【幸せのケサランパサラン】3
部室から出た僕は、早足でどんどん進んでいくゴウ先輩に引っ張られるようにして校門へと向かっていた。
「ご、ゴウ先輩……」
「あの尾崎って教師、半径三メートル以上近寄らせない方がいーぞ! アイツ、挨拶だとか言ってオレの髪にチューしてきたし……童貞かどうか聞かれて、ほっぺたつつかれまくった!」
僕の言葉尻に被るようにしてゴウ先輩が唇を尖らせて文句を言う。
ゴウ先輩は掴んだままの手を離すと、スクールバッグについたネコのキーホルダーを揺らして勢いよく振り返った。
その顔は嫌悪感でいっぱいに歪められている。髪にチューなんてされたらそりゃ気持ち悪いよな……しかも男に。
「ゴウ先輩も、尾崎先生と挨拶したんですね……」
「そーだぞ。アイツ二年の数学担当だもん」
へえ、尾崎先生って数学教師だったのか……。
あれ、でも待てよ。二年生の担当ってことはすでにあの人にも会っているはずじゃ……。
「ハクなら休みだぞ」
僕が何かを言う前にゴウ先輩が口を開く。
駅に向かって歩き出したゴウ先輩に続くようにして僕も歩を進めた。
ゴウ先輩は体が小さいけど、意外に歩くのが速い。すっかり体力の落ちている僕は息を切らしながらゴウ先輩の後を追う。
「風邪引いたんだにゃ。最近、昼と夜の寒暖差が激しいし」
「も、もしかしてそれ……僕の家の手伝いをしてくれたせいで疲れが溜まって……」
息を切らしながら駆け寄る僕に気づいたのか、ゴウ先輩が歩みをゆっくりとしたものに変えて振り返った。
早足のゴウ先輩についていったおかげか、駅はもう目と鼻の先だ。
「にゃはは、それはねーよ」
軽い口調でそう言ったゴウ先輩は、人懐っこい顔でニコッと笑った。
「ハクがオマエんちに行ってたのと今日の風邪は全く別物だから気にすんな。それより、マジで元気になってよかったにゃ」
ゴウ先輩は、改めて僕を見上げると無邪気に笑みを浮かべる。本当に……ゴウ先輩にもハク先輩にも頭が上がらない。
反論できなくなり、小さく頷いた僕の目の前で、ゴウ先輩がネコみたいな声を上げて欠伸をする。
「ふわにゃ〜……」
「先輩、相変わらず眠そうですね」
僕は心のどこかでホッとしながら言った。
春だから眠いんだと言いながらゴシゴシと目を擦っているゴウ先輩と他愛のない会話をしながら駅に入る。
駅に入る直前、駅の駐車場に黒い高級車が停まっているのが見えた。一体どんな金持ちが乗っているんだろう、なんて思いながら駅のホームへ向かう。
いつもは上りの電車に向かうはずのゴウ先輩も、今日はなぜか僕の後についてきた。
「あれ、今日はバイトじゃないんですか?」
「ゴールデンウィーク明けはさすがに働きたくないにゃ……」
「……ですよね」
小さな体を伸ばして笑うゴウ先輩につられながら、僕は鞄を肩にかける。
その時、ふとももにかたいものが当たった。
「おっと……」
「どーしたにゃ?」
ゴウ先輩が目を丸くして僕を覗き込む。
僕はポケットから小瓶を取り出しながら答えた。
「いえ、ポケットの中に入れてたのを忘れていて……」
「何だよ? その綿毛みたいなやつ」
ゴウ先輩が不思議そうに小さな体を乗り出す。
早くに着いたためか、僕達の他に並んでいる人はいない。
僕はホームの一番前で話を続けた。
「ケサランパサラン……らしいです。クラスメイトにもらったんですが」
「ふーん……ちょっと見せてくれよ」
ゴウ先輩に言われるまま、僕は小瓶を手渡す。
小瓶の中でふわふわしている毛玉を正面から見つめたり、横から眺めたりしながらゴウ先輩が注意深く目を細めた。
タコみたいに突き出した唇が、ゴウ先輩の子供っぽさをさらに際立たせている。
「ほえ……」
「何か分かりました?」
僕が問いかけると、ゴウ先輩は顔を顰めながら小瓶を離した。
「本物かどうかはわかんねーけど……動物の毛には間違いなさそーだぜ。それもイヌ科の動物だな」
「く、詳しいんですね……」
「まーな! ネコなら一発でわかる」
ゴウ先輩は当然のように言ってのける。
さすがネコ科のゴウ先輩だ……。そんなこと言ったら間違いなく怒られそうだけど。
「ケサランパサランって……狐の贈り物、って言うそうです。尾崎先生が言ってました」
「ふーん、まあ狐はイヌ科だし? 狐の毛を使ってる可能性もあるけど」
尾崎先生からの情報なのが気に入らないのか何となく不満そうなゴウ先輩に苦笑する。
ゴウ先輩が手に持った小瓶を僕へ差し出して、僕がそれを受け取ろうとした──。
その時だった。
後ろから、思い切り僕の背中が押される。
何が起きたのか分からなくてゆっくりと瞬きをした時、ゴウ先輩の悲鳴が聞こえて──同時に、激しい体の痛みが僕を襲った。
「あぐっ!」
大きく宙を舞った僕の体はホームから投げ出され、線路の上に投げ出される。
受け身は取った……と思う。けれど打ちどころが悪かったのか、僕はあまりの痛みでしばらくそこから動けずにいた。
「な、何しやがるテメェッ……待て!」
ホームの上でゴウ先輩の怒号が聞こえる。 僕の位置からは見えないけれど、僕を突き落とした犯人に詰め寄っているんだろう。
僕は線路の真ん中でうずくまったまま痛みが引くのを待っていた。
すぐにゴウ先輩が身を乗り出す。
「鬼道ッ、早く上がってこい! 電車が来たらシャレになんないにゃ!」
「は、はい……うっ……」
僕はよろよろと立ち上がろうとするけど、すぐにうずくまってしまった。派手に転んだせいか、膝が痛む。
制服は……裂けてないみたいだけど、全身がズキズキと痛い。
「……っぐ……」
「ひっ!? だ、大丈夫か? こ、骨折したんじゃ……」
ゴウ先輩が、僕以上に慌てて心配そうな眼差しを向けながら小さな手を伸ばす。
恐らく骨折はしていないのだろうけど、歩くたびに足が軋んで痛い。ただの打撲で済むといいけど。
「だい、じょうぶ……です……」
「全然大丈夫そうじゃないだろ! オレ、チカラには自信があるからっ……来いっ!」
ゴウ先輩は慌てたように小さな両手を伸ばした。僕は、何とか足を引きずりながらホームの下まで近づこうとする。
しかし、僕の足は線路のレールに引っかかってしまった。
「あっ!」
「はにゃっ!?」
再び倒れ込んでしまう僕の頭上から泣きそうなゴウ先輩の声がする。
その時、遠くから地鳴りのような音が聞こえて……僕とゴウ先輩は青ざめた。
「こ、れって……」
嫌な汗が背中を伝う。
おそるおそる線路の先を見やると、そこには僕とゴウ先輩が乗る予定の電車がゆっくりと近づいてきていた。
「鬼道ッ! 早く!」
ゴウ先輩が金切り声で叫ぶ。
僕はすぐに立ち上がろうとするが、体が重くて歩けない。
おそらく僕に気づいたのか、耳障りな急ブレーキの音が聞こえる。
でも、到底間に合うとは思えない。
数秒後、僕は電車に轢かれるだろう。
四肢はちぎれ飛び、辺り一面がめちゃくちゃになるに違いない。
僕は頭が真っ白になったまま、その場から動けずにいた。




