【七月の報告会】1
それは、遠い昔の物語だ。
昔、京に鬼が現れて姫をさらった。
これを退治したのは一人の陰陽師と、一匹の天狗。
天狗と姫は恋に落ちた。
けれど、二人の間にできた子供は帝に取り上げられ処分されてしまう。
陰陽師は行方不明となり、天狗もその姿を消した。悲しみのあまり姫は床に伏せるようになり、その内衰弱して亡くなってしまうのだった。
「……やっぱそうなりますよねぇ」
オレは、分厚い紙束を捲りながら呟いた。
隣で唐揚げ弁当を食べているご主人がオレを横目で見る。
「まだ続きあるやろ。勝手に終わらすな」
ご主人の浮腫んだ指がコピー用紙を捲った。
ここまでが一般的な伝説であるが、地元の人間はこう話している。
二人の間に出来た子供は密かに逃げ延び、獣鳴の山奥で今も眠りについている……と。
「何ですかー、けもめいって?」
「それはシシナルって読むんや。昔は別の呼び方もあったらしいけどな……」
なんて言ったかな、とボヤきながらご主人は唐揚げを頬張った。
「この土地には複数の龍穴があってな……それがどれも神社やねん。地主の鳥飼って奴いわく、ここで昔神様殺しがあったとか言うてな……」
「こわーっ! ゆっ、幽霊!?」
「妖怪やんお前」
冷静にご主人がツッコミを入れてくる。だけど、怖いモンは怖い。幽霊と妖怪は違うし。
オレは、膝の上に広げたままの紙束を見て唇を尖らせるのだった。
「獣鳴の、山奥……」
ぽつんと呟く。長いこと人間の世界で生きてきたけど、聞いたことも無い地名だ。こんなところに、会ったこともないオレの兄弟が眠ってるなんて、半信半疑だけど……。
「お前の父ちゃんが残した子供のこと……気になってんやろ?」
ご主人がガシガシとオレの頭を撫でる。オレは、ふざけるのを止めて小さく頷いた。
長旅のお供に読み始めたそれは、ご主人からのプレゼントだった。オレのご主人は結構マメな人で、一度調べ出すと止まらなくなる。それがお喋りなオレの口から出た小さな疑問でもお構いなしで調べてくれちゃうのだ。……でも、こんなに分厚い紙の束で渡してくれるとは思わなかった。普通データでやりとりするでしょー。でも、ご主人の優しさがこの厚みに詰まってるみたいでちょっと嬉しかったり。
オレはコピー用紙を捲って、山に囲まれたのどかな山の写真を眺めた。
獣鳴って場所は、オレが暮らしてた山に似てる。コンビニあんのかな? なんて、そんなことを考えてると、ご主人が横から言った。
「今度の夏休み、きぃちゃんも連れて行ってみぃへんか? そこ」
「え、夏休みは妖怪が活性化するさかい討伐数を稼ぐチャンスかて毎年言うてるやないですか」
「お前、何でもかんでも討伐数討伐数ってなぁ……誰に似たん?」
そりゃ目の前のあなたでしょと言おうとしたけど、それよりも先にご主人が放った言葉を聞いたオレは何も言えなくなってしまうのだった。
「最近旅行してへんやん。きぃちゃん、夏休み入るし……勉強勉強で疲れも溜まっとる。きぃちゃんのためや思て、お前も一緒に来んかい」
強い口調で言いながらもそのお願いは切実だ。
「……こういう時しか会われへんもんね」
「せや。ちょうどええねん。夏休みはきぃちゃん連れて旅行! 決まりやな」
あなたが子供みたいに笑うから、オレもつられて笑った。
小田原牛蒡。それがオレのご主人の名前。他人に厳しくて怒りっぽくて、よう喋るでしょ? だから式神のオレも多少図々しくないとアカンのですよ。
「そこのキレーなおねーさん、烏龍茶とビールくださいな」
オレはコピー用紙を捲りながら、車内販売のおねーさんを呼び止める。おねーさんは嬉しそうな顔で振り返った。
「こらクロ!」
「ええやないですか、どうせまだ着かへんし。お医者様もたしなむ程度ならオッケーって言うとったもん」
「……それもそーやな。がはは!」
ご主人は高らかに笑いながら、おねーさんからよく冷えたビールを受け取った。
移動代も宿泊費も古御門家持ち。金持ちは羽振りがええですよね、なんて話しながらオレたちは新幹線での移動を終えて、ビジネスホテルに入るのだ。
着替えが入った荷物を部屋に置いて、ふっかふかのベッドを堪能する間もなく目指すは上結駅。
新幹線での移動中に例の格好はさすがに不審者丸出しなんで、半袖シャツに快適なハーフパンツ、なんてラフな格好をしてるけど、それでも夏のカントーは暑かった。
「それホンマに着けるん? 熱中症になるで」
荷物を引っ張り出して正装に着替えるオレをご主人が呆れた目で見ている。そう言われても、これは由緒正しい烏天狗の正装。ちなみに鳥の面も込みですよ。
「飛ぶのやめてタクってきましょーよ。どうせ古御門サンが払ってくれるやん? オレ暑いですもん。ねーねー、タクシー!」
「ピーピーうっさいなホンマ……」
そんなこと言って、飛んだら飛んだで暑いだの下ろせだのって言うくせに。ホテルから出てすぐタクシーに乗り込んだオレたちは、古御門家前まで束の間の快適な時間を過ごした。
車から降りた後が地獄みたいな暑さなんだけどね……。
「あ、てんちゃんだー!」
オレたちと同じく一番乗りで古御門家までやってきたのは常夜の姫と鬼道家当主だった。ちなみに、てんちゃんってのは天狗の『てん』だそうだ。直接聞いたことないけど、多分そう。
オレは常夜の国にお世話になったことはないケド、オレら妖怪が畏怖する対象であることはその赤い二本の角を見れば分かる。父が倒したっていう鬼もこんなかわいかったのな?
「やっほー姫! 元気してました?」
「えへへ、げんきー!」
オレは小さな姫とハイタッチした。こんなことが出来るのもオレのコミュ力のなせる技……もとい、オレが常夜の国から逸脱した存在だから。先輩妖怪には無礼だとか距離が近いって叱られたりしますケド。
「……どうも」
案の定、ご主人を見た鬼道殿の表情が強ばる。
この暑さじゃご主人も嫌味を言う力はないから安心してええですよーってアイコンタクトを送るけど……オレってば鳥の面をつけてるんだし分かるわけないか。
だから両手を振って分かりやすく挨拶した。
「どーもどーも、毎度暑いですねぇ。一気に夏が来たって感じ! 鬼道殿は夏お好きです? オレはこう見えて割と好きなほうですよー、意外でしょ? よく言われるー!」
「……そうだな」
鬼道殿がテンション低く目をそらす。
あら、機嫌悪いんかな? だいぶ仲良くなれたと思ったんだけど……いやはや、年頃の男の子って分からないね。
「メイもなつだいすき! アイスたべられるから」
「あはっ、わかる! さすが姫! ホテルでラムネ買ったんですけど飲みます?」
「のむー!」
両手をいっぱいに挙げて姫が主張してくるのがかわいいやら微笑ましいやらで、オレはコンビニ袋からラムネの瓶を出して姫に渡した。鬼道殿が姫を叱ろうとしたけど、姫はケロッとした顔で『あけて!』とねだっている。
「鬼道殿もどうぞ?」
「いや……僕はいい」
鬼道殿がご主人に気を遣うようにかぶりを振った。もしかして炭酸が無理なタイプ?
「おにーちゃんシュワシュワのめるよ」
「おい、余計なこと言うな」
姫の一言を鬼道殿が小声で叱りつける。もちろん姫はケロッとしてるけど。
オレはすかさず、よく冷えたラムネの瓶を鬼道殿に握らせるのだった。
前回同様、古御門のお偉いサンはその姿を見せない。
今月もまた、ご主人による鬼道殿へのキッツイ激励を注意する仕事が始まる。




