【大蜘蛛】2
「くそ……本ばっかりで使えそうなものなんて何も無い」
僕は舌打ちをしながら書物を放り投げる。バチが当たりそうだけど今はそんなことを言ってる場合じゃない。
カッコ悪くても、最弱でも何でもいいんだ。ハク先輩を守らなきゃ。こんなことになったのは僕の責任だ。
「グモ!」
頭に本の角が当たったことでさらに怒らせたのか、蜘蛛が前足を上げて威嚇をする。口から吐き出される糸をかわしながら、僕は乱れる呼吸を必死に整えようとしていた。
日熊先生の指導の元で修行しているとは言え、体力の無さはどうしようもない。こんな時に親父の札があればいいのに……!
激しい筋肉痛と吐き気を引き起こすこと間違いなしだけど、あの力がまた使えたら蔵から出ることだってできるはずだ。
「ぼっ……僕はこっち、だぞ……!」
「楓くん、無理しないで……。私も頑張るから!」
僕の限界を感じ取ったのか、ハク先輩がポーチからライターを取り出して入り口にへばりついている蜘蛛の糸に翳す。
カチ、カチと音を立ててライターから火が立ち上ると、蜘蛛の糸はジュワジュワと音を立てながら炎の前に屈した。
「えへ……乙女のひみつ道具、こんな時に役に立つなんて思わなかった」
「さすがハク先輩……」
女子のポーチには何でもあるんだな、と感心しながら僕は白紙の書物に目を止めると、足元に落ちていた竹箒の細い枝を掴んでハク先輩の元に向かった。
「この枝にもライターの火をください。一かバチか、やってみます」
「えっ……う、うん!」
ゆっくり僕達の元へ近づいてくる蜘蛛を睨みながら、僕はハク先輩に木の枝を差し出す。
ハク先輩は僕の手に火がかからないように注意しながらライターの火をつけた。
木の枝にポッと火が灯り、焦げた匂いが立ち上ると、僕はそれを吹き消す。
炭化した枝の部分を、ちぎりとってきた紙に押し付けて、一筆書きで術式を書き上げる。
確か──こうだ! いつも持っている御札に書かれた文字は!
僕の書き上げる掠れた術式には力強さもへったくれもない。けれど、これでハク先輩を守らなきゃ。今、彼女を守れるのは僕しかいないんだから。
「急急如律令──煉獄炎狗!」
紙から木の枝を離した瞬間、バチバチと火花が散る。蜘蛛が怯んで後ずさった。
勢いよく周囲に炎が上がり、炎の犬が現れるはずだが……。
「か、楓くん……火が!」
ハク先輩の言葉通り、犬のシルエットを模した火はまるで力を無くしたかのように弱まっていく。
やがて、線香花火の最後のように儚い火の玉になった炎はゆっくりとその姿を消した。
「……ッ、何で……」
僕は、手の中で黒く炭化していく紙切れを強く握りしめた。
「何で……親父みたいにできないんだ」
こんな大変な時くらい、本気の力を見せろよ……僕。これじゃ大切な人だって守れない。何が陰陽師だ。何が最強の血筋だ。結局、僕には何の力もないじゃないか。
「楓くんっ!」
背後からハク先輩の悲鳴に近い声が聞こえる。大蜘蛛がハク先輩に近づこうとしているのが見えた。
僕は咄嗟に駆け出して、竹箒だったものを蜘蛛に叩きつける。
みし、と竹箒が悲鳴を上げるが、僕は構わずに竹箒を使って蜘蛛を叩いた。
「グモ──」
蜘蛛はビクともせずに僕の様子を見守っていたが、僕の出せる技がこれだけだということを理解したらしく、やにわに前足を振るって僕の体を薙ぎ払う。
「ぐっ!」
「楓くんっ!」
ハク先輩の悲鳴が遠くに聞こえて、僕は反射的に体を起こそうとする。
しかし──。
「グモ!」
再度、僕は壁に叩きつけられて高く積み上げられた本の上に倒れ込む。まるで弱い生き物をいたぶるみたいに、蜘蛛は前足で僕の体を持ち上げて崩れた本の山めがけて放り投げた。
「やめて、楓くんが死んじゃうっ!」
ハク先輩が泣きそうな声を上げる。
僕は不安定な本の上からずりおちて、床の上に倒れた。
蜘蛛はハク先輩と僕を交互に見ると、今度はハク先輩のほうに近づこうとする。
僕は、後先考えずに握っていた竹箒を蜘蛛に向かって投げつけた。
「グモ……?」
「恋する男子を舐めるなよ」
全身埃まみれで、僕はよたつきながら体を起こす。床に転がる懐中電灯が照明のように天井を照らした。
ハク先輩が小さく息を呑む音が聞こえる。蜘蛛は僕を見つめたまま体はハク先輩に向けていたのだが、やがてゆっくりと僕に向き直った。
「グモォォオ!」
完全に丸腰の僕に向かって蜘蛛が襲いかかってくる。
これでいい。ハク先輩から注意が逸れれば。
僕は何度だって立ち上がってやるさ。




