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最弱陰陽師は、自分にかけた呪いとまだ向き合えていない  作者: ふみよ
1部

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【小さな師匠】4

「いつまでも泣いてないで答えてよ。ジワジワ殺されるのと丸呑みにされるの、どっちがいい? ちなみにボクはジワジワ殺したい派」


 猿神がゆっくり僕に近づいてくる。その声の感じからして、あいつの赤ら顔はニタニタと笑っているようだが、僕はまるでぬいぐるみのように何も言わなくなってしまった豆狸から目が離せないでいる。

 さっきまで、あんなに元気だったくせに。

 あんなにはしゃいで駆け回ってたくせに。


「う、あ……」


 僕は豆狸を抱きしめて嗚咽した。

 師匠が弟子を庇って先に逝くなんておかしいだろ、豆狸。

 お前は、僕にとって初めての師匠なんだ。まだ何も教わってない。僕は何もしてやれてない。お前の期待に応えてすらいないのに。


「し、しょ……」

「なーに? よく聞こえないなあ」


 頭上で、猿神が楽しげに笑う声が聞こえる。ゆっくりと、足音が近づいてくる。

 やがて、猿神の大きな手が僕の頭を掴んだ時。


「師匠、力を貸してくださいッ!!」


僕は豆狸を片手で抱いたまま叫び、ずっと握りこんでいた御札を翳す。


「急急如律令、煉獄炎狗(れんごくえんく)──!」


 御札を手にして涙でぐちゃぐちゃになりながら叫んだ瞬間、僕の周囲から爆炎が上がった。

 あたり一帯を爆炎が包み込み、舐めるように猿神に襲いかかる。

 猿神は慌てて飛び跳ね、僕のことなどお構い無しに体についた火を消そうと躍起になった。


「ひ……! ちょ、待って! ボク、火はダメなんだよッ!!」


 そんな猿神の後を追うように、炎がその姿を変えていく。ぐるんぐるんと円を描くようにして、炎の束が四つ足の獣へと姿を変えた。

 低く吠えた炎狗(えんく)が勢いよく飛びかかると、猿神はギャアッと悲鳴を上げて木に飛び乗る。


「こ、来ないでッ! わ、分かったからッ!! もう悪さしないからッ! だからホラ、見逃して!」


 猿神は木にしがみついて金切り声で叫ぶと、僕たちのことなどお構い無しに木から木に飛び移り、あっという間にどこかへ消え去ってしまった。

 完全に猿神が居なくなったのを確認して、炎狗が遠吠えをすると同時に、あたり一帯で燃え盛っていた炎が一瞬のうちに消える。


 煉獄炎狗は、炎の幻影を見せる術だ。さすがに、山火事のような炎そのものを生み出すことは出来ない。

 幻影で怯んだ隙に、本体である炎狗が攻撃をするという見掛け倒しの術だが……猿神には効いたみたいだ。

 けど、もうそんなことどうでもいい……。


「…………」


 僕は御札を手にしたまま、呆然と豆狸を見下ろしていた。

 妖気を失って辛かったはずなのに、僕を外に連れ出して修行をつけてくれた豆狸は、もはや何も答えない。

 怖い顔の日熊先生も、お調子者の豆狸も、死んでしまったんだ。僕のせいで。


「……っごめ、ん……なさい……」


 僕は小さな師匠を抱きしめてうずくまった。

 そのまま、いつの間にか顔を覗かせていた朝日を浴びながら、どれだけそうしていただろう。


「……え?」


 ふと、僅かにだけど小さな体から心音が聞こえた気がして、僕は再度注意深く豆狸の体に耳を当てる。

 間違いじゃない。確かに、これは豆狸の心音だ。


「……師匠っ!」


 僕は慌てて御札ケースの中身がめちゃくちゃになるのも構わずひっくり返すと、一枚の御札を取り出した。


「急急如律令──六根清浄……!」


 御札を通して、僕の中の霊気が癒しの力に変換されていくのがわかる。

 豆狸を、師匠を助けたい。その一心で、僕は小さな師匠に術を使った。

 何だったら僕の中にある霊気をありったけ使ったって構わない。


 だから、どうか──!

 お願いだ、目を開けてくれ……。


「きゅう……」


 やがて、小さな前足がぴくっと痙攣して腕の中で呻き声が聞こえた。


「師匠っ……!?」


 ゆっくりと瞼を震わせて師匠のくりくりとした瞳が開かれる。

 師匠は、ボーッとした顔で僕を見つめていたけど、やがてゴシゴシと目を擦って伸びをした。


「ふわあ……何かすっげえ、よく寝たぁ」


 師匠がムニャムニャ言いながら体を起こそうとするものだから、僕は咄嗟にその小さい体を抱きしめた。


「……どこも、痛くありませんか?」


 パッと見た感じでは怪我の具合を確認できないけど、術で塞いだとは言え突然容態が悪化する可能性もあり得る。


「楓……泣いてんのか? っていうかその師匠って何だよ、くすぐったいじゃんよぉ」


 もぞもぞと僕の腕の中で身じろぎした師匠の小さな手が僕の頬を触る。

 肉球がポンポン、と涙を拭った。


「……僕のせいで……あなたを死なせてしまうところだった、から……」

「お、お前のせーじゃないぞ? あれはオイラが勝手に、って言うか……だから泣くなよぅ……」


 師匠がしどろもどろになりながら僕を泣き止ませようとしてくる。

 僕は情けなく、師匠の体を抱きしめたまましゃくりあげた。


「違うっ、僕のせいですっ! 僕が貧弱で、体力がなくて、鈍臭くて……あなたの期待に応えられなかったからっ……」


 獣臭も気にならないくらい、僕は師匠をきつく抱きしめる。

 腕の中で狼狽えていた師匠が、耳をぺたんと伏せて何やらもごもごと呟いた。同時に、彼の体から白煙が上がる。

 人の形をしているけど、黒い影とは違う大柄の男が目の前にいた。

 目の前に居るのは、鬼の体育教師日熊先生だ。眉間に皺を寄せた中年の男は、大きな手でわしわしと僕の髪を撫でる。


「わかったから──もう、泣くな」


 小さい子供に言い聞かせるように、日熊先生がため息をつく。

 けど、泣くなと言われると余計泣いてしまうのが子供ってものだ。僕は情けなくシャツで涙を拭いながらかぶりを振った。


「うっ……ひうぅ……」


 自分がふがいなくて、情けなくて、こんなにも消えてしまいたいと思ったことはない。

 きっと、日熊先生だって僕に呆れているはずだ……。

 止まらない涙を拭っている僕の目の前で、日熊先生が言葉を探すように少し虚空を見上げる。

 やがて、日熊先生は僕の後頭部に手を寄せて大きな胸に抱き寄せてきた。


「すまん……俺を許してくれ、楓」


 日熊先生の手がぎこちなく僕の頭を撫でる。何に対して謝っているのか、僕には分からない。わからないけど……日熊先生は僕より辛そうな声で小さな謝罪を繰り返した。

 やがて僕の涙がおさまった頃、日熊先生は黙って僕に背中を向ける。どうやら、おぶされってことらしい。

 僕は少し迷ってから、日熊先生の背中にしがみついた。


「軽いな……お前」


 日熊先生は少し驚いたようにそれだけ言って、ゆっくりと僕の体を背負う。

 僕は鼻をすすりながら、日熊先生の背中に顔を押し付けた。


「……臭い」

「山に捨てるぞ」


 日熊先生はちょっと怒ったような声で言うと、小さく咳払いをして立ち上がる。


「これは独り言だが──聞いてくれ」


 ゆっくりと山を下り始めながら、ふと日熊先生が口を開いた。

 僕は返事の代わりに鼻をすする。


「俺は今日まで、いつ死んでもいいと思って生きてきた。妖怪として、もう充分生きたし……未練もない」


 日熊先生は朝日を見ながらぽつぽつと呟く。背を向けたままの先生の表情は僕にはわからない。


「死んでもいいと思ったから、僕を庇ったんですか?」

「──そうだ」


 日熊先生が、少し迷ってから答えた。

 僕が助かればそれでいいと思ったと。

 だから、僕に泣かれてすごく驚いたと彼は言った。この人は、何て馬鹿なことを言うんだろう。


「……死ぬなんて、簡単に……言うなぁ……」

「うっ、首を絞めるな首を。あと泣くな。もう言わないから」


 またぶり返してきた涙で頬を濡らしながら首に回した手に力を込めると、ちょっと苦しそうな声の日熊先生にたしなめられる。

 先生は一度、僕の涙がおさまったか確認するように振り返ってから、静かに口を開いた。


「俺は──お前より先に死なん」


 そう言った日熊先生が小さく咳払いをする。白髪混じりの茶髪が、朝日に照らされてキラキラしていた。……臭いけど。


「……本当に?」

「ああ、今決めた」


 日熊先生は仏頂面のまま小さく頷く。


「だから……もう自分を責めて泣かなくていい。お前は(オイラ)が鍛えてやる。弱いから何だ、逆に鍛え甲斐があるってもんだ」


 日熊先生は少しだけ優しい声で言うと、僕の頭をクシャクシャと撫でてからもう一度体を背負い直す。

 相変わらず獣臭い背中は、それっきり何も言わなくなった。

 僕は、大きな師匠の背中に顔を埋めると、ゆっくり瞼を伏せる。親父の背中とも、豆狸とも違ったぬくもりが懐かしくて心地よかった。


『本当に楓は泣き虫だなぁ』


 楽しげに笑う声がどこからか聞こえる。

 幼い僕を背負った誰かが、優しく笑った。


『よく泣くってことはさ、それだけお前が優しいんだぞ。これ、研修先で先輩が言ってた。つまりは受け売りってやつだが』


 まるで芝居がかった口調で誰かが言う。

 幼い僕には、その人の言うことが難しくてよく分からない。

 黙ってしまった僕を背負った誰かが、ゆっくりと振り返った。


『オイラは、優しい楓が大好きってことだ』


 今よりも幾分若い、顎髭もないその男は屈託なく笑って僕の頭を撫でる。

 まるで自分の子供にするように。

 彼の言ってることは難しかったけど、大好きと言われたのが嬉しくて、幼い僕はその人をめいっぱい抱きしめた。


『ぼくのほうがだいごろーのこと、いっぱいスキだもん』

『あははっ、そいつは嬉しいな!』


 幼い僕を背負った男が、心底嬉しそうに笑う。僕はその男性の名前が、日熊大五郎であることを知っていた。

 日熊先生とは、高校で初めて会ったはずなのに……何でこんな記憶があるんだ?

 それに、豆狸を抱いて寝た時に感じた妙な既視感。


「……大五郎」


 ぽつりと記憶の中で幼い僕が口にした名前を呼んでみる。

 すると、日熊先生が不思議そうな顔で振り返った。


「んん? すまん、ボーッとして……何か言ったか?」

「いいえ……」


 むしろ聞かれていなくて良かったのかもしれない。

 僕は、日熊先生の背中に顔を押し付けて、濡れた頬を拭った。

 今は何も考えずに、心地よい気だるさの中で懐かしい匂いに包まれていよう。

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