【オサキ様】2
俺は幼い頃から、人の悪意が見えた。
きっとそれは誰かを助けるために神様が授けてくれた能力なのだろうと両親は言った。
だから俺は、人を助ける職業を選んだのだ。
「先輩はさすがですよね。凶悪犯罪を未然に防ぐなんてもはや超能力ですよ!」
「超能力じゃない。悪人は目を見れば分かるだろう? ただの経験だ」
「かっけぇ……オレも言ってみたいですよ、その台詞!」
後輩はそう言って俺の後についてきた。
この街は、人の悪意によって引き起こされる犯罪が後を絶たない。
俺は世の中のために、家族を守るためにその力を使う。
「息子さんですか?」
後輩が俺の携帯電話の待ち受け画面を覗き込んで言った。
待ち受け画面に設定している息子はあどけない寝顔で眠っている。
「2歳の時だ」
「やべ、かわいい〜……男の子って母親に似るって言いますけど、先輩に激似じゃないですか?」
「……うるさいぞ四方木」
俺の息子には、不思議な力があった。
父親の俺と同じように悪意が見える力だけであれば、妻もここまで苦しむことはなかったのかもしれない。
聞こえるはずのない声、見えるはずのないモノ。
息子の病気は、俺の遺伝に違いないのだ。
「……む」
胸ポケットに仕舞った携帯電話から微かなバイブ音が聞こえた。
着信先は……妻の弟、つまりは俺の義弟だ。
「もしもし」
『……ドーモ、義兄さん。今……良いかな』
彼は、仕事で忙しい俺や妻の代わりに息子のことを見ていてくれる。
見た目やその危険な言動とは裏腹に、彼はとても良い子だが……今日はどこか声が暗い。
「息子のことか?」
彼からの連絡は、すぐに息子のことだと分かった。
息子のことを本当の弟のようにかわいがってくれる彼は顔が広く、息子の病気についても調べてくれている。
「大変なことが……分かったっス。オサキさまのこと、なんスけど……」
オサキさまと言うのは、息子の空想の友達だ。
俺にも経験はある。
幼い頃、俺の傍で悪意の見え方を教えてくれた、空想の友達。
姿形は分からないが、それは確かに俺の傍に居た。
妻は話を聞くのも嫌悪するが……俺には息子の友達が何なのか、ぼんやりとだが理解出来る。
『義兄さん、今から……会える? ねーちゃんが帰ってくる前に話しておきたくて……』
いつも明るい弟の声は僅かに呼吸が乱れている。
体調が悪いのか? それとも、よほど大変なことがわかったのだろうか……。
「……マンションの前で待っていてくれ」
俺はそう言って通話を終えた。
彼が一体オサキさまの何を知ったのか、それは息子に関係することなのか。
全ては彼に会えば分かることだろう。
俺はタクシーを使って家の傍まで向かった。
家の前に停まっている赤い車へと近づいてみるが、車の中には誰も乗っていない。
「家の中か?」
今の時間は家の中に妻も息子もいないはずだが……。
俺はあまり気にせず家の鍵を取り出して鍵穴へと差し込む。
不思議なことに、鍵は開いていた。
玄関には男物の靴が一足あり、彼が家の中に居ることが分かる。
「いるのか?」
返事はない。
その代わりに、二階にある息子の部屋から物音が聞こえる。
俺は靴を脱いで家の中に上がった。
「トア?」
階段を登りながら息子の名前を呼ぶが、やはり返事は無かった。
子供部屋は、夫婦の寝室の隣にある。
もう一度、何かが倒れるような物音が聞こえた。
扉を開けると、そこには俺に背を向けた長身の男が立っている。
トアが普段持っているぬいぐるみをぶら下げているその手は赤く染まっている。
「き、九兵衛くん、怪我をしたのか!? すぐ手当を──」
「ああ──義兄さん? 大丈夫、これ返り血だから」
弟は小さく肩を上下させながら振り返った。
彼のシャツには、赤茶に変色した血が飛び散っている。
それはあまりにも異様な光景だった。
「何が、あった……?」
こもった鉄の匂いが部屋の中に充満している。
弟は赤く染まったぬいぐるみを腕に抱いて、それをあやすように体を揺らした。
「ホントの兄さんに会ったんだ」
いつか、彼は言っていた。
妻と九兵衛くんには、生き別れの兄が何人か居るらしい。
彼らはそれぞれ養子に出されていて、お互い顔も見たことがないそうだ。
本当の両親に育てられたのは妻であるナツミと、末っ子の九兵衛くんだけ。
詳しい経緯は分からないが、いつか生き別れの兄たちに会ってみたいと、九兵衛くんはよく口にしていた。
「そ、そうか……元気だったか?」
「ウン、顔は知らなかったけどひと目で分かった」
九兵衛くんは笑って言うと、血でぐしゃぐしゃに汚れた紙切れをズボンのポケットから取り出した。
一度握り潰したのか、血で張り付いた紙はなかなか剥がれない。
弟は、ぬいぐるみを小脇に抱えると張り付いた紙を広げる。
その紙は2枚あった。
「オレが義兄さんを呼んだのは、これを見て欲しかったからなんスよ」
「何だ、それは……」
弟が見せたその紙に書かれていたものを、よく見ようとして歩み寄る。
彼は優しく微笑むと、紙を俺に差し出した。
血で汚れた紙に印字された文字列を、注意深く目で辿ると……。
「うっ……」
俺は自分の目を疑った。
そこで俺は初めて、自分が犯した罪の重さを知ったのだ。




