【東妖オカルト研究部】2
「部員全員が怪異と接触って……」
しばしの沈黙の後、ようやくその言葉を口にすることができた僕は、改めて室内の部員を見回した。
怪異というのは、頻繁に人間の前に現れるわけじゃない。もちろん、そういったモノを引き寄せる体質を持った人間も一定数存在する。
いわゆる、霊感のある人間ってやつだ。
僕は少しだけ、本当に少しだけだが……オカルト研究部(仮)に興味がわいた。
「もちろんあたしは含まれていないわ! 接触したことがあるのはカトリーヌと、ハク、子猫ちゃん。以上の3名よ」
高千穂先輩の堂々とした自白に思わずツッコミを入れそうになるが、何か言いたいことでもあるのかと言わんばかりに睨まれたため、慌てて口を噤む。ハク先輩もゴウ先輩も、自然と高千穂先輩の視線の先を追った。
「……こほん。そんなわけで、この中にいる──あたしとあなた以外の全員が怪異と接触しているの! そしてあたしは、怪異研究家を祖母に持つ高千穂財閥の一人娘。ここで出会ったのは運命だと思わない? いいえ! これは間違いなく、運命だわ!」
高千穂先輩は腰に手を当てて高らかに告げると、僕の胸を手の甲で叩く。
「どうせあなた、まだ部活は決まっていないんでしょ? ならうちに入りなさい。他の部活なんて、どこも大したことないんだから!」
「いや、僕は帰宅部希望なんですが」
オカルト研究部……もとい、同好会に興味は出たものの、クラブ活動をする気はない。
何とか言い訳をして逃げようとする僕の退路を断つように、ハク先輩が口を挟んだ。
「うちの高校は帰宅部禁止よ? どこかの部活に入らないと問題児認定されちゃうんだから」
「そ、そうなんですか?」
なん、だと……。
全然知らなかった。というか学校説明会ですらそんな話はなかったぞ。……多分。
どちらにせよ、入学早々問題児扱いなんて絶対ごめんだ。僕は学校では普通の男子高校生として過ごしたいんだから。
「もちろん無理にとは言わないけれど──悪いようにはされないはずだし……オカルト研究同好会、入ってみない? もちろん、名前だけの入部だっていいのよ。お菓子も食べられるしね。漫研みたいな感じ……かな」
ハク先輩が優しく声をかけてくる。包容力たっぷりの柔らかな物腰は、女性に耐性のない僕にとってあまりにも毒だ。
それに──ハク先輩の眼差しは心地がいい。僕の知らない母親の面影をくすぐるような、切なくて甘い思慕。
(……ば、馬鹿な)
そんな自分を、完全に修行不足だと痛感した。まさか、これほど自分が分かりやすい男だったとは。
妖怪を祓うことに一生を捧げるはずの陰陽師が、こうも簡単に一目惚れをしてしまうなんて。
僕は、ハク先輩に視線を合わせることが出来なくなっていた。
「おい、ハクがここまで言ってんだから当然……」
「は、入ります! 入りますよ、オカルト同好会っ!」
僕の視線に気づいたのかは分からないが、ゴウ先輩が強い口調で凄んでみせる。
そのせいで、僕は慌てて半ばヤケクソ気味に返事をしてしまった。それを待っていたと言わんばかりに、高千穂先輩とゴウ先輩がニヤーッと笑う。
「馬鹿千穂、今コイツなんつった?」
「入ります、と確かに言ったわね! あとあたしは高千穂よ、子猫ちゃん」
ゴウ先輩のアイコンタクトに、高千穂先輩がニヤリと笑って返す。ふたりのやりとりを聞いていたハク先輩は、両手を合わせて目をキラキラさせていた。
「では改めて──本日をもって、東妖オカルト研究同好会は、東妖オカルト研究部になりますッ!」
高千穂先輩が高らかに宣言をすると、待ってましたとばかりにハク先輩が拍手をする。高千穂先輩は、華麗にターンを決めて部室の引き出しから用紙を取り出すと、ツインテールをムチのようにしならせて振り返るなり、それを僕の顔前に突き出した。
「というわけだから、明日までに入部届けの提出をよろしく頼むわね! 朝、学校に来た時にでも部室に置いといてくれればいいわよ!」
「は、はあ……」
勢いに任せて返事をしてしまったことを軽く後悔しながら、僕は押し付けられた用紙を受け取る。
どうやら普通の入部届けみたいだが、親の同意が必要らしい。どうせ親父は夜中に帰ってくるんだろうし、テーブルにでも置いておくか……。
用紙に書かれた事柄を黙って眺めていた僕の傍で、ゴウ先輩があくびをしながら小さな体を伸ばしていた。
「はにゃ〜ん……これで生徒指導のクソ熊野郎にお小言を言われる生活からもオサラバってわけだ」
「苦節1年……長かったわね、ゴウくん」
ちょっと待て。苦節1年って……。
その聞き捨てならない言葉に、僕は勢いよく入部届けから顔を上げる。
「1年間、部員が集まらなかったってことですか!?」
しみじみと呟く鬼原組の言葉にギョッとして思わず声をかけると、あくびをしているゴウ先輩の頭を優しく撫でていたハク先輩が頷いた。
「そうよ。今年までに部員が5人になり、部活として活動できなければ、強制的に同好会は解散! みんな揃ってバレー部に入れ! って言われてたから……」
「バレー部って……」
だ、誰の真似なんだろう……。ずいぶん強引な教師だが、逆に1年も待っていてくれたのはある意味優しさなのかもしれない。
そんな会話を遮るようにして、高千穂先輩が咳払いをした。
「あなたたち、喜ぶのはまだ早いわよ! 部活としてやっていくには顧問が必要なんだから。今までみたいに、用務員の木村さんを仮顧問にしておくわけにはいかないの!」
いや、用務員さんに何させてんだと僕は心の中で高千穂先輩に何度目かのツッコミを入れる。
「顧問の先生なら一人、アテがありまーす」
キビキビとした高千穂先輩とは真逆に、全身からほんわかとしたオーラを放っているハク先輩が手を上げる。そんな彼女を意外そうに見やったのはゴウ先輩だ。
「そいつは怪異に詳しいのかよ?」
「ええ、とっても♡」
ハク先輩はにこにこと応える。
「それじゃ、顧問の件はハクに任せるわ。今日のミーティングはおしまい! 正式な活動は明日からよ!」
高千穂先輩は、運動部の応援顔負けの勢いで僕達に言い放った。ハク先輩が両手の指を合わせるように小さな拍手をしている。
「では解散! 鬼道くんも帰っていいわよ!」
満足そうな高千穂先輩の一声で解散を命じられた僕は、入部届けを見つめて大きなため息をついた。部活に入るつもりじゃなかったんだが……帰宅部厳禁と言うなら、名前だけでも入部するしかないのか?
そんなことを悶々と考えている僕の背中に、優しく声をかけてきたのはハク先輩だった。
「楓くん、これから時間ある?」
既に帰り支度を整えた様子のハク先輩がにっこりと微笑む。
早く帰って冥鬼と一緒に市内パトロールがしたかったんだが……だけどそれより今はハク先輩に話しかけられたことが嬉しくて、単純すぎる僕の胸はドキッと跳ねる。
「な、何か?」
「えっとね、楓くんさえよければこれから顧問の先生に挨拶をしにいくから、付き合ってもらえないかなって……」
ハク先輩はもじもじと指を弄りながら遠慮がちに告げる。
すぐにでも頷きたいが、いやしかし陰陽師としての日課が……。
返事に惑う僕の目の前で、ハク先輩の後ろからゴウ先輩が白い眼差しを送っていた。
『ハクがここまで頼んでるのに断ったりしたら顔面引っ掻くぞ』
とでもいいたそうな顔だ。というか絶対言ってる。僕は冷や汗を流しながら作り笑いを浮かべた。
「も……ちろん良いですよ、僕なんかでよければ」
そう答えると、ハク先輩は目をキラキラさせながら身を乗り出す。
「ほんと? 嬉しいっ♡ じゃあゴウくん、今日は私、楓くんと帰るから……一人で帰れる?」
「オレは何歳だよ。寄り道すんなよな」
ゴウ先輩は呆れたように鼻を鳴らすと、くたびれたスクールバッグにつけられた黒猫のキーホルダーを揺らして部室を出ていく。
既に高千穂先輩は部室にはいなかった。どうやら一番に部室から出ていったようだ。
ということは……。
僕とハク先輩は、ふたりきりになったということだ。
美人の先輩と個室に二人きりなんて、意識するなというほうが無理だろう。
僕は何とか平静さを装うべく、小さく深呼吸をしてから口を開く。
「それで、顧問の先生って言うのは……」
「楓くん」
どこにいらっしゃるんでしょうか、と問いかけようとした僕の言葉を遮ったのはハク先輩だった。
窓から吹き込む春風を浴びながら、ゆっくりと振り返る。
「学校、楽しい?」
ピンクベージュの髪がふわりと靡いた。同時に──シャンプーだろうか? 女の子の甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
陽光を浴びて煌めく髪が揺れ、その肩には白いカーテンが羽衣のように触れる。それは、御伽噺の天女のように──この世のものとは思えない神々しさがあった。
思わず、跪いてしまいそうになるような──。
どれほど、惚けたままでいたんだろう。気がつくと、僕の返事を待つようにハク先輩が微笑んでいた。
思わず、小さく『あっ』と声が漏れる。
「まだ入学したばかりなので、何とも──ですけど……受験勉強、頑張ったかいがありました。ハク先輩みたいな、綺麗な先輩にも会えたし──って、そういう話じゃないですよね」
僕は、自分でも何を言っているのかわからなくなっていた。冥鬼やクラスメイトには平気で喋れるのに、ハク先輩が相手になった途端ポーカーフェイスすらできない。
しどろもどろになる僕を見て、ハク先輩は目を丸くしていたが、やがてにっこりと笑った。
「ふふふっ、楓くんって面白い。そんなに緊張しなくても良いのに」
ハク先輩は不思議そうな表情で僕の顔を見つめていたが、やがていたずらっぽく笑って窓を閉めた。
「そろそろ、顧問をお願いする先生のところへ挨拶に行きましょ。交渉はセンパイに任せなさい♡」
高千穂先輩の真似だろうか、ハク先輩は腰に片手を当ててちょっぴり強気な態度を見せる。
緊張をほぐそうとしてくれているのだろう。僕は、ようやく肩の力を抜くことを思い出して頷きを返すのだった。