【探偵ごっこ】4
「おい鬼道、何やってんだよ! 直接聞くチャンスだったのにー!」
尾崎先生と別れてすぐのこと。
僕に片手で担がれたままのゴウ先輩が足をバタバタさせながら叫ぶ。
「尾崎先生は、見た目ほど悪い人じゃない……と思います。何となく……」
僕は半分嘘をついた。
見た目ほど悪い人ではないのかもしれない、という気持ち半分。
そして、あの人を取り巻く不気味な妖気から一刻も早く逃げ出したかった気持ちが半分だ。
……陰陽師なのに情けない話だけど。
「何でそう思うんだよ?」
怒られると思ったけれど、僕の腕の中のゴウ先輩がさっきよりも落ち着いた様子で尋ねた。
「本当に悪い人だったら、自分のことを嘘つきだなんて言わないんじゃないかと……」
「自分からオレは悪い奴だ〜なんて言う奴は、自分の性格の悪さを正当化したい奴だぜ」
ゴウ先輩が僕の腕の中から降りて鼻を鳴らす。
僕も尾崎先生の言葉を完全に信じたわけじゃない。
けれど……。
先程の会話で、尾崎先生は僕に忠告をした。
尾崎ヒフミの話を聞くなと。
二人がグルなら、わざわざ仲間を陥れるようなことを言うだろうか?
「確かに、尾崎兄弟と古御門家との繋がりは気になります」
だから、と僕は一度噤んだ口を開く。
「別の尾崎さんに話を聞きたいと思います」
尾崎ヒフミ。
突然僕の前に現れた怪しい男。
ヒフミさんに関しては名刺に書かれていた電話番号しか分からない。
尾崎先生に破られてしまったからもうこっちから連絡をする術はないけど……。
「別のって……尾崎ヒフミか? ちょっと待ってろよ……」
ゴウ先輩はおもむろに自分のスマートフォンをポケットから取り出して、両手の指を器用に動かし電話番号を打ち込んでみせた。
「あいつが公園の画像を見せてきた時、名刺も一緒に持ってただろ? その時に暗記しておいたんだよ」
「暗記って……ゴウ先輩、記憶力いいんですね」
「まあな……ってやべっ、もう呼び出してる!」
照れくさそうに笑ったゴウ先輩は慌てたようにスマートフォンを僕に差し出した。
スマートフォンからは小さなコール音が聞こえる。
何度目かのコール音の後で、電話の主と繋がった。
今朝僕の家の前に現れた、あの人に──。
「……なーにー……?」
今起きたばかりと言ったような寝ぼけた男の小さな声が聞こえる。
後ろではやたら音割れしたアニメ声が聞こえてきて、僕は思わずスマートフォンから耳を離した。
「朝お会いした鬼道ですけど、尾崎ヒフミさんでしょうか……」
「えー……何? よく聞こえねぇ」
電話の相手は僕の声に被るようにして聞き返してくる。
電話口からは、音割れしたアニメ声と共に耳障りな金属音が何度も聞こえた。
「朝、お会いした鬼道です!」
『ちょっとあなた、いつもいつも私の邪魔をしないで!』
「んん〜……?」
『邪魔なんてしてない! 私はルー子ちゃんを助けようとしたんだよ!』
『誰がルー子よ! 私の名前は……』
音割れしたアニメ声に隠れて、欠伸を押し殺すような寝ぼけた返事が聞こえる。
アニメ声だけならまだしもBGMまで流れ始めた。
ゴウ先輩もたまらず両耳を押さえてしまう。
「鬼道、うるせぇって……! 音量下げろ」
「ど、どうやるんですか? これ、操作がよく分からなくて……」
『よく聞きなさいッ!』
再度音の割れた金切り声が聞こえて、びっくりした僕は思わずスマートフォンを落としそうになった。
ゴウ先輩なんか両耳を押さえて僕から距離をとっている。
「うにゃー! テレビの音量下げろって言ってくれ!」
「は、はい……」
僕は顔をスマートフォンから背けながら、電話の向こうのヒフミさんへと声をかける。
「す、すみません! ちょっとテレビの音を……」
『ラインヴァイス・ルーヴォルフ! 今度私の名前を間違えたら……噛み殺すわよ!』
きゅぴーーーん!!!!
鼓膜がぶち破られそうなサウンドが廊下に響き渡る。
「あ、オープニング始まった」
ぼそっと寝ぼけた声の主が呟く。
同時に、こっちが喋る隙もなく電話が切られてしまった。
「……」
放課後の廊下を静寂が包む。
名刺に書かれていた電話番号はヒフミさん本人のものだし、さっき電話に応じたのも本人で間違いないのだろうけど……。
「み、耳痛え……」
ゴウ先輩は両耳から手を離して僕からスマートフォンを受け取った。
「でも、これでハッキリしたことがある」
「な、何ですか?」
ゴウ先輩が勢いよく僕を見上げるからちょっと怯んでしまう。
手に持ったままのスマートフォンを僕に突きつけたゴウ先輩は、確信を込めた口調で言った。
「このヒフミって奴も尾崎と同じ大嘘つき野郎ってことだ」
大嘘つき、か。
僕には誰が嘘つきで、誰が本当のことを言ってるのかもう分からない。
古御門先生ともあろう人が、どうして部長の親に尾崎先生を紹介したんだろう?
あんな……禍々しい妖気を纏った人間、古御門先生が気づかないはずないのに。
悶々とした気持ちを抱えたまま帰宅した僕を出迎えてくれたのは冥鬼でも豆狸でもなく、黒猫の魔鬼だけだった。
「何だ、早かったな」
「今日は部活が無かったからな……」
「ほう?」
魔鬼は、ぴんと立てた黒いしっぽをゆらゆらさせながら僕に背を向ける。
居間からは軽快なメロディと共に女性の歌声が聞こえていた。
「あ、おにーちゃん!」
畳の上に寝転がってパタパタと足でリズムを取っていた冥鬼が、僕に気づいて嬉しそうに体を起こす。
どうでもいいけど鬼神の姫ともあろう者がぱんつ丸見えなんだが……。
「ただいま、冥鬼」
「えへへ、かみころすわよ!」
冥鬼は嬉しそうな顔で物騒なことを言う。
「……何だって?」
「しらないの? ネージュたんだよ!」
冥鬼は無邪気に笑って見慣れないDVDのパッケージを見せた。
「おい、何だそれ」
「カトちゃんがかしてくれたー!」
そう言った冥鬼の後ろには、猫耳の女がプリントされたバッグに入ったDVDがぎっしりと詰まっている……。
それも袋はひとつやふたつじゃない。
「カトちゃんって……小鳥遊先輩?」
ゴウ先輩いわく今日は学校に来てないって話だったから、てっきりモデルの仕事が忙しいんだと思ってたけど……まさか僕の家に来ていたなんて。しかもこんなにDVDを持ってくるとは。全部見終わるまでに何ヶ月かかるんだろう……。
「あのね、おにーちゃんもいっしょにみようね!」
「わかったよ」
僕は冥鬼の髪を撫でて苦笑した。
ふと、テレビから聞き覚えのある効果音が聞こえる。
『ちょっとあなた、いつもいつも私の邪魔をしないで!』
気の強そうな女の子の声。
それはどこかで聞いたような台詞だった。
『邪魔なんてしてない! 私はルー子ちゃんを助けようとしたんだよ!』
『誰がルー子よ! 私の名前は……』
冥鬼が僕の傍から離れてテレビの前に駆け戻った。
テレビの中では気の強そうな銀髪の少女が映っている。
「ラインヴァイス・ルーヴォルフ?」
自然とその名前が口から出た。
僕が何でその名前を知っているのか。
それは、一度彼女の名前を耳にしたことがあったからだ。
『噛み殺すわよ!』
物騒な宣言と共に、不規則な電子音が流れた。
キラキラとした衣装を身に纏う美少女が二人映ってタイトルが表示される。
ディアブル風魔法少女ネージュ。それがアニメのタイトルだった。
「なーんだ、楓も知ってるのかよ。そんなに人気なのか? このアニメ」
機嫌良さそうな声で居間に入ってきたのは豆狸だった。
コンビニ袋を手に下げた親父の肩に乗っている。
「親父……何買ってたんだよ」
「お? 酒と煙草。あとツマミを少々」
チラッとイカの燻製をコンビニ袋から覗かせて親父が笑う。
この男は、夕飯前だって言うのに……。
「メイにおみやげはー?」
「もちろんあるぞ。ほーら、ザリザリちゃんのイチゴ味だ。今日は暑いからなー」
「わーい!」
親父は、まるで孫にお小遣いを渡すじいさんのようにニマニマしながら棒アイスの袋を取り出そうとしている。
それを当然のように受け取ろうとしている冥鬼よりも先に、僕はコンビニの袋ごとアイスを奪う。
「メイのザリザリちゃんー!」
「アイスは夕飯の後だ」
ぶーぶーと唇を尖らせている冥鬼の気配を背中に感じながら、僕はザリザリちゃんを冷凍庫に仕舞いに行く。
そうか、最近妙に暑いと思ったけど……そろそろ六月なんだな。




