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最弱陰陽師は、自分にかけた呪いとまだ向き合えていない  作者: ふみよ
1部

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【幸せのケサランパサラン】4

 耳障りな急ブレーキの音でゴウ先輩の悲鳴がかき消され、僕の思考は真っ白になったまま停止している。

 頭の中では最大級の危険を知らせる警報が鳴り響いているのに、体は全く言うことを聞いてくれない。


(僕は、このまま……)


 死ぬんだろうか。

 そんなことを考えて、あと数秒もせずに死んでしまうのだと確信した僕の口元は、おかしくもないのに引きつる。

 冥鬼と契約して、陰陽師になって、妖怪を退治するようになって色んなことがあった。

 まだ陰陽師として活動を始めて半年しか経ってないし、ずっと周りに頼りっぱなしの僕は、最期まで最弱陰陽師のまま。


「……」


 死を覚悟した僕の体は指先すら動かない。

 僕は全てを諦めて、ゆっくりと瞼を閉じようとした。

 その時。


「ボサッとしてんじゃねえよ!」


 突然、頭上から聞こえた声と共に、誰かが線路の上に降り立つ。

 僕の体は線路に飛び込んできた何者かによって抱き上げられた。

 その人物は僕を軽々と抱き上げると、ホームの上のゴウ先輩に向かって放り投げる。


「え、ちょっ……はにゃあ!?」


 ゴウ先輩がおろおろしながら僕を抱きとめるが、体格差のせいで僕は先輩を押し倒すような形でホームの上に倒れ込んだ。

 同時に、間一髪で電車が通過する。

 あと少し遅かったら僕は間違いなく、電車の下敷きになっていた……。


「き、鬼道……お、重いにゃあ……」

「す、すみません……」


 体の下でゴウ先輩が潰れたカエルのような声を上げるものだから、僕はバクバクしている胸を押さえつつ重い体を起こした。

 全身が鈍く痛む。やっぱり骨にヒビが入ってしまったんだろうか?


「だあー、もう。マジで死ぬかと思った……」


 僕の後にすぐさまホームに転がり込んだその人物が、勢い余って強打してしまったらしい肩を押さえながらゆっくりと体を起こす。

 彼は僕を電車から助けてくれた人だ。すぐにお礼を言わなければ、と顔を向けた僕とゴウ先輩の目はきっと揃って点になったことだろう。

 少なくとも僕の目は点になった。


 ぶつくさ言いながら前髪をかきあげていたのは、あまりにも意外すぎる人物……蜂蜜色の髪にチャラチャラとした外見をした、胡散臭い教師。僕が高校入学以来で最も苦手だと確信したあの人だったからだ。


「尾崎……先生……?」


 金色の髪とつり目がちな琥珀色の瞳、そしてハッとするような端正な顔立ちが特徴の数学教師、尾崎九兵衛先生。

 よりにもよって、僕を助けたのは彼だって言うのか?

 彼は僕の無事を確認すると、心底呆れたようにため息をついた。


「はー……マジでさあ、目の前で死なれたらビビるじゃん。オレが一生肉食えなくなったらキミのせいなんだぜ。責任持てんの?」


 尾崎先生は青い顔をしながら汗を拭う。

 何で怒られてるのか分からない僕は何度もかぶりを振った。

 尾崎先生は僕を一瞥してもう一度ため息をつくと、すぐにスマートフォンを操作してから耳に当てる。


「ゴーくん、犯人の顔は?」

「ち、ちゃんとは見てない、ケド……」


 ゴウ先輩が尾崎先生の気迫に圧倒されてしどろもどろに答える。

 すぐに電話が繋がったのか、尾崎先生は口を開いた。


「……あー、このメッセージを聞いたらすぐ東妖高校前駅まで救急車を寄越してくださーい。うちの生徒が線路に突き落とされたんで。骨折してるかもしんねーし、なるはやでよろしくーっス。じゃね」


 尾崎先生は間延びした声でそう言うと、すぐにスマートフォンを胸ポケットに仕舞ってから僕の腰に手を回して難なく抱き上げた。


「ちょ……! 尾崎先生!?」

「暴れんのやめてくれる? オレ肩イテーんだけど。ゴーくんも悪いけど一緒に来てくんね? 帰りのタクシー代、オレが払うからいいっしょ」

「お、おう……」


 僕達は尾崎先生に言いくるめられて大人しくなる。

 程なくして駅までやってきた救急車まで、僕は尾崎先生に抱かれたまま移動する。

 高校生にもなって教師にだっこされてるって、冷静になってみるとすごく恥ずかしいんだが……。しかも、男に。

 僕はストレッチャーに乗せられ、尾崎先生とゴウ先輩は僕に付き添うように同じ救急車に乗った。


「お、オレ……救急車なんて初めて乗ったにゃ……」

「僕は……親父が盲腸の時に乗ったきりです……」


 僕は天井を見つめたまま答える。

 落ち着かなくて視線を彷徨わせると、尾崎先生と目が合った。

 先程まで少しピリピリしていた様子の尾崎先生は、僕と目が合うと嘘みたいに優しく微笑んだ。その笑顔だけで女子がきゃあきゃあ言いそうだな……。


「大丈夫? さっきはゴメンね。さすがに気が動転しちゃった」

「あ──いえ。平気、です……」


 眉を下げて笑う尾崎先生に、僕は慌ててかぶりを振った。

 少しだけ──ほんの少しだけ、尾崎先生に対する警戒心が解けてきた気がする。単純かもしれないけど……電車がホームに入ってきていたのに線路に飛び込んで助けてくれるなんて、なかなか出来ることじゃない。正直、尾崎先生も危なかったし……。


「あの、ありがとう……ございます……。それから、すみません……」


 僕は遠慮がちに尾崎先生の袖を掴んだ。

 彼の袖は激しく強打したせいか綺麗な白が汚れてしまっている。

 尾崎先生は自分の腕を見下ろすと、へらりと笑ってみせた。


「オレ、いちお先生だし。生徒を守るのは当然っしょ。ぶっちゃけチョービビったけどね」


 尾崎先生がケラケラと笑う。その笑顔には、実際の年齢よりも幼い人懐っこさがあった。嫌味も、下心もない、無邪気な笑顔だ。

 まるで、部室での言動は嘘だったかのように、今の尾崎先生からは嫌な感じがない。


「……ありがとう、ございます」


 僕は何となくバツが悪くなって目を逸らした。ついさっきまで、尾崎先生に対して嫌悪感でいっぱいだった自分が恥ずかしくなったからだ。

 尾崎先生はちょっと変わった人だけど、根は悪い人じゃないんだと思う。


「あ──そうだ楓クン、これ飲んどく?」


 そう言って尾崎先生が差し出したのは、救急隊員が手渡したスポーツドリンクだった。

 尾崎先生には何から何まで気遣われてばかりだな……。


「あ、ありがとうございます……」


 ぼくがそれを受け取ろうとすると、尾崎先生は何を思ったのかキャップを開けてスポーツドリンクを口に含む。

 そうして、ぽかんとしているゴウ先輩の前で僕の上にのしかかってきた彼は、ゆっくりと僕に顔を寄せた。


 え──何だ? 先生は何をしようとしているんだ?

 このまま近づいたら先生の唇が僕の……僕の……。


「ひっ──!?」


 思わず体全体を横向きにして拒否の姿勢を取ると、耳元で──まるでわざと聞かせるように、スポーツドリンクを飲み込む音が聞こえた。


「……何で逃げんの?」

「な、な……何でって……当たり前じゃないですか。何しようとしてるんですか!?」


 思わずひっくり返った声を上げる僕に、尾崎先生がニヤニヤとした視線を送る。


「何って、重傷の生徒にスポーツドリンクを飲ませようとしただけでしょ。医療行為じゃん」

「の、飲ませるなら普通に渡してくださいよっ! 自分で飲めますから! ……げほっ、ごほっ!」


 僕は尾崎先生の手からスポーツドリンクをむしり取ってすぐさまペットボトルの中身を一気に飲み干す。

 勢いよくドリンクを飲み込んだせいで思わずむせてしまったそんな僕を見て目を丸くしていた尾崎先生は、やがてニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。


「アハッ、思ったより元気そうで安心した」


 どこまでがこの人の本心なのか全く分からない。少なくともさっきまでの頼もしい先生の姿はとっくに消え去り、ただの変態教師に戻っている。

 僕はむせながらスポーツドリンクの中身を全て飲みきると、ため息をついて額に手を当てた。

 時間が経つにつれて体が重くなっていき、傷口が火照り始めている。


「尾崎……テメェ、怪我人をからかうのもその辺にしとけよ。鬼道、へーきか?」


 ゴウ先輩が僕の手から空のスポーツドリンクを受け取ると、心配そうな視線を送りながら尾崎先生に釘をさす。

 尾崎先生はわざとらしく舌を出して僕から離れた。


「ところでさ、ゴーくん。楓クンを突き落とした犯人の特徴を詳しく教えてもらえねえ? 犯人の顔、見たんでしょ?」

「特徴って言っても……和服のオバサンだった……ってことくらいしかわからないにゃ……」


 まるで探偵かもしくは警察か何かのように饒舌に問いかけられたゴウ先輩は、僕と同じようにおどおどして答える。

 尾崎先生がすぐに僕に向き直った。


「楓クン、和服の女に心当たりは?」

「な、ないです……」


 僕もゴウ先輩同様に、尾崎先生に圧倒されながらかぶりを振った。

 すると、尾崎先生は少しの間の後に『そっか』と答える。


「……けどまあ駅の監視カメラを見れば犯人の顔くらいはわかるっスねー。そこから素性を割り出せば」


 自分の顎に手を当てて唇を尖らせている尾崎先生の顔は、憎らしいくらいに整っていた。

 とても教師には思えない──むしろ芸能人のようなキラキラしたオーラを纏っていて、男の僕から見ても綺麗だと思う。

 なんでこんな人が教師になったんだろう?


「あー……あの駅、監視カメラは無いにゃ。田舎だもん」

「はあ!? 今どき監視カメラのない駅ってマジっスか!?防犯上どーなんスかそれ!」


 尾崎先生は目を丸くして呆れたような声を上げる。

 そんな会話を続けているうちに、僕達を乗せた救急車は病院へと着いた。

 僕は病室へと運ばれ、すぐにキツめの眼差しをした白衣の女性が看護師をぞろぞろと引き連れてやってくる。

 医者とは思えないくらいスタイル抜群の、髪を頭の後ろでおだんごにした女性が僕達を順番に眺めていく。


「仮眠中に留守電入れんなって言ってるでしょ、この馬鹿」


 そして、最後に尾崎先生を睨んだ女性は足早に僕の傍に近づいてきた。


「こんにちは。喋れる?」

「は……はい。お忙しい中、すみません……」


 僕が挨拶すると、女性は胸につけた名札を見せて微笑みかける。

 胸元が大きく開いた服がすごく、目の毒だ……。


「小森ナツミです。この馬鹿弟のご指名」

「やー、だってねーちゃんに電話すんのが一番早いじゃん?」


 尾崎先生が軽い口調でヘラヘラ笑うと、女性はため息をついて彼を睨んだ。


「お、弟……?」


 目を丸くしている僕とゴウ先輩に対して、小森先生が答える。


「そう。こいつはアタシの弟。まあそんなことより……早速具合を見よっか、鬼道楓クン?」


 小森先生は僕を見下ろしてニヤリと笑った。

 その顔は、まさに僕達の顧問を自称している彼の笑顔にそっくりだ……。


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