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最弱陰陽師は、自分にかけた呪いとまだ向き合えていない  作者: ふみよ
1部

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【絶対安静】3

 その後、夕方になってもなかなか変化が上手くいかない師匠を連れて風呂場へ向かったのだが……師匠は直前になって半泣きで嫌がり始めた。まるで予防接種前の犬だ。

 けれど一度浴室に入ってしまうと、逃げ場がないことを悟ったのか水を怖がるように僕の肩に駆け登ってしがみついてくる。


「ちょっ……これから暑くなってくるんだから一度くらい風呂に入ったほうがいいですよ。身体中カピカピしてるし……触ると獣くさいし」

「クサくて悪かったなあ! クサくない動物なんか居ないだろぉ……」


 師匠は涙目でぷるぷると震えながら、いかに水が苦手かを説いてくる。この姿だと毛が濡れる感触が気持ち悪いとか、アレコレ理由をつけてとにかく体を洗いたくないと訴えていた。けど、僕はほだされたりしないぞ。

 僕は動物用のシャンプーを桶に張ったお湯と混ぜて泡立てると、そこに嫌がる師匠を下ろした。

 水に濡れるのが相当嫌なのか、しっかりと腕にしがみついてくる師匠の背中を軽く撫でた僕は、使い捨ての歯ブラシで師匠の毛流れにそってブラシを通していく。

 師匠の毛にはかための歯ブラシがちょうどいいようだ。


「あひいい! 毛が濡れるぅう! 水が目に入るよお……」


 師匠は、情けなく身を縮こませながらされるがままになっている。

 水を溜めた桶の中は師匠の汚れであっという間に濁っていった。

 僕はブラシで耳の後ろや額も入念に擦りながら毛についた汚れを落としていく。ブラシが擦れる感触が嫌なのか、師匠が耳をぷるぷるさせながらしがみついてきて洗いづらい。


「これでいいかな……。流しますね」

「んひぃ……もっと優しくしろよお……」


 師匠が情けない声で訴えてくるのがおかしくて、僕は笑ってしまいそうになるのをこらえながら師匠の体にぬるめのシャワーを当てた。

 体毛に絡みついた汚れやブラシで落ちきらなかったものを指でほぐしながら丁寧に洗い流していく。けれどなるべく手早く、だ。


「はい、さっぱりしました。いい匂いもしてますよ」


 しっかりとシャワーでシャンプーを洗い流してから、バスタオルで師匠の体を包んだ。

 師匠はバスタオルの中で溺れていたのだが、やがてタオルの中でもぞもぞと動き始めると白煙と共にその姿が人間の姿へ変わった。

 バスタオルが小さく見えるくらい大柄で立派な体をした彼は、ガシガシと髪の水気を拭っている。

 心做しかその顔はさっぱりしていて気持ちよさそうだ。


「ったく……乱暴にしやがって。お前には人の心ってやつがないのか?」


 気持ちよさそうな割に、日熊先生はムスッとした顔で言った。……初めてにしては丁寧に洗ったつもりなんだけどな。


「ほら、次はお前の番だ」

「え……僕は自分で洗え……」


 子供じゃないんだし自分で洗えますよ、と言おうとした途端、日熊先生が大きな手のひらでスポンジを泡立てて遠慮なく僕の背中を擦り始めた。

 それはもう皮が剥けるんじゃないかというくらいの力を込めて日熊先生は僕の背中をゴシゴシと洗っていく。あまりの痛さで涙が出るほどだ。なんていう馬鹿力だよ!?


「ひっ──痛い痛いっ! 先生っ、もっと優しくっ!」


 僕は思わず日熊先生の手からスポンジを取り上げようとして上体を捻るが……すかさず日熊先生の大きな手に肩を押さえつけられて床の上に倒れ込んだ。

 抵抗も出来ずにあっさり床に倒されたこともだけど、何より背中の痛みがショックでつい涙ぐんでしまう。


「ふふふ……さっきの仕返し──」


 日熊先生がニヤリと笑って僕を見下ろすが、その顔がちょっとハッとした。

 みるみるうちにその顔が青くなっていく。


「う……先生?」


 どれだけ見下ろされていただろう。やがて日熊先生は僕の上からそろりそろりと退いてからスポンジを手渡した。


「す、すまん……悪ふざけがすぎた。だから泣くな。俺はお前に泣かれると……」


 どうやら僕が泣いていたからやりすぎたと思ったらしい。……まあ、泣くほど痛かったけどな。

 僕はさりげなく目尻を拭ってから日熊先生に背を向けて体を洗った。

 すごすごと僕から離れ、熱い湯船に浸かった日熊先生を置いて、ゆっくりと長い髪を洗い始める。

 黒と白の混ざった、僕の髪。

 元は真っ黒だったのに、今ではほとんど白だ。心配になって毛先を見てみると、質感までは失われていないようで、ちょっと安心した。


「その髪……手入れが大変そうだな」

「……そうでもないです」


 しっかりとヘアパックも十分に行ってからタオルで長い髪をまとめた僕は改めて日熊先生と同じ湯船に浸かる。

 日熊先生は僕の髪が気になるのか、僕のことをじっと見つめていた。

 その視線に気づいて目を合わせると、日熊先生は慌てたように顔を逸らしてしまう。


 ……もしかして、無理やり体を洗ったから僕が怒ってると思ってるのか?


「別に──怒ってないですよ」

「そ、そうか……」


 日熊先生は遠慮がちに視線を戻して、ホッとしたように笑った。わかりやすい人だ……。

 改めて僕の髪に視線を向けた日熊先生は、ゆっくりと僕に目を合わせる。その顔は、ちょっと寂しそうな顔をしていた。


「本当に、アイツそっくりだな……」


 きっと母さんのことを言ってるんだろうな、ってことは僕にでもわかる。

 母さんが死んでから、いつ死んでもいいと思うになってしまったこの人は、本当に心から母さんを愛していたんだろう。

 そんな母さんのことを、僕は何も覚えていないのだ。

 猿神との戦いの後、ほんの少し見えた師匠との記憶のように、母さんのことも思い出せたらいいのに。


『楓兄さん……ボクのこと嫌いになった?』


 ふと、脳裏に黒髪の少女の姿が浮かぶ。夢の中で見た、あの女の子だ……。

 彼女のことを、僕は知らない。僕には妹なんて居ないし、そもそも一人っ子だ。

 ただの夢だったはずなのに、唇に触れたものはとてもリアルで、生々しくて。和装の合わせから覗く白い鎖骨がとても綺麗だった。


「……ッ……」


 僕は思わず自分の唇をゴシゴシと拭っていた。

 あの子のことを考えるのは止めよう……変になりそうだ。


「楓……どうした? どこか痛むのか?」


 突然唇を擦り始めた僕を見て日熊先生が心配そうに尋ねてくる。

 僕は慌ててかぶりを振った。


「……ち、違うんです。のぼせそうだから、先に出ていいですか?」

「あ、ああ……部屋まで担いでいこうか?」


 心配そうに日熊先生が体を起こそうとするけど、僕はそれを手で制した。

 日熊先生だって妖気がなかなか戻らなくて辛いのに、そこまで迷惑はかけられない。


「大丈夫です……ありがとうございます」


 僕はそう言って足を滑らせないように体を起こす。

 重い体を引きずりながら部屋に戻っていくと、部屋の中にはいつの間にか布団が敷かれていた。冥鬼が敷いてくれたんだろうか?

 そんなことを考えながら髪を乾かし始めるが、長い髪を乾かすのも今の僕には結構重労働だ。

 白と黒がまばらになった長い髪をしっかりと乾かした僕は、ヘアオイルを塗り込んですぐに布団に倒れ込む。


「はあ……」


 自然と落ちていく瞼に抗えず、僕はやがて眠りについた。

 夢の中か現実か、頭を優しく撫でるぬくもりを感じてうっすらと目を開けると、そこには鬼原ハク先輩が居る。


「ハク、せんぱ……?」


 ぼんやりと彼女の名前を呼ぶ。

 僕と目が合ったハク先輩は、にっこりと微笑んで頷いた。

 ハク先輩は制服に身を包んで、僕の頭を撫でている。

 ああ、夢か……。ハク先輩に会いたいなんて心のどこかで考えていたから、ハク先輩の夢を見たのかもしれない。

 すごいぞ僕……疲れきった心と体には最高の清涼剤だ。だってこんなにも、夢の中のハク先輩は優しく微笑んでくれている。


「もっと……」


 小さくおねだりをすると、ハク先輩は目を細めて微笑んだ。

 まるで幼子をあやすように僕の髪を撫でる優しい手が心地いい。

 僕はそのぬくもりを逃したくなくて、重い腕を上げて先輩へと伸ばす。

 当然、夢の中のハク先輩が僕を拒絶するわけがないだろう。ハク先輩は優しく微笑むと、僕が伸ばした手をそっと掴んで自分の頬に当てた。すべすべとして柔らかい。


 やけに、リアルな夢だな……。


「こんなに近くで楓くんの顔見るの初めて……。いつも逸らしちゃうでしょ?」


 ハク先輩は鈴の鳴るような声で囁くと僕の額にかかる髪を優しく払う。

 ぷっくりとした小さな唇が僕の名前を呼んで、ドキドキする。


「それは……せんぱいが、綺麗だから……」


 僕の顔を覗き込んでいる先輩と見つめあったまま、僕は夢現に答える。

 先輩は僕の髪を撫でながら小さく首を傾げた。

 そうだ……ここが夢の中なら、普段聞けないことも言ってしまおう。


「ハク先輩、恋人……いるんですか……?」


 呂律の回らない声で問いかけると、ハク先輩は赤いリボンを揺らしてかぶりを振った。

 そっか……恋人、いないのか……。こんなに美人なのにな。もしかして告白されても断っているとか?


「じゃあ……好きな、人は……?」

「ふふっ、今日の楓くんは質問がいっぱいあるのね?」


 ハク先輩がくすっと笑う。ああ、夢の中なのにすごくかわいい……。


「先輩、の……好きなタイプ……知りたい、な……」


 そう尋ねると、先輩は不思議そうに目を丸くしてから優しく笑った。

 先輩のひんやりした手が僕の頬に触れたのが気持ちよくて、ゆっくりと目を伏せる。

 その時だった。


「おねーちゃん、もうかえっちゃったあ?」


 微睡んでいた僕を現実へと引き戻すように、部屋の外から冥鬼の甘えた声が聞こえた。

 続けて、冥鬼がぴょこぴょこと部屋に入ってくる。


「メイちゃん、もうご飯食べたの?」

「うん、たまごやきおいしかったあ〜!」


 冥鬼はえへへと笑ってハク先輩に抱きつくと、目を丸くしたままの僕に気づいたのか元気よくその場に座り込んだ。


「あ、おにーちゃんおきてるっ!」

「め、冥鬼……?」


 狼狽えっぱなしの僕の前で、ゆっくりとハク先輩が立ち上がる。


「さてと……じゃあそろそろ洗い物をして帰ろうかな。メイちゃん、ちゃんと歯磨きしなきゃダメよ?」

「はーい!」


 呆然としている僕の前で、ハク先輩が冥鬼の頭を撫でていた。

 冥鬼は嬉しそうにハク先輩に抱きつくと、元気よく声を上げている。


「あんまり話せなくて残念だけど、楓くんも疲れてるもんね」

「え、ええとっ……あのっ……ひっ……冥鬼、僕のほっぺたを抓ってくれないか……」


 僕は口をパクパクさせながら嫌な汗をかいていた。僕の願いを聞いて、冥鬼が思いっきり僕の頬を引っ張る。

 痛い痛い痛い。そんなに思いっきり引っ張る奴があるか。


 でもこれでハッキリしたことがあるんだ。気づきたくないことだけど。

 これは……これは、夢じゃない。現実、だ……。

 青ざめている僕の心中なんて知らずに、ハク先輩がにっこりと微笑みかけてくる。


「あ、そうそう……私の好きなタイプはね、寝ぼけた顔がかわいい人よ♡」


 ハク先輩はそう言って部屋を出ていった。

 しん、と静まり返った部屋の中で、冥鬼はまだ僕のほっぺたをくいくいと抓っている。

 僕は……僕は……。


「うわあああああああっっ!!!!」


 僕は気が遠くなるほどの間を置いてから、情けない悲鳴を上げて布団を頭から被った。

消えてしまいたい消えてしまいたい消えてしまいたい消えてしまいたい消えてしまいたい消えてしまいたい消えてしまいたい……!


 いっそ、誰か! 僕を殺してくれ!

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