった。
「……辞めます」
それだけ言って、私は自分のデスクに戻り、荷物をまとめて、退社する。
何回か連絡が入ったけれど、既に休職申請を出していたから仕事をしていなくても問題はないし、退職届は後で送ればいいだけだ。
でも――あれほど大声を上げて、暴れて、それでも気分が晴れない事に、自分自身驚いている。
「死にたい」
真剣に、線路へ身を投げている自分自身を、私は特に何とも思えぬ事が恐ろしかった。
死ぬ事も、他人へ迷惑をかける事も、そもそも生きている事自体にも、関心がない事の方が、恐ろしかった。
――それから、正直な事を言えば色々あったけれど、私は心の傷を癒せたとは思っていない。
私は、何時も下を向いている。
私の心は、何時もあの、駅のホームに立っていた時のまま、変わる事は無いのだ。