【二口女】1
「おにーちゃん!」
最寄り駅に着いた僕を出迎えてくれたのは、かわいらしく着替えた冥鬼だった。桃色のワンピースを身に纏い、赤いエナメルの靴を履いている。きっとその靴が履きたくてわざわざ外に出てきたんだろう。
「どうしたんだ、その格好。親父に買ってもらったのか?」
「えへへ……うん!」
冥鬼は嬉しそうにくるんと一回転してみせる。勢いよく回転したせいでうさぎのプリントされたぱんつが丸見えだ。
彼女はすぐに両手を伸ばして甘えたようにだっこをせがむ。
「おにーちゃん、メイさみしかった!」
ねだられるままに抱き上げてやると、冥鬼は嬉しそうな声を上げて僕の首筋に顔を埋めた。
僕は、髪を優しく撫でて冥鬼の機嫌を取る。
「ずっと家の中で退屈だったよな。そうだ、せっかく駅まで来てくれたことだし、電車……乗らないか? 散歩に行こう」
パトロールも兼ねて、と心の中で付け足しつつ冥鬼へ提案すると、彼女は緋色の瞳を丸くしてすぐに笑顔を見せた。
「のるっ! おにーちゃんとおでかけっ!」
冥鬼は嬉しそうに目をキラキラさせて僕に抱きついてくる。
僕はすぐに来た道を戻って、冥鬼の分の切符を買ってから再びホームの前に立った。
やがて停車した電車へ乗り込んだ僕は、冥鬼と共に空いている座席へと腰掛ける。なかなか乗ることのない電車に乗れて嬉しいらしく、冥鬼は嬉しそうに車窓から流れる景色を眺めていた。
「はやーい!」
「冥鬼、行儀が悪いだろ。ちゃんと座れ」
座席に膝をついて車窓を眺めている冥鬼のスカートはめくれ上がり、ぱんつが丸見えになっていた。
さりげなくスカートの裾を摘んで隠してやるが、冥鬼はそんなこと気にもせず楽しそうに足をバタバタさせてはしゃいでいる。
そんなに嬉しいものなんだろうか……と思いながら僕は苦笑して、先程とは反対向きに流れる景色に目を向けた。
やがて、電車は一駅先で停車する。駅の名前は、鬼ヶ島──ハク先輩の最寄り駅。不審者の目撃された場所だ。
「……さ、降りようか。冥鬼、おいで」
「だっこがいーい。……ダメ?」
手を伸ばして声をかけると、冥鬼は唇を尖らせて甘えたように僕の許可を取ろうとする。
最強の鬼神……とは言っても、本当にこの姿の冥鬼は子供そのものだ。僕は彼女にねだられるまま、幼い体を抱き上げた。
「さて、と──」
僕達が降りた鬼ヶ島駅は、夕方だというのにホームに誰もいやしない。切符もここに入れてくださいとばかりに箱が置かれているだけだ。
僕達は改札を抜けて、普段訪れることのない隣町の地を踏む。
不審者が本当に妖怪なのかどうか──その真偽を確かめないといけない。それもなるべく今日中に。
もしハク先輩に何かあったら、僕は一生後悔する。
「おにーちゃん、メイもあるくぅ」
冥鬼が、耳元で甘えた声を上げる。だっこと言ったり歩くと言ったり忙しい奴だな。
望み通りに彼女の体を下ろすと、冥鬼は楽しそうにスキップを始めた。
「冥鬼、あんまり遠くに行くなよ」
冥鬼は、どうやら元気が有り余っているらしい。スキップをしながらどんどん僕から離れていく。僕は後に続きながら冥鬼を注意した。
駅を出て目に入るのは、どこまでも続く田園風景。いわゆる見渡す限りの田舎だ。
そんなだだっ広い田畑の先に、一人の女性が立っている。夕陽の逆光で顔は見えないが、その女性は冥鬼に何かを尋ねているようだった。
「えへへ……うん! おにーちゃんとおさんぽちゅう!」
鈴が転がるような冥鬼の声は、少し離れた僕にもよく届く。きっと世間話をしているんだろう。
僕は自然と笑みが零れて、女性に挨拶をしようと口を開きかけた。
その時だ。
「おねーちゃん、なんでおくちがふたつあるの?」
冥鬼の屈託のない質問。
夕陽の逆光で、顔の見えない女性の姿が僅かに揺らいだように見えた。
まるで、夏の陽炎みたいに。
背筋に、ぞわぞわとした感覚が走る。陰陽師になって日の浅い僕ですらわかるぞ。これは──妖気だ。
「戻れ、冥鬼ッ!」
僕が慌てて声を上げると、思いのほか大きな声にびっくりしたらしい冥鬼が小さな悲鳴を上げて僕に振り返る。
そして、恐る恐る僕と女を交互に見つめると、少し迷うような仕草を見せてから、泣きそうな顔で駆け寄ってきた。
「ふぇっ……おにーちゃん?」
「急に大声を出してごめんな、冥鬼」
足にしがみつくなり、泣きそうな顔で僕を見つめてくる冥鬼に謝罪をして、僕は彼女の頭を撫でる。叱られると思ったのか、冥鬼はホッとした様子だ。
女性は、涼しげに日傘を回しながら僕たちに背を向けていた。長い黒髪を腰まで伸ばし、不自然なほど俯いている。
「不審者……いいや、怪異はお前だな」
僕はそう言って、ズボンのポケットから霊符を取り出す。
「その子、どうして私に気づいたの?」
穏やかな声色で女が問いかける。日傘で夕陽を防いだその後ろ姿。
ゆっくりと片手で髪をかき分けた彼女の後頭部には──大きな口があった。歯がびっしりと並んでおり、分厚い唇までついている。大きな口からはよだれが垂れ、まるで獲物を欲しがるように舌を伸ばしていた。
「彼女が僕の式神だからだ」
僕の言葉に、後頭部についた口がゆっくりと動く。その唇が、ニタリと笑ったように見えた。
「そう。あなた、陰陽師ね……?」
それは、まるで獲物を見つけたかのように。