【蛇の恩返し】1
「そんなに悠長に話してていいのかしら」
椿女が呆れたようにため息をつく。
聞き間違いかな、どこからか水の音が聞こえるのだが……。
「ちょっ、何か足元が濡れてるぞ!?」
葵の声で視線を落とすと、パイプを伝ってちょろちょろと水が流れ込んでいるのがわかった。
僕たちが元来た道の先にはプールがあるはずだろ? 水が流れ込んでくるなんてありえない。……ありえない、よな?
「……あたしたち、ハメられたのかも」
椿女が呟く。その顔は冗談を言っているようには見えない。
「は、ハメられたって何だよ?」
「この子を使って此処に誘い込んだ犯人にハメられたのかもってこと。何らかの方法で出入口を塞いで水を注いでしまえば簡単に殺せるでしょ? よく考えたわね」
「は……犯人、って……」
伊南さんが青い顔で身震いしている。犯人……おそらく蛟の寝床を破壊し、葵と伊南さんを襲わせた奴だ。
「雨福さん……」
「あいやぁ、ワタシは腹ぺこでもう一歩も動けないアルヨ。蛇のステーキを食べれば元気百倍でみんなを連れて脱出することができるアル」
「ミズチ、あたしのためにステーキになりなさい」
「無理です姫ーっ!」
そうこう騒いでいる間にどんどん水位は増していき、身長の小さな椿女は雨福さんに抱き抱えてもらわないと溺れかけてしまうほどになっている。
既に腹の辺りまで迫った水位は勢いを増し、僕たちの体を押し流そうとしていた。
「くそっ……! どうしたらいい!?」
「ミズチ、あんた……そろそろ頃合じゃないの?」
ふと、椿女が声を上げる。椿女の腕に巻きついていた白蛇がキョトンとした顔で彼女を見上げた。
「そ、そろそろとは何でございましょう? 儂は何も出来ぬただの蛇……」
「あんた、いつまで蛇の気分でいるつもり?」
椿女はため息をついてミズチの体をむしりとる。ミズチは四本の足をばたつかせて嫌がった。
「千年前、あんたはただの蛇だった。どうしてあんたがあの寝床を澄真に作らせたのか思い出しなさい」
「ちょ、姫!? 何を仰って……!」
椿女は最後まで言わせず、乱暴にミズチの体を水の中にぶちこむ。
小さな体のミズチは呆気なく水の勢いに負けて流されてしまった。
「お、おい! 何てこと……」
「コイツが何で千年も眠ってたと思う?」
椿女は雨福さんの肩の上に腰掛けて高圧的に尋ねた。
「あんた、さっき言ったわよね……蛇は五百年生きると蛟って言う妖怪になるって。蛟がさらに五百年生きると……どうなるかしら?」
「あ……」
僕が小さな声を上げると、地の底から響くような轟音が聞こえた。
渦を巻いた水の中で、巨大な何かが大きく口を開ける。
(龍だ……)
あんな奴に飲み込まれたらひとたまりもないな。
そんなことを思ったのを最後に、僕達は巨大な龍の口へと吸い込まれていった。




