【転校生と青蛙】3
「え、っと……もう一度いいかな?」
僕は間抜けに聞き返してしまう。水流さんは袖を掴んだ手を小さく震わせながらもう一度答えた。
「そのカエルは……神様、なの……足が三本、ある……でしょ……?」
水流さんの言う通り、カエルの姿はどこか変だった。前足が二本に、後ろ足が二本──あるはずの部分には何故か足が一本だけ生えている。
「いや、まさかそんな」
僕は、水流さんの発言を否定するようにかぶりを振って水槽の縁に手をついてこちらを見つめている蛙を注意深く見つめ返す。しかし、見れば見るほどその姿は僕の知っているある妖怪の姿に似ていた。
いや、妖怪と言うよりも霊獣と呼んだ方がいいかもしれない。
「青蛙神──か?」
「ケロ」
僕が呟くと、蛙はまるでその問いかけに応えるようにひと鳴きした。
青蛙神は天災を予知する力を持った霊獣だ。彼を見ると幸せが訪れるなんて言われている。だがまさか、かの霊獣青蛙神がこんな寂れた店の水槽で優雅に泳いでいるはずがない。……ない、よな?
「やっぱり……楓くん、すごい……。見ただけで……わかるん、だ」
水流さんは、どこか惚けたような顔で僕を見ている。な、何か照れくさいな……。
「いや、それを言うなら水流さんこそ……どうしてこの蛙が神様だって分かったんだ?」
「わたしは、カエルが好きな……だけ」
水流さんは遠慮がちに手を離すと俯きがちに微笑んだ。なんというか、ミステリアスな子だよな。透き通るように白い肌もだけど……こんなに暑い外に居たにも関わらず、水流さんの肌は白いままだ。
「あ、のね……楓くん。わたし、考えたんだけど……」
水流さんは、おずおずと僕を見上げて言った。
「楓くんの迷惑じゃなかったら……オカルト研究部、入って……みたい……」
「も、もちろん歓迎する! ありがとう、水流さん」
僕が思わず力いっぱい頷くと、水流さんは白い肌を耳まで赤く染めて俯いてしまう。
いけないことを言ったわけじゃないのに僕まで照れくさくなってしまって、手持ち無沙汰になった僕は山積みになった水着を何となく手に取った。それは小さい子供用の水着だ。
ふと、僕の頭の中に冥鬼の姿がよぎる。
「水流さん」
「……?」
「もしよければでいいんだけど……小さい女の子用の水着、一緒に選んでくれないか? 親戚の子なんだけど、水着欲しがっててさ」
ダメ元でそう頼んでみると、水流さんは白い肌を赤らめたまま俯いていたけれど、やがてコクンと頷いてくれた。
ほどなくして思い思いの水着を選んだ僕達は、会計を済ませて店内で涼んでいた。
時刻は午後六時を回ったところだが、店長の雨福さんが気を利かせてお茶菓子を出してくれたものだから長居してしまう。
「あー、本当居心地良いわ。お菓子も美味しいし」
「お茶おかわりー!」
遠慮という言葉を知らない葵が元気よくコップを差し出す。
そのたびに雨福さんが大きな巨体を揺らしながらお茶のお代わりを持ってきてくれた。
「どうしてこんなところでお店をやっているんですか? ここは商店街でもないし……」
そう尋ねたのは伊南さんだ。
雨福さんの店はどちらかというと寂れている。とても儲かっているようには見えない。
「ワタシ、自分の店を持つのが夢だったアル。守り神様と二人で仲良く暮らしている今がとっても幸せアル」
「守り神……?」
辺りを見回してもそこには売り物の服があるだけだ。
「どこ見てるアルか。守り神様はそこにいるデショ」
雨福さんが指したのは、さっきからずっと僕たちのことを見ている小さな生き物。
「そのカエルはただのカエルじゃないアル。青蛙神っていう名前の神様ネ」
「せいあじん……?」
「中国の伝承に出てくる霊獣の名前だよ。青蛙神を見た家には幸福が訪れると言われてる」
麦茶を飲む手を止めて説明すると、不思議そうに首を傾げていた葵は納得したように頷いた。
「さっすがオカルト研究部員!詳しいな! ……つまりそのカエルは福の神ってこと?」
「そゆことネ」
雨福さんはニッコリ笑った。僕たちをじっと見つめているカエルも、まるで返事をするみたいに喉を鳴らす。
「……神様、楽しそう」
水流さんがカエルを見つめて小さくはにかんだ。
「キミたち、東妖高校の生徒アルカ?」
「そうです」
答えたのは伊南さんだ。
雨福さんはニコニコしながら話を続けた。
「なら、そろそろプール開きの時期アルネ。もうプールに入ってるアルカ?」
「いーや、明日からだぜ」
どら焼きを頬張りながら葵が言った。
「プール自体はもう入れるようになってるんだよね」
「あんなことがあったから、オレたちバレー部が思いっきり掃除したんだよなあ……草むしりもしたし、あとはー……そうそう、でっかい石も片付けた」
どら焼きを食べ終えた葵が煎餅を食べようとして伊南さんに手を叩かれる。
雨福さんが『まだまだお菓子たくさんアルからネ』と言って煎餅の袋をあけていた。
「でっかい、石?」
「何かさぁ、薄っぺらい石の板みたいなものがポンッて転がってて……危ないから片付けて、焼却炉の傍に置いたんだよな」
薄っぺらい、石の板。
どこかで聞いたような気がする。
誰から聞いたんだっけ……。
「……ね、そんなことよりさ……今から、学校のプールに入ってみない? 汗もかいちゃったしさ」
伊南さんは声を潜めると、いたずらっぽく胸元を開けたシャツをパタパタさせながら笑った。
「おいおい、誰が貧乳女とプールに入りたいって?」
「中学の時と一緒にしないでよ、別にあんたは来なくていいし!」
「何だよ〜! 除け者にすんな!」
伊南さんは舌を出してそっぽを向く。
そんな僕達を眺めていた雨福さんがしみじみと呟くのだ。
「これがアオハルってやつアルカ……」
「ちーがーいーまーすー!」
伊南さんがすかさず否定する。
「でも伊南さんと葵ってお似合いだよな」
「どこがよ!?こんなデリカシーのない男はお呼びじゃない!」
「オレだって暴力女とかシュミじゃねーし!どうせなら水流さんみたいに大人しい女の子のほうがいいし!」
「そーでしょーね!」
伊南さんが葵の頭を叩く。まるで夫婦漫才みたいだ。
僕と水流さんは思わず笑った。
「もう夜も遅いし、良かったら車で学校まで送るアルヨ。年頃の女の子が二人も居たら危険アル」
「え、いいんですか?」
伊南さんはぱあっと表情を明るくして雨福さんに向き直る。
雨福さんは人の良さそうな顔で頷くとでっぷりとした体を揺らしながら車のキーを手に取った。そして家を出る前に、つぶらな瞳でじっと見つめる小さなカエルの傍へと向かう。
「一人で留守番できるアルカ?」
「ケロッ」
雨福さんが水槽の中のカエルに話しかけている……。
カエルはいつの間にか水槽から身を乗り出しており、雨福さんの肩に飛び乗った。
「あいやぁ、一緒に見送りたいって言ってるアル」
まるでその言葉を理解しているかのように、カエルが鳴いた。
「雨福さんは……神様と仲良しなんですね」
「当然アル。庭の池で釣ったアル」
「か、神様を庭の池で釣るのか……」
僕は戸惑いながらカエルに視線を向ける。カエルは、ジッと僕を見つめ返していた。
確かに……このカエルからは妖気を感じる。ということは間違いなく妖怪なんだろう。青蛙神かどうかはともかくとして。
「それにしてもキミ、さっきから思ってたけど、ワタシの初恋の人に似てるアルね」
車に乗り込んだ僕たちを乗せて、雨福さんな運転を始める。
よりにもよって、雨福さんが見ているのは伊南さんでも水流さんでもなく、僕だ。
「は、初恋の人ですか。どんな人だったんです?」
僕は苦笑しながら、こんな男みたいな女がどこに居るんだと内心突っ込んだ。
雨福さんはぷよぷよとした二重アゴを指で撫でながら答える。
「ちょうどキミくらいの背丈をした──いい所のお嬢さんだったアル。人を見た目で判断しない素敵な女性だったアルヨ」
……さりげなく僕の身長が一般的な男子よりも低いと言われている気がするんだが。
「素敵な人だったんですね。もしかして奥さんですか?」
「いやぁ、彼女は新婚さんだったアル。残念アル」
伊南さんがウキウキした様子で尋ねると、雨福さんはかぶりを振った。そして彼はとんでもないことを口にする。
「鬼道すみれさん……それが初恋の女性の名前だったネ」




