【東妖高校プール事件】3
早速聞き込みへ向かう部長や日熊先生を見送った僕は、尾崎先生の強い希望でプールにやってきた。
静かに揺れる水面は穏やかなものだ。とてもここで怪事件が起きたとは思えない。
「ふーん、特にこれといっておかしなところはないっスねー……」
尾崎先生は軽い口調で辺りを見回す。
それが一般人の感想だし、一般人に毛が生えた程度の僕だって同じだ。
「……楓クン、何か変わったモノとか見える? 陰陽師的に」
「いえ……尾崎先生は、本当にプールに妖怪が出たって思ってるんですか?」
僕は尾崎先生の真意を探るように問いかけてみる。
「どーっスかね。ゴーくんが去年はそんな目撃証言は無かったって言ってるんで、もしかすると被害者自身に取り憑いた何かの仕業かもしれねーなぁ」
尾崎先生は意外と真面目に推理をしながら身を屈めてプールを覗き込む。
「ん、楓クン……ちょっと」
尾崎先生に招かれて近づくと、そこには排水溝の蓋があった。
格子状の蓋には尋常ではない量の髪の毛が絡みついている。
「うへえ……ちゃんと掃除したんスかね?」
腰に手を当てた尾崎先生は嫌そうな顔をして静かに揺れる水面越しに僕を見た。
「ねえ、楓クン……キミって霊感ある?」
「……分からないです、けど……尾崎先生は、どうなんですか? 霊感は無い、って……嘘でしょう」
病院での一件を思い出しながら尾崎先生を見据える。
「アハッ、当たり。楓クンほどじゃないけど、小さい頃は何回か心霊体験もしたからね」
そう言った尾崎先生は、大して面白くもなさそうな顔で笑った。
今は不思議と、嫌な気配も妖気も感じない……けれど。
「尾崎先生は……陰陽師、なんですか?」
「違うよ。言ったでしょ、オレは普通の人間だって」
水面に映る尾崎先生はゆっくりと瞬きをする。
「知り合いに陰陽師が居て、簡単な術なら使えるだけ」
「いや、でも……」
病院で感じたあの妖気。そして尾崎先生を取り巻いていた不穏な気配はただごとじゃない。
彼が一体何者なのかを問いただすのは今しかない。
「どうして僕が陰陽師だって知ってたんですか。そもそも、あなたはどうしてこの学校に──」
不意に、目の前に尾崎先生の顔が近づいてきた。
「……オレのことが気になる? 嬉しいな、もっと質問していいよ。何でも教えてあげる。ベッドの中で──」
尾崎先生が僕の肩に腕を回して首筋に顔を寄せてくるものだから、僕は思わず顔を背けた。
何でこの人は、こう……いちいち距離が近いんだ!
僕は尾崎先生を押しのけてプールの縁を歩き始める。
「もういいです! 真面目に調べてくださいよ」
「アハッ……わかってるよ、怒んないで」
本当に分かっているのかいないのか、尾崎先生は僕とは反対方向からプールの周りをゆっくりと歩いていたが、ふと何かに気づいたように身を屈めた。
「……楓クン、ちょっと来て」
尾崎先生に手招かれるまま、僕はぐるっと半周して先生の元に向かう。
「これって何スかね、御札?」
プールの底に揺らめいている紙を指して尾崎先生が首を傾げる。
その紙には見覚えがあった。
僕を体育館裏のトイレで襲ったあの女が手にしていた黒い御札じゃないか。
「これ……前に僕を襲った女が使ってきた御札にそっくりです」
「そーなの? モテるんだね、楓クン」
尾崎先生は完全に他人事で煙草を咥えている。
その時だった。尾崎先生のズボンのポケットからバイブ音が聞こえた。
「チッ……」
尾崎先生が舌を打ちながらスマートフォンを取り出す。
「……何? 仕事中。あぁ、そう……オレも好きだよ」
電話の相手は女性らしく、尾崎先生はどこか冷めた口調で話している。
僕は尾崎先生の電話が終わるのを待ちながらプールを眺めていた……はずだった。
プールの中でゆらゆらとゆらめいている御札が、僕を呼んでいるような気がしたんだ。
僕は自然と身を乗り出すように水面に顔を近づける。
まるで、吸い寄せられるみたいに。
(何かが、変だ……)
そう思った瞬間には全てが手遅れだった。
突然水面から現れた白い腕が、僕の手首を掴む。
「──ッ!?」
予想外の力で引っ張られ、僕は悲鳴をあげる間もなくプールに引きずり込まれた。
びっくりして咥内に溜め込んでいた空気を吐き出してしまう。
もがきながら目を開けると、異様に長くて白いものがプールの底から伸びていた。
プールの底には、例の御札が貼られていて、白い腕は御札の裏から伸びている。
(ま、ずい……!)
慌てて手を振りほどこうとするけれど、白い手はビクともしなかった。
御札の下から、ゆっくりと何かが現れる。
それは、鱗に覆われた生き物だった。
「クロムの言った通りだナ」
長い髪の下で鱗の妖怪がハッキリと呟く。
僕はすぐにも腕を振りほどこうとするが、妖怪はゆらゆらと長い黒髪を揺らしながら僕の手首を強く掴んだ。
クロムって、誰だ……?
「ケケ……大人しくしろって。お前の霊気はたっぷり吸い取ってやるよ。あのお方のためにナ」
「ひッ……ぐうぅ!」
残り少ない空気が僕の口から溢れてくる。
次第に意識が朦朧としてきた。
(ダメだ、堕ち……る──)
抵抗する力が薄れ、僕はコポコポと空気を吐き出しながらされるがままになっていた。
妖怪は長い髪を海藻のように揺らして、僕の腕を強く掴んだまま離そうとしない。
「ぐっ……」
助けて、と呟いた声は僅かな空気と共に消えた。




