【転校生と青蛙】1
本日はうんざりするくらいの快晴。昨日の雨のせいもあり、雨上がりの蒸し暑さは強烈だ。クラスメイトたちが机に突っ伏している。
ある者はだらしなくズボンの裾をふとももまで捲り上げ、またある者は小さな携帯用扇風機を顔に向けては暑いと嘆く。
「午後、体育で外を走るらしいぞ……この暑さでやるのか?」
「マジかよ、死ぬわ……つーか楓、お前が一番暑いんだよッ! 何だその髪ッ!」
首に濡れタオルを巻いている葵が席から立ち上がって声を上げる。
僕は自分のポニーテールを下から持ち上げると、湿気のせいかいつもよりしっとりとした黒髪を手で払う。
「うるさい。僕だって暑いんだよ、熱が籠るし……黒髪の方が光を吸収しやすいから暑いらしいぞ」
「なら切りゃいいだろぉ! そのクッソ長い髪をよぉ!」
いかにも面倒くさいものを見るような目で葵が言う。僕にだってわかってるさ、髪を伸ばしていたら暑いということくらい。
けれど、陰陽師にとって長く美しい髪には霊力が宿ると信じられている。それゆえ、暑くなってきたから切るか、なんてノリで簡単に切るわけにはいかない。もちろん、枝毛やパサつき始めた毛先を少し切ったりはするけど、基本は伸ばし続けている。
見てる側は僕以上に暑いだろうな……。
「何言ってんの、楓くんは髪が長くてかっこいいんだからね」
そう言って丸めたチラシで葵の頭を叩いたのは伊南朱音さんと……背後にいるもう一人の静かそうな女の子は、そうそう。先月の終わりに転入してきた水流紗雪さんだ。綺麗な銀髪が印象的な小柄な女の子で、伊南さんは持ち前の明るさですぐに彼女と友達になった。
「んだよォ!じゃあ俺も今日から髪伸ばす!」
「あっそう、頑張れ」
伊南さんは葵の頭を叩いた棒状のものをゆっくりと開きながら葵をあしらうと、すぐに明るい口ぶりで僕に話しかけてきた。
「あのさ楓くん、明日からいよいよプールに入れるじゃん? うちの高校、水着って割と自由らしいんだよねぇ」
「そうなのか……」
意味ありげに笑いながら伊南さんが身を乗り出して、広げたチラシを僕の机の上に置いた。
例の事件があったせいで、東妖高校のプール開きはすっかり遅れたんだよな……。
「でさでさ……もしよかったら放課後、水着買いに行かない? このチラシにクーポンが付いてるんだけど……異性の友達同士で行くと、なんと最大で50%引きになるの!お得でしょ?」
グッ、と伊南さんが親指を立てる。
50%引き……確かにそれはお得な話だ。
「えーっ、水着なんか中学ん時に着てたスクール水着でいいじゃん」
「あんたはそれでいいかもしれないけど女の子には色々あんの!」
伊南さんが丸めたチラシで机を叩く。
その剣幕に気圧されてか、葵は唇を尖らせて大人しくなった。
女子の事情は分からないが、水着を買うのは賛成だ。
「いいよ、放課後か?」
「さすが楓くん! あんたも来るでしょ?」
「えーっ、俺めんどくさ──」
そう言いかけた葵の胸ぐらを、伊南さんが掴む。
「来 る で しょ?」
「は、はひ……」
僕たち男二人の返事を聞いて、伊南さんは満足そうに笑うとずっと黙ったままの水流さんを見てウインクした。
「よかったね、さゆ」
「……え、と……」
水流さんは、返事に惑うように視線を彷徨わせていたが、僕を見るとすぐに真っ赤な顔をして俯いてしまった。
……何だ? 僕が何かしたかな。
斯くして、僕達は水着を買いに行くことになったわけなのだが……。
伊南さんオススメの衣料品店は、学校から出て住宅街の方角へしばらく歩く道中にあると言う。
学校周辺の地理に詳しくない僕は、案内役を買ってでた伊南さんと、強引に付き合わされている葵の背中を見ながら水流さんと肩を並べるように歩いていた。
「暑い……」
思わずそんな独り言が漏れてしまうほど、今日の天気は不快そのものだった。
雨上がりでよく晴れている……のは良いんだが、湿度が高くムシムシとしていて汗ばんだシャツが肌に張り付いている。
髪もベタッとしてくるくせに上手くまとまらないし、この時期は憂鬱そのものだ。
「……鬼道くん、は……梅雨、嫌い……?」
隣でぽそぽそと小さな声が聞こえる。水流さんだ。
「鬼道って……僕でいいのか?」
僕は前方に居る葵と水流さんを交互に見てから自分の顔を指して問いかける。
「葵の苗字も紀藤だから……混乱するし、楓でいいよ」
「う、うん…………」
水流さんはびっくりしたように目を丸くすると、まるで叱られた子犬のように小さくなって頷いた。
「あ……ええと、怒ってるわけじゃないんだ。せっかく同じクラスになったんだし、仲良くしたいな……って」
「はい……」
慌ててフォローをしてみるが、水流さんは萎縮してしまったままだ。
僕は言葉を探しながら、なるべく普段作らない笑顔で語りかけた。
「え、っと……水流さんは梅雨が好きなのか?」
普段笑顔なんて作らないせいか表情筋が痛い。
僕の問いかけに、水流さんが俯きがちにこくんと頷く。
「カエル……かわいい、から……」
「カエルが好きなんだ?」
そう尋ねると、水流さんが小さな声で「あっ」と呟いた。
彼女の視線の先には民家の庭先に咲いた青い紫陽花がある。
その紫陽花の花弁に隠れるようにして、鮮やかな緑色のアマガエルが喉を鳴らしながら涼んでいた。
「ちっちゃくてかわいい……」
水流さんが眉を下げて嬉しそうに呟く。どうやら、カエルを見たことで水流さんはリラックス出来たらしい。
僕は水流さんと一緒にカエルを見ながら、ふと何かの本で読んだ話を口にした。
「そういえば……日本では月と言ったらウサギだが、中国では月にカエルが住んでる──なんていう言い伝えがあったな。あの模様がカエルに似てるんだってさ」
カエルを見つめながら何となく呟くと、水流さんが目を丸くして僕を見つめていた。
「物知り……。オカルトが好き……だから?」
ぽそぽそと水流さんが問いかけてくる。
僕は胸元のシャツを手で掴んでパタパタさせながら笑った。
「好きなわけじゃないよ。部活は半ば無理やり入れられたし」
苦笑ぎみに答えると、水流さんは少しだけ嬉しそうな表情で俯いた。
「オカルト研究部……楽しそう」
「もしかして興味ある? 部員はいつでも募集してるよ。部長も喜ぶだろうし……僕以外二年の先輩ばかりだけどみんないい人たちで──」
オカルト研究部にいい反応を示した水流さんをスカウトすべく、僕は饒舌に部活を紹介してみるのだが……水流さんは、大きくかぶりを振る。
「私……夏が終わったら遠いところに行くの。だから、部活は入らなくていいって……先生に言われてる」
「そうなのか……」
そういえば転校初日、担任の先生が水流さんは短期間だけこの学校に通う、って話してた気がするな。せっかく知り合えたのに夏が終わるまでしか過ごせないのは残念だ。
「だったらなおのこと……僕達の部活に入ってみないか? 次の学校にオカルト研究部があるかどうか分からないし……それに、うちの部活は部員全員が妖怪と遭遇してるんだ──部長以外」
歩を止めたまま、僕は勇気を出して再度勧誘を試みる。もちろん、これで断られたらその時は潔く諦めよう。何度もしつこく勧誘するのはさすがに迷惑だ。
「……え、と……あの」
水流さんは、しばらく目を丸くして僕を見つめていたのだが、やがて顔を赤らめて僕から視線を逸らしてしまう。
同時に、遠くから葵の呼び声が聞こえた。
いつの間にか僕達はずいぶん引き離されてしまったらしく、葵と伊南さんは坂の上の──かなり前方を歩いている。
「い、行こう……楓くん……」
水流さんは、僕の勧誘にはノーコメントのまま、すぐに駆け足で葵たちの元へ向かう。
僕も水流さんの後を追うように歩を早めた。




