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最弱陰陽師は、自分にかけた呪いとまだ向き合えていない  作者: ふみよ
1部

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【蛟】1

 空っぽのプールに入った僕達は、壊れた排水溝へと近づいた。

 プールの壁には蓋のようなものがあって、恐らく伊南さんが目撃した蛇はそこから入ってきたんだろう……格子状になった蓋が剥がされており、中は空洞のようになっていた。

 暗くてよく見えないし、塩素の匂いがキツい。


「あんたが先に行きなさい。私は後ろからついていくわ」

「……お前が先頭じゃないのか?」


 てっきり、椿女、伊南さん、僕という順番で歩くものだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。椿女は『はあ?』と言ってその辺のゴミでも見るような目で僕を睨んだ。


「男なら女性を守るものでしょ。伊南さんは私の後ろでいいからね」

「で、でも先輩……!」


 伊南さんはモップを握ったまま声を上げる。これが僕相手なら、椿女は口答えするなと言わんばかりに腹パンをキメてくるところだが……。


「私の後ろ、守ってもらえる?」

「り、了解ですっ!」


 伊南さんは即答した。何なんだ、この扱いの差は……。

 僕は椿女に背中を押され、しぶしぶ排水溝の中を潜った。パイプの中は狭くて暗い上に、足元がぬるぬると滑る。一体どこまで続いているのか、ちらりと後ろを見ると椿女が僕の後をついてきているのがシルエットで分かった。

 ものすごく、心細いんだが……。


「いたっ」


 僕はふと、足の裏に尖ったものが触れてしまい小さな声を上げる。何かが靴を貫通して皮膚にに刺さったようだ。


「何やってるのよ、鈍臭いわね」


 椿女がため息をついて自分の簪を一本抜き取る。簪の先についた椿の花がぼんやりと光り始め、まるで懐中電灯のように辺りを照らした。

 その明かりによって、僕の足に刺さったものもよく見える。


「う……」


 靴を脱いで破片を抜き取ると、足の指から小さな鮮血が溢れた。

 ガラスのように見えたそれはどこかで見たことがあるような形をしているが、よくよく見ると足元にいっぱい散らばっているようだ。壁にこびりついているものが多いけど、何かが擦ったような跡が残っている。

 散らばった無数の破片を見つめていた僕は、見覚えのある『それ』の正体に気づいた。


「もしかして、蛇の鱗……なのか?」

「みたいね。足元に気をつけて歩きなさい」


 僕は抜き取った鱗を手放すと、再びパイプの内側を歩き始める。

 曲がりくねったパイプはどこまでも続いていたが、やがてずいぶん開けた空間に出た。

 そこも無数の鱗が散らばり、歩くだけでぬるぬるとしていたがそんなことよりも濃い妖気か辺りに満ちているほうが気になる。何かが近くにいるはずだ。


「ァウゥ、ウ……」


 ふと、頭上から声が聞こえる。

 慌てて顔を上げると、そこには巨大な口を開けた蛇がいた。

 とぐろを巻いたその体は、僕達を囲むようにうねっている。


「な……!」


 あまりの大きさに圧倒されている僕のことなどお構い無しで蛇がゆっくりと身動きした。そのたびに鱗が壁に擦れて剥げていく。

 その巨大な姿、額にはツノが生え、たてがみが生えていて。蛇の体から伸びた、どっしりとした手足。

 それらには見覚えがあった。と言っても本で見たことがあるだけだが……。


「その姿……(みずち)──だな」

「み、ミズチって何……?」


 伊南さんが困惑気味に化け物を見上げる。


「蛇は五百年生きると蛟っていう妖怪になるんだ。……僕も見たのは初めてだけど」


 長い舌をチロチロさせながら僕たちを見下ろしている。


「何でこんなところに妖怪なんて……」


 伊南さんが小さく呟く。

 その疑問は僕にもあった。こんなに巨大な妖怪が、どうして学校のプールなんかに。


「葵を襲ったのはお前か?」

「アアァ……」


 僕の問いかけに、ミズチは呻き声を上げながら大きく口を開けて見せる。

 奴の口の奥に見えたのは、間違いなく人の腕だった。


「葵ッ!」


 伊南さんが声を上げる。僅かに口の奥で腕が動く。

 よかった……葵は生きてる。

 僕はポケットから札を取り出すと、巨大な蛟を見据える。


「友達を、返してもらうぞ……」


 僕は札を持ち替えて蛟へと突き出した。


「急急如律令──紅蓮炎舞!」


 ■その言葉と共に、僕の周囲に炎の風が巻き起こる。

高価な御札のおかげで、炎の威力はすさまじいものだった。


「シャアアアッ!」


 蛟は少し怯むように身じろぎをして見せたが、大きな胴体を後ろ足で支えながら前足を振りかぶる。水を含んだ蛟の前足から、水で出来た鋭い刃が襲いかかってきた。

 僕の身を守る炎が次々に刃を蒸発させていくが、蛟はそんなことお構い無しに僕を威嚇するように咆哮する。全身を震わせる蛟の威嚇に合わせて、無数の鱗が僕達に降り注いだ。

 慌てて炎で防ぐけれど、その中のいくつかは炎を貫通して僕の膝や腕に突き刺さり鋭い痛みを与えてくる。


「ぐっ……やっぱり、僕じゃダメだ。冥鬼を連れてこないと……」

「はあ?」


 椿女の心底呆れたようなため息が聞こえる。

 何も手助けをすることなく僕の後ろに居る彼女は、蛟を見上げたまま言った。


「あんたがやるのよ、陰陽師でしょ」

「……で、できるわけないだろ。僕に出来ることなんて御札で身を守ることくらいしか──」


 そこまで言いかけた僕だったが、すぐに椿女に睨まれる。


「甘ったれてる時間なんかあんたにあると思ってんの?」


 椿女は僕の背中をどつくと、小さな指が蛟を指した。


「蛟の粘膜には毒があるの。早く助けないとあの子、本当に死ぬわよ」

「──ッ!」


 椿女の言葉に、僕の背筋に冷たいものが流れた。葵が死ぬ……?


「楓くんがやらないなら、私がやる……!」

「だ、だめだ伊南さん!」


 伊南さんがモップを手にしたまま踏み出そうとする。

 僕は慌てて伊南さんを押し留めた。


「何で止めるの!? 早く葵を助けなきゃ、アイツ死んじゃうかもしれないんだよっ!?」


 伊南さんが涙目で叫んだ。

 いくら陰陽師と言っても僕は弱くて、力もない……最弱陰陽師だ。あんな妖怪と戦うことなんてできない。けれど、一般人の伊南さんを戦わせるなんて、もっとダメだ。

 考えてばかりの僕を嘲笑うかのように蛟が吠えた。

しかし、その吠え方は少し妙だ。まるで何かに怯えるような吠え方。獣が理性を失ったようなものとはまた違っていて……。


「ガアアアァッ!!」


 蛟が大きな体を震わせて鋭いナイフのように尖った鱗の雨を辺り一面に注ぐ。

 いくら古御門家の御札と言えど、炎の壁で防ぐにも限界がある。そして何より、御札を使うためには多少なりとも術者の集中力が大事なのだ。


「うわッ!」


 炎の勢いが弱まった頃合いを狙ったのか、蛟が長いしっぽを大きく振るう。

 それを慌てて避けたせいでぬるつく地面に足を取られた僕は、その場に倒れ込んだ。尖った鱗が服を貫通してチクチクする。

 何とか立ち上がろうとするが、ねっとりとしたしっぽが僕の頭上に迫ってきた。僕を押しつぶす気だ。

咄嗟に御札を取り出そうとポケットに手を突っ込むが、それよりも蛟のほうが早かった。目と鼻の先に蛟の体がある。

 まずい──このままだと……。


(やられる──!)

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