【七月の報告会】2
「全く、最近の妖怪は……」
食事の席で後ろに居るじいさんがため息をついた。妖怪なんだか陰陽師なんだか分かんないくらいくしゃくしゃな顔をして、さっきからずーっとオレに聞こえる程度の声でひそひそと言うのだ。
妖怪は人間の傀儡なのに、自分を人間だと思い込んで人間の世界に留まってるとか、位が高いと自分の立場を勘違いするんだろうとか。
陰陽師は有能なのに、妖怪はあの父親の子供だから期待できん、とか。
鬼道殿が周囲に嫌味を言われるように、オレにもたびたびそういうことがあって。
ご主人の娘に手を出したんじゃないか、なんて噂されたこともあった。ご主人の耳に入ってないのが唯一の救いだ。
どんなに妖怪の道から外れないようにいい子でいても、みんなに認めて欲しくて血のにじむような努力をしても、討伐数で誰より一番になっても、世間は『あの妖怪の子だから出来て当然』だと言う。
ハイスペックで何でも出来ちゃって親は有名人なんて、嫉妬されるのも無理ないですねぇ。
「何やクロ、便所か?」
酒で赤くなった顔のご主人が、不意に立ち上がったオレを見上げた。
「オレちょっとお花摘んできます。飲みすぎんといてくださいよ!」
ポンポンと肩を叩いてしっかりご主人に注意をしてから足早に厠に向かったオレは、頭の後ろでかたく縛った紐を解いた。外れた鳥の面を置くと、涙なのか汗なのか分からないものが滝みたいにどぱっと流れてくる。
「……お前は立派な妖怪の子やろ?」
鏡の向こうにいる子供は震える声で笑うけど、泣き止むどころか鳥の面を抱いたまましゃくりあげるだけだった。
いつになっても、この豆腐メンタルは治ららない。何を言われても平気だと思ってても、鳥の面を外すとそこには泣き虫な自分がいる。泣かずに耐えられるだけ、鬼道殿は立派だ。
ずっとそのままでいるのも気持ち悪いから、すぐに冷水で顔を洗う。
鏡に映った醜い顔は、泣きすぎて鼻も目も赤くなってる。ま、鳥の面を被れば誰にも見えないんですけど。ご主人に心配かけるのだけはごめんだ。
身なりを整えて廊下に出ると、離れから誰かが出てきたのが見えた。古御門家のお偉いさんの娘だ。一緒に出てきた子供は誰だろう。
真っ白の長い髪に赤い瞳。ちっちゃくて、細くて、何だか誰かに似てる。
「鬼道殿……?」
そう呟いた時、誰かがオレの後ろに立っている気配がした。振り返ると、そこに居たのは眼鏡をかけた銀髪の男。男の髪には大きな銀色の獣耳が生えていて、ひと目で妖怪だと分かった。男は、オレのつま先から頭のてっぺんまでをしげしげと見下ろしている。天狗の身長サバ読み兵器、一本歯の下駄(なんと六・六寸もある。どんなおチビさんでも二十センチは伸ばせるのだ)がないせいで見下ろされると変な感じだ。
「えっと?」
「すみません、天狗様を見るのは初めてだったもので」
男はそう言って人の良さそうな笑みを見せる。
「父君は鬼を退治した生きる伝説。由緒正しい天狗一族の正当な後継者でありながら、人間の世界で暮らす大妖怪……黒丸様」
陰陽師ではご主人と古御門泰親しか知らないはずのオレの本名を、男は何故か知っていた。
「小田原牛蒡様の式神として、実に三十年以上関西で活躍していらっしゃると古御門先生に伺いました。大妖怪様にお会いできて光栄です」
……なるほどね。この男は古御門家の関係者ってことですか。
男は一方的に捲し立てるとオレの視線の先にある白髪の少年を見た。
「あちらにいらっしゃるのは古御門ゆり様の長男、古御門キイチ様ですよ」
古御門泰親に孫が居たなんて初耳だ。オレが声を上げるよりも前に、男はまるでオレの心を読んだかのように説明する。
「キイチ様は体が弱い方なので、滅多に公の場には出ないんですよ。ですが最近はリハビリを兼ねて、お散歩をされているようです」
視線の先で、古御門キイチはゆっくりと一歩一歩踏みしめながら使用人らしき男の手を借りて歩いている。
やっぱりその横顔は鬼道殿によく似ていた。
「似ていますか? 鬼道家の当主に」
一度どころか二度までも男はオレの思考を先読みする。心を読まれたみたいで良い気はしない。
男は眼鏡のブリッジを押さえて言った。
「ここだけの話、古御門ゆりの姉君は──」
「キョーヤさん、喋りすぎっスよ」
男の話を遮るように、彼の後方に控えている陰陽師(多分そう)が口を挟んだ。
男は目を丸くすると、人の良さそうな──それでいて少し不気味な笑みを見せる。
「これは失礼……私はどうも口が軽くて。そうそう、キイチ様のことは近いうちに公開されるそうですよ? 早ければ九月にでも──」
男はそう言ってわざとらしく口に手を当てた。
「ネタバレどーも。聞かなかったことにしておいたほうがええですか?」
「お気遣い感謝いたします、烏天狗様」
男はそう言ってニコニコ笑うと、後方に控えていた陰陽師に声をかける。
「では行きましょうか」
そう声をかけられた陰陽師は面倒くさそうに返事をする。陰陽師にも色々居るんだなあ、とても陰陽師には見えないんだケド。
陰陽師は通り過ぎる瞬間、オレを一瞥して言った。
「天狗ってさ、みんなこんなもの付けてんの?」
「あはは、被ってみます〜?」
いつもの調子でおどけて言ってみる。陰陽師は鼻で笑って鳥の面についた嘴を掴んだ。
「……どっちかって言うと、オレは中身の方に興味あるっスね」
陰陽師は、オレを見てぺろっとと舌なめずりをした。嘴を離した手がオレの顎を掴んで、あれよあれよと言う間にそいつの顔が近づく。
「オレとセックスする時はこのお面取ってよ」
オレにしか聞こえないくらいの小さな声で陰陽師が言った。言われたことの意味が理解できなくて思考が停止する。
「へ……」
「アハッ」
かろうじてそれだけを口にした時、陰陽師は不敵に笑って手を離した。
蜂蜜色の髪を揺らしながら男の後を追いかけていく。男は大きくてふさふさとした銀色のしっぽを大きく揺らした。
……変だ。あの眼鏡、妖気がこれっぽっちも感じられなかった。妖怪には妖怪特有の匂いがある。人間はそれを妖気と呼んで、敵の気配を探ったりするんだけど……あの眼鏡からはそれが感じられなかった。あの耳としっぽ、どう見ても妖怪なのに。むしろどっちかというと陰陽師のほうが妖怪っぽいような……? ううん、長いこと人間と一緒に居るからって方言がうつるどころかすっかり人間に染まってきてない?
「烏天狗」
鬼道殿が声をかけてきた。食事の席から逃げてきたんかな? 鬼道殿は、振り返ったオレを見て言いづらそうに目を逸らす。
「お、小田原さんが変な酔い方してて……怒ったと思ったら急に泣き出すし、手に負えないんだ。だから……お前を探しに来た、んだけど」
ご主人ってば……。
オレは鳥の面の下で苦笑した。まあ、きぃちゃんの事で酒に逃げて泣きたくなる気持ちは分かる。
「そーですか……すみません、長居しちゃって。良ければオレ、ご主人連れて別の席に移動するんで……」
「いや……もう、帰るよ。バスの時間もあるし」
鬼道殿は歯切れ悪く言った。きっとご主人に色々嫌味を言われたんだろう。
どうしてうちの人は鬼道殿を怖がらせるかねぇ。……きぃちゃんとそんなに年は変わらないのにさ。
「鬼道殿って東妖高校でしたっけ?」
「あ、ああ……」
「やっぱり! ご主人の一人娘も東妖高校に通っとるんです。色々あって、ご主人とは離れて暮らしてるんですケドね」
鬼道殿は居心地悪そうな顔でオレの話を聞いている。
「オレが言えた義理じゃないのは百も承知なんですケド……もし娘さんに会ったら、友達になってあげてくれませんか?」
「……わ、わかった」
鬼道殿が、どこを見ていいか分からないと言ったように赤い瞳を揺らしている。オレは、鬼道殿の後ろで眠そうにしている姫の頭を撫でた。
「次の報告会は九月でしたよねー? 夏休みは岡山行くんで、鬼道殿にもお土産買ってきますよ! きびだんごとかどうです? オレ食べたことないんですよーきびだんご。鳥はここに居るから、猿と犬見つけて鬼ヶ島探してこようかなーなんて」
そう言って明るくおどけるけど、鬼道殿の表情は険しいまま。そんなに眉間に皺を寄せてたら頭が痛くなりそうだなぁ、なんて考えていると、鬼道殿がぼそっと呟いた。
「冥鬼が常夜の国の姫だからって、僕にまで気を遣わなくて良いだろ」
鬼道殿は姫の手を引いて顔を背ける。咄嗟に否定しようとするけど……ああ、でも……さすがにしつこいって? オレが仲良くしたいって思っても相手はそう思ってないって? だけど放っておけない性格なんだよ。お喋りが大好きな鳥なんでね。
「……また、九月に」
背を向けたままの鬼道殿が、とっても小さな声で呟いた。ちらりとオレを見たその横顔は、古御門少年によく似てる。
『古御門キイチの母、古御門ゆりの姉君は……』
あの時、男が言いかけた台詞が不意に脳裏を過ぎった。
一体何を言いかけたのか、この時のオレは何も知らなかった。




